アボジの履歴書

あぼじのりれきしょ金乙星
アボジの履歴書

A5判 134頁   本体2000円+税
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ISBN978-4-906460-33-5

1997年10月発行

▽目次

第一部
出版にあたって   金乙星
アボジの履歴書に寄せて   藤本義一・山口伊左衛門

第一章 朝鮮から日本に(少年時代)
故郷を捨て日本に
丹波の武田村に落ち着く
小学校と姉達の思い出
誇り高く生きた祖父
働き続けて死んだ父母
鴨庄村の用水工事
期待を胸に大阪へ
多くの朝鮮人との初めての出会い
迫り来る戦争の足音
虫ケラ同然の朝鮮人

第二章 徴用と軍隊生活(中国戦線を行く)
徴用で三菱電機で潜水艦作り
軍隊の方がまし
大邱の第一八部隊に入隊
破壊の限り中国の町と村
応城での初年兵教育
長沙への”死の行軍”
朝鮮同報兵が脱走
実践と古年兵の親切
桂林の戦闘で負傷
敗戦-戦い終わる
敗残兵として九江へ
朝鮮人に親切な中国農民
日本へ帰りたい

第三章 日本の敗戦(丹波へ復員)
祖国の大地
叔父を訪ねて-父母の死を知る
日本へ帰る決心
初めて見る故郷・慶和洞
密航船で福岡へ
旅費をもらって丹波へ
妹弟達と再会
無一文からの出直し
ヤミ屋稼業へ
朝連の集会に
朝連「青年学校」へ

第四章 朝連中央高等学院へ行く(共産党に入党)
向学心に燃えて
東京へ出て勉強
丹波から弟妹達を呼んで
隠匿物資摘発の闘い

第五章 三多摩地区委員会での活動
職業活動家の道へ
国鉄労組を担当
伊藤律らを招き講演会
党中央幹部の思い出
ふくらむ革命への確信
強まる労働者への弾圧

第六章 阪神朝鮮人教育闘争
朝鮮語学校続々と誕生
兵庫県下に58校
閉鎖命令に反対する闘い
撤回闘争と”朝鮮人狩り”
アメリカ占領軍の”暗黒裁判”
阪神教育事件で逮捕された人達

第七章 東宝争議(東京・三多摩での党活動)
黒沢明や今井正監督と闘いに参加
思想文化面への攻撃
撮影所に泊まり込み
政令201号への闘い
無収入で生活に困る
弟妹達を連れて関西に転任

第八章 レッドパージの嵐(尼崎、神戸での党活動)
労働者階級の拠点・尼崎で
ドッジラインの実施
総選挙で共産党大躍進
現場労働者を中心に
公安条例阻止へ全力投球

第九章 下山、三鷹、松川事件(兵庫県での党活動)
日本を揺るがした大事件
国鉄総裁が轢死体で
無人電車が車庫から暴走
東芝松川工場の近くで列車転覆
共産党犯行をデッチ上げ
占領軍の評価を誤る
孤立化する共産党員
一心不乱に組織再建

第十章 朝連と朝鮮民青の解散(淡路での党活動)
闘争支えた朝鮮同報
私の身を案じた措置
李春子と結婚
初めて農魚民と闘争
苦しくも楽しかった淡路生活

第十一章 日本共産党に対するコミンフォルム批判
同志・野坂参三を名指しで
党内はテンヤワンヤ
人民日報も共産党を批判
納得できぬコミンフォルム批判-私見

第十二章 朝鮮戦争(神戸市委員会での活動①)
米軍が祖国へ侵略戦争
特需景気に沸いた日本
淡路から滋賀県委員会へ
突然、神戸市委員会へ
逮捕され留置場に
釈放の慰労会で赤犬の汁
燃え上がる自由労働者
中国共産党が団結呼びかけ
極左的傾向強める共産党
神戸港で沖仲仕に

第十三章 朝鮮人二七事件(神戸市委員会での活動②)
戦争反対へ果敢な闘争
デモ隊に三千人の警官が…
世界に広まる平和運動
大衆の中で党活動

第十四章 全面講和を要求する運動(兵庫県委員会での活動①)
単独講和に反対し全面講和を要求
兵庫県委員長に就任
労働運動に活気戻る
豊島千尋と再婚
日本の独立と破防法反対の闘い

第十五章 反戦・原水爆禁止運動(兵庫県委員会での活動②)
相次ぐ血の衝突事件
朝鮮人青年たちが中心
社会党との共闘で批判浴びる
盛り上がる反戦運動と春闘
内灘の米軍基地反対闘争
朝鮮戦争の停戦協定成立
第五福竜丸事件に世論沸騰

共に闘った党員たち 県委員長時代の思い出

第十六章 中国地方に転任
兵庫から広島へ
弱体化した組織を建て直し
原水爆禁止運動の先頭に

第十七章 共産党の「六全協」
極左冒険主義を自己批判
極左冒険主義についての私見

第十八章 在日朝鮮人運動の路線転換と日本共産党からの離党
在日朝鮮人運動の路線の転換
日本共産党より朝鮮人党員の離党
民族対策部内の特殊部門の後始末

第十九章 民族対策部の密航計画と私の共和国行き
民族対策部の共和国への密航計画
朴恩哲の帰国
私の共和国行き

あとがき

第二部

まえがき

第一章 平壌に行く事になったいきさつ
日本共産党と戦後の在日朝鮮人運動について
朝鮮人連名の解放
日本に於ける在日朝鮮人運動の方針の転換と在日朝鮮人総連合会の結成
日本共産党は民族対策部や私の処理を朝鮮労働党に転嫁した

第二章 初期の平壌での生活
第三回党大会
八月・九月全員会議について
朴恩哲について
平壌での市民生活
帰国の延期

第三章 労働党高級党学校での生活
労働党の高級党学校とは
高級党学校での生活
労働党の党内闘争の高級党学校での影響(集中指導作業)
高級党学校の卒業試験
豊島千寿が平壌に
高級党学校卒業

第四章 在日朝鮮人の共和国への帰国
第一次帰国船が清津に
在日朝鮮人の帰国に関連して起きた諸問題

第五章 日本への帰国と出入国管理令違反で逮捕と裁判。最高裁の判決。
帰国の準備
出入国管理令違反で小倉署に逮捕される
裁判の経過
最高裁への諫山、山口弁護士の上告趣意
法務省よりの国外退去命令

第六章 私と金炳植
金炳植との出会い
金炳植の私に対する報復

第七章 事業活動への出発と再婚
事業活動への出発
共和国での韓順伊の行方不明
再婚と娘と息子の誕生

第八章 息子のアメリカ留学と私の見たアメリカ
息子のアメリカ留学の決意に負ける
最初のアメリカ行き
ホッチキス高校
エール大学
其後のアメリカ行き

第九章 韓順伊(豊島千寿)の死
三十五年ぶりに韓順伊から電話がかかって来た
韓順伊(豊島千寿)の死

あとがき

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