「韓日交流の昨日、今日、明日 ―私の経験を元に―」曺喜夫

神戸学生青年センター40周年記念の集い<第2部・講演会>

韓日交流の昨日、今日、明日 ―私の経験を元に―」

曺喜夫(チョ・ヒブ、ハンサルリム生協理事)

由緒ある神戸学生青年センターの40周年を記念する席に招待していただき、またお世話になってばかりで何もしていない私に功労まで表していただき、感謝しつつも恥ずかしい思いであります。この主題講演は本来ならここにいらっしゃいます金榮注会長がされて然るべきですが、私のようなものが引き受けることになり当惑し緊張しています。皆さんご存知のように、金会長は当初から現在まで、韓国の農民運動や協同運動してきた人たちと、日本の先駆者たちとの出会いを作り、沢山のことを学ぶことができるようにしてきた方です。

このセンターは、1955年から地域の学生たちの教育文化空間としてだけでなく、正しい農業とそれらを支える生産者・消費者連帯、環境運動、韓日交流の中心的役割を果たしてきました。これらのことを始められ、長い年月にわたり素晴らしい仕事をされてきた方たちに、感謝とお祝いの言葉を贈ります。私も、このセンターについて美しい思い出があります。

1990年6月、韓国カトリック農民会の同志たちとこの地域の有機農業、提携運動を学ぶために来日しこのセンターに寝泊りしました。2003年3月、保田敎授の停年退任会の集まりがあったときにも、朴才一会長、李炳哲さん、金起燮さんと共にここを訪れました。それ以前には、1984年12月に金榮注会長が、反政府闘争の先鋒に立ってきた全国のカトリック農民会会員を引率し、この地域の生産・消費者たちの先駆的な連帯活動と生活協同組合を見学に来ましたが、その時もここで滞在し、保田教授に案内して頂き沢山の教えを受けたというお話を聞きました。その経験を土台に韓国でも、有機農業と生活協同組合をまとめた生命共同体運動と、ハンサルリムが始まることとなりました。

私たちは1990年6月12日からの、保田教授とセンターが心を込めて準備してくれた日程に従い、金起燮さんと李健雨先生の通訳により、大分県下鄕農協(玉麻吉丸)の奇跡の有機農の現場を見学した後、瀬戸内海を渡ってこのセンターに来て 、食品公害を追放し安全な食べ物を求める会など、様々な消費者グループ(児玉主惠、金子まちこ、山崎延子)の驚くべき話と共同購入の4大原則を学びました。続いて丹南町有機農業実践会(小前芳彦)と市島有機農業研究会の一色先生をはじめとする沢山の会員とお会いし、話しを分かち合い、田畑を見させてもらいながら勉強しました。カボチャのおかずだけで一季節を過ごし、お腹で農産物の過不足を調節し、猫の餌も菜食にしたという話、ほぼ全ての消費者の会員たちが無報酬で奉仕しているということ、田んぼの水をにごらせてくれるカブトエビ(最近になって韓国でも発見され話題になった)、伝統的に作られた丹南町公民館での懇親会、一色先生の強固でありながらも優しい教えが、今も思い浮かびます。そして大阪、神戸地域のキリスト教牧師と信徒たちが、在日韓国人の人権運動など色々な素晴らしい仕事をしておられることを聞きました。姫路城の美しさに魂を奪われ、一行と離れてお互いを探していた記憶も新しく、また山根さんのご自宅での夕食後、保田教授が皿洗いするのを見て私も勉強させて頂き、この頃は料理と皿洗いを時々しています。

1994年千葉で開かれた親環境生産者・消費者連帯大会 ― “出番だ”に、李健雨先生、朴才一会長などと一緒に参加した後、主要団体の現場を訪問、見学し、翌年1995年にはソウルで韓国・日本の関連団体が共同で準備、参加し大会を開き、現場交流もしましたが、私の農場にも皆さんが訪れました。また、1994年には宮崎県綾町で開かれたBM技術交流会に参加し、生産者・消費者団体と人々との出会いもありましたし、私の養鶏場にも小さなBM plantを作り使用しています。

