神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会

ニュース No.4 1995年05月15日発行

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 未曾有の阪神・淡路大震災から4ヵ月が過ぎました。震災にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。
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 昨年八月に「追悼する会」は、韓国より神戸電鉄敷設工事で犠牲となられた朝鮮人労働者の遺族をお招きして追悼行事を行いました。新聞等で報道されたのですでにご存知かと思います。本ニュースにも記録を掲載いたしましたので、是非ご覧下さい。遺族を韓国よりお招きしての追悼行事は、われわれ「追悼する会」が目標としていた事業の主要なものの一つでした。多くの方々のご協力を得てそれを成しとげられたことを嬉しく思っています。「追悼する会」としては、それを踏まえていよいよ追悼碑建立の事業に具体的にとりかかりたいと考えています。
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 会として悲しい知らせを二つしなければなりません。
 ひとつは、かねてから体調をくずされていた当会代表の落合重信先生が、肝臓ガンのため去る二月一五日に亡くなられました。先生の存在が「追悼する会」にとって、とても大きなものであったことはいうまでもありません。もうひとつは、今回の震災で会の事務局の有力なメンバーであった成文慶さんが、神戸市中央区の自宅が全壊して亡くなられたことです。本ニュースにおふたりの追悼文を掲載しています。
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 「追悼する会」では、悲しみを乗り越えて追悼碑建立のための活動を力強く進めていきたいと思います。左記のような集会を計画しました。まだまだ震災の影響が多く残っており、交通も不便ですが是非ともご参加下さい。


  神戸電鉄敷設工事で犠牲となった
          朝鮮人労働者の追悼碑建立のための集い

と き  5月25日(木)午後7時
ところ 神戸学生青年センター・ホール
(阪急六甲下車、北東徒歩2分 TEL 078-851-2760)
内 容 神戸電鉄敷設工事と朝鮮人労働者 金 慶 海
「追悼する会」の歩み      飛田雄一
落合重信さん、成文慶さん追悼の会
「追悼する会」新しい代表選出
追悼碑建立建立のための話し合い
           


94年夏 韓国より遺族を招いて

 「追悼する会」は一九九四年八月二八日、韓国から二組四名の遺族をお招きし、神戸市北区の大池の興隆寺で神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者追悼式を営みました。
 九三年七月に結成された「追悼する会」は、調査活動の結果、当時の新聞記事から五件の事故で一三名の朝鮮人労働者が犠牲となったことが判明し、新聞記事の本籍からその本籍地の面事務所に問い合わせたところ、三名の遺族を確認することができた。九四年五月に事務局が韓国を訪れ、東山トンネル事故(一九二八年一月)の犠牲者黄範寿さんと藍那トンネル事故(一九三六年一一月)の犠牲者金鳳斗・金東圭父子の遺族に会い、事故に会い、事故当時の話しを伺い、追悼式に参加を要請、快諾を得た。
 「追悼する会」では一九九四年三月、神戸電鉄が毎年八月に興隆寺で開いている神戸電鉄関係物故者の法要に犠牲となった朝鮮人労働者も共に追悼することが当然であるという立場から、八月に興隆寺で行なわれている法要に朝鮮人犠牲者の名を銘記し追悼すること、同法要に朝鮮人犠牲者の遺族を招待することなどを要望した。神戸電鉄の四月二〇日付の回答は、興隆寺での法要は「役員を含む社員の在職中の死亡ほよび運行に基づく死亡者」を対象にし、敷設工事に携わった朝鮮人労働者・犠牲者はその範囲ではないという意思を表明したのであった。納得できない我々はさらに五月二日付で以下の再要望書を送付した。
 興隆寺での法要等に「お応えしかねる」との回答がありましたが、それでは、神戸電鉄敷設工事の過程で犠牲となった朝鮮人労働者を貴社として、どのような追悼行事(法要、遺族の招待、追悼碑の建立など)をされるのでしょうか。追悼行事の必要性を認めないというのであれば、敷設工事の過程での朝鮮人労働者の犠牲が、貴社と無関係であると表明されたことになりますが、そう考えであれば、その理由をお聞かせ下さい。
 こうした再要望に対し、六月二三日付で神戸電鉄本社は当社案として、貴会の計画されている追悼行事を興隆寺でしていただき、その中で当社の弔慰の表明として、同寺の過去帳に犠牲者の名を記載させていただきます、追悼行事の費用の一部を「お供え」として負担させていただきます(後略)。
 以上の回答を受け、「追悼する会」は尚不満は残るが、会として遺族を招待し、独自の追悼式を開くに至ったのである。
 来日したのは藍那トンネルで父と兄を同時に失った金順牙さん(79歳)、金漢圭さん(66歳)姉弟と金漢圭さんの妻・李今年さん(60歳)、それに東山トンネル事故で義父を失った尹福祚さん(62歳)の四名で、八月二六日午後、大阪空港に着いた。二七日に東山および藍那トンネル事故現場を訪れ、異国の地で無念の死を遂げた肉親を思い号泣した。
 二八日は午前一〇時から興隆寺で追悼式が開かれ、「追悼する会」の落合重信代表が追悼文を朗読し、参加者一同が焼香した。「下請けが請け負った工事」などとしてきた神戸電鉄代表も参加し、興隆寺にある自社の過去帳に朝鮮人犠牲者の名前を初めて記載して弔慰を表明した。また、有志によるサムルノリ、神戸電鉄と朝鮮人労働者との関わり、事故の実態を訴えた劇も行われ、犠牲者の魂を慰め、さらに真相が明らかにされた。
 一一時から来日した遺族から話を伺い、「初めて知ったが過去のことと片付けず、起こったことは忘れないでほしい」、「父や兄がつるはしを握ったまま生き埋めになったとは知らなかったが、今でも怒りがこみあげてきます」と次々に発言され、参加者に感銘を与えた。(高木)


