むくげ通信203号/2004年3月29日

書評B<論文集>

神戸港調査する会編

神戸港強制連行の記録−朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜−

 本書を一読したときの感懐は、ことばで表現できない。冷静に分析された書評などと言えるシロモノからは程遠いものになるにちがいないが、とにかく本書は迫力に満ちた論文集である。

 その「迫力」を生み出したものは、それぞれの論文が、おのれのためにというか、自身が生きていくために書きあげられた文章だからではないだろうか。自身と言うばあい、「自分一人」という意味でないこと、自明である。

 さて、本書は「強制連行」と「強制労働」の実態を精査することによって、結果として軍国主義時代の日本(人)を糾弾する。それはしかし、けっして一元的な質(たち)のものではない。国家や軍部を援助し、国家や軍部に保護された日本企業にたいして指弾は熾烈であるが、同じ軍国主義国家に統制された一般日本国民を同一視しない。たとえば、川崎重工業製鉄所葺合工場に連行された鄭寿錫さんが、一般の「日本人の個々人は良いひとたちだ」と証言したことを記す。「歴史的にみれば韓国人を無慈悲にあつかった」とも言っているが。また、金慶海氏と梁相鎮氏は、「生田川沿いにある東福寺」が「客地無主弧魂」となった同胞五十体を祀ってくれていることを記す。両氏は、東福寺を語るとき、いつだって感謝で眼を潤ませていることをわたくしは知っている。

 さて、「厚生省名簿」を手掛かりに、当然ながら丹念な資料調査と綿密な分析がかさねられた。また、神戸と兵庫県内でのフィールドワークを再三行ったことによって貴重な証拠や証言を入手できただけでなく、地域の人々に、「会」の活動を知ってもらったことの意義は大きい。「問題の場所」確認だけにとどまらず、希少かつ貴重な地図その他の資料や情報の提供を受けたりしたことが、諸論文の内容を豊かにしてくれたにちがいない。

 証言は外国からもやってきた。「幸(生)存者」や肉親など、「重たい」心と老いた体をひきずりながら、海をわたっていただいた。一方で、会からも韓国、中国、オーストラリアへ出向き、現地調査と「当事者」からの「証言」をもらった。このことが、本書の価値を高め、貴重な内容をうみだしたことは論を待たないだろう。

 なお、本書出版後であるが、「夏は再びやって来る」の著者であるジョン・レイン氏が来神され、本書が明らかにした真実がよりいっそう真実になった。中国人民抗日戦争記念館の、李宗遠氏が寄稿論文で書かれているように、「人騙しのやり方を暴露するには、生存者の調査以外にはない」からである。

 さて、「強制連行」と「強制労働」について綴るとき、安井代表もまえがきにふれておられるように、連合軍捕虜のそれを本書が見逃さなかったことは、特筆に値する。また孫敏男氏の論文に見ることができる図表−とりわけ地図は、パソコンを駆使して作成され、資料としての価値は言うに及ばず、わたくしには芸術的な美さえ感じとれる。

 蛇足を承知で言えば、「会」からの調査依頼や証言集めにたいする関係各国の、地方行政の積極的で丁寧な対応あってはじめて、執筆者が意図したような内容ある諸論文が成り立ち得たはずだ。

 感傷的な感想も記しておこう。

 李南淳さんが、神戸に働きに行ったときの気持を聞かれ、「こっちでも食べていくのに精一杯やったから、向こうに行ったら食べられたから良かった」の類の証言のことである。日本による植民地政策や侵略がもたらした貧困な家の貧乏な青少年の圧倒的な多数が「強制連行・労働」の対象であったことにあらためて心が痛む。

 最後になるが、本書に資料が多いのは、読者の「学習」をおおいに助けてくれるはずだ。一方で、読みづらさを感じる人も少なくないだろう。とくに本書の場合、資料は論文の「叙述の一部」であって、単なる「参考」ではないのだと切り捨ててしまうわけにもいかない。本書は、論文集である。しかし、できるだけ多くの人に読んでもらわなくてはいけない啓蒙の書でもある。本書の宿命でもある、なんて開き直るわけにはいかない。

 敢えていえば、本書にも一点の不足が存在する。朝鮮民主主義人民共和国での現地調査だ。それは、4月にも実現するかもしれないが、その成果が文章化されたとき、本書は真に完結する。

2004.1、明石書店、4725円、四六判、352頁】(徳富幹生)

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