1995年1、2月に40日間、 “大地を守る会、”のAsia農民元気大学学生として、 “大地”の生産、加工、物流現場と、九州から岩手まで、有名な有機農業産地を見学して回りました。その時、神戸の地震状况をテレビで見てどれだけ驚いたことか!一色先生、保田敎授とようやく電話だけしましたが、直接お会いすることはできませんでした。その後カトリック農民会とハンサルリムの同志であり韓国帰農運動本部を創設した李炳哲さんが代表としてお伺いし、地震惨状現場写真集を持って帰って来て、再び驚愕の心で共に写真集を見たということもありました。

一方、1960年代から韓国の国会議員、安東浚などが日本のヤマギシ会と交流をはじめヤマギシ養鶏法を導入し、私の農場に近いところに協業農場が設立され、1984年には韓国の京畿道にもヤマギシ会村(実現地)が作られ、頻繁に交流がなされました。私たちもヤマギシ式養鶏方と共同体生活を学び、部分的に取り入れています。

我が国最大最古の民間協同組合である信用協同組合が、金榮注会長と李建雨先生の主導の下、日本の生活クラブ生協をはじめとする協同組合、共済組合と長期間交流が活発になされました。しかし何よりもこのセンターと保田教授が中心となって行われた、持続的かつ他方面の相互交流と韓国留学生の教育が、未来につながる最もすばらしい関係ではないかと思います。

今までハンサルリムと私の農場(雪雨山の村)は、日本のGreen Coop、生活クラブ生協、pal system生協(以前は首都圏生協)、大地を守る会、BM技術協会、使い捨て時代を考える会、日本有機農業研究会、その他多くの市民運動団体と往来交流し、農業技術と生産組織運営、生協運動、生産者・消費者関係、環境運動、脱原発について学んでいます。特に、女性会員の交流が活発なようです。田んぼの生物調査活動報告会は、両国で交互に主催し、多くの団体と人々が参加しています。数年前、豊岡でも開催され、保田敎授が基調講演をしたと聞いています。 BM技術交流会も日本、韓国交互に毎年それぞれ開いておりお互いが参加しています。そしてGreen Coop組合員が10年ほど前から毎年、夏、韓国に来て、ドゥレ生協とハンサルリム組合員たちに会って話を分かち合い、また韓国植民地時代の歴史史跡を訪問する “平和の橋紀行”を行いました。福島の地震の時にはハンサルリム連合が生活クラブ生協に、私の住む忠北地域生産者が “大地を守る会”に、少ないですがお金を送らせていただきました。

現在韓国の有機農生産や生産者・消費者提携、生活協同組合などは、80年代にこのセンターで寝泊りし学びを始めたときと比べて、外形的には大きくなりましたが、生産者の精神姿勢と都市組合員たちの主体的参加など、多く不足しています。特に最近の日本の市民たちが積極的に参加、実践し、全ての原発を停止しても大きな問題もなくこの暑い夏を乗りきったのを見て、私たちは一方で感嘆し、一方では恥ずかしさも感じています。

韓国もこの頃世界経済危機の中の低成長局面に入り、ハンサルリムをはじめとした生協や生産者たちがこれから沢山の困難に直面することが予想されています。長期的不況の中でも屈せず活動してきた皆さんの知恵と、忍耐を見習っていきたいです。ここ神戸学生靑年センターと縁を結んできた若い人たちが、新たに深くて広い交流を続けて行くこと信じて、私も金榮注会長の指導を受けつつ微力ながらも支えになりたいと思います。今まで私は学ぶという目的で人々に会ってきましたが、これからはただ人々に出会い、人生の話を分かち合う関係もいいのではないかと思っています。最初からずっと私達を案内して下さり支援してくれたセンターの皆さんが韓国に来られ、私の農場とハンサルリムにも来ていただけたらなと思います。

朝鮮半島と日本列島の間には、歴史が記録される前から多くの交流があったといいます。人と物資の知識、情報が、時には平和的に、時には強制的に行き交いしました。それは色んな面で互いに近いために起きたのではないかと思います。このごろ韓国、日本、中国、ロシア間は島の為に互いに恥ずべき争いをしています。パスポートも税関もなかった古代のように、私たちの出会いも国家や政府の制約を超え、東北アジアの平和と仲の良い地球村を作る、一つの編み目になることを願います。これからも神戸学生靑年センターがそのような役割をより一層行なえるよう祈り、韓国をはじめとする世界のいたるところに、ちょっとした暖かい出会いの場が設けられるよう願っています。つたない私の経験談を聞いていただきありがとうございました。

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