落合重信先生を悼む


 私たちのこの会の代表であられた落合先生が、二月一五日、八二歳でその生涯を終えられた。
 神戸電鉄の敷設工事にたずさわったのは、多分全員が朝鮮人労働者であり、その工事は現代版の奴隷労働でなされたので、一三名もの犠牲者(もちろん全員が朝鮮人)がでたことに、一学者として非常に心を痛まれ、歴史的事実が埋もれ去られることを心配して、当会の代表に心よくなって下さった。その頃にすでに発病していたとは私たちはつゆに知りませんでした。
 代表になられた先生は、身体にムチ打ちつつ新たな資料の発掘、会の運営、神戸電鉄との交渉などの活動を精力的になさいました。
 先生は、このように社会活動家として良心を持って在日朝鮮人問題にたずさわったばかりでなく、歴史学者としても在日朝鮮人の足跡を証す研究においても非常に大きな業績を残されました。
 私ごとですいませんが、私が先生を出会うようになったのは、神戸市立中央図書館ででした。かれこれ、もう三〇年ほどになります。
 先生に直接お会いし、教えを乞うようになったのは、「4・24教育闘争」の資料を探している時でした。先生は、この在日朝鮮人たちの壮絶な闘いを、日本人、日本の行政、司法側の資料を丹念に集めて発表しました。その諸資料は、私のこの闘いについての調査において大変大きな重みを持ったばかりでなく、先生とのこの件についての議論は、私の目を大きく見開かせるものになりました。
 このような関係でも、私が「落合学校」の一生徒になれたことを非常な栄光と思っています。
 先生は亡くなられましたが、先生の残された志、業績は高貴なものです。私はもちろん、当会のメンバーも先生がなしえなかったこと、特に一三名の犠牲者の追悼碑を建てるため全力を尽すことが、先生へのお悔みになることと思い頑張ることを誓います。

  一九九五年三月三一日         金 慶 海 

 成文慶(ソン・ムンギョン)氏を偲んで


 一九九五年一月一七日、午前五時四六分、マグニチュード7・2の兵庫県南部地震は、五、五〇〇余名の尊い命を奪いさりました。
 当会の会員の方々も大小の差こそあれ、何らかの被害を受けられたことと考えます。
 この度、追悼する会発足当初より呼びかけ人として、また事務局員であられた成文慶氏が震災の犠牲にあわれ亡くなられました。
 成文慶氏は、兵庫県朝鮮人強制連行真相調査団の事務局長として、私欲をすて、南北の差異を乗り越え、民族のために真の歴史を調査検証してこられ、追悼する会においても穏和でやさしい中にも常に原点をふまえ、事務局員を指導して下さいました。
 昨年、八月二八日の追悼集会の謝辞の一節では、「過去の朝鮮と日本の歴史から学び、同じ過去をくり返さず、人々が自主的で平和な生活が、いとなまれなければならない」と訴えられていました。
 思い半ばで震災のため犠牲になられた在日同胞一三〇余名の方々と共に亡くなられた成文慶氏の意思を私達は心に刻み、追悼碑の建設を実現させることを誓い、成文慶氏をはじめ全ての犠牲者のご冥福をお祈りいたします。

    一九九五年五月一日         李 相 泰 


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