むくげ通信203号/2004年3月29日

書評C

ジョン・レイン著・平田典子訳

夏は再びやってくる−戦時下神戸・元オーストラリア兵捕虜の手記

 アジア・太平洋戦争の時期に朝鮮人・中国人が強制連行されて日本各地で過酷な労働を強いられたことは最近知られるようになった。神戸でも三菱、川崎の軍需工場、あるいは船舶荷役の労働に多くの朝鮮人・中国人が動員された。1999年10月に結成された神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会(代表・安井三吉神戸大学教授)はこのテーマの調査活動を続けてきたが、その過程で連合軍捕虜の問題がクローズアップされてきた。

 アジア・太平洋戦争の時期に日本軍の捕虜となった兵士は35万人で、その1割にあたる約3万5千名が死亡している。連合国本国の兵士は15万人いたが、日本国内での労働力不足を解消するためにそのうち3万5千名が日本に移送された。神戸にもイギリス、アメリカ、オーストラリア等から約6百名の連合軍捕虜が連れてこられ、製鉄、運送、船舶荷役、製油所等で過酷な労働を強いられた。ジョン・レインさんもそのなかのひとりである。

 1922年イギリス生まれのレインさんは10歳のときにオーストラリアに渡った。19歳のときにオーストラリア帝国軍第2連隊第4機関銃大隊に入隊しシンガポールに派兵されたが、1942年2月「シンガポール陥落」により捕虜となってチャンギー収容所に収容された。翌43年5月には日本に移送され6月、神戸に到着した。当初収容されたのは神戸市役所南の神戸分所、45年6月の空襲で焼け出された後には、丸山分所に、そして最後には脇浜分所に移された。

 レインさんは、禁じられていた日記を丹念につけて無事それを持ち帰った。また、戦後には手に入れた砂糖やチョコレートをカメラと交換して焼け跡を写しているがそれらが手記のもとになっている。

 調査する会は1987年オーストラリアで出版されたこの本の存在を知り、連絡をとって翻訳の許可を得て今回出版することができた。彼の文章は過酷な生活の中でもユーモアを忘れず、2年3ヶ月の神戸での捕虜生活を淡々と記述し、読むものに平和の大切さを切々と訴えている。81歳の高齢であったが、私たちの招請に応じて出版記念会のために神戸まで来てくださった。レインさんは、かつての困難な日々を回想しながら実に59年ぶりに2ヶ所の収容所跡を訪ねた。出版記念会では、戦争の終結があと少し遅れていたら捕虜たちの生命がもっと脅かされており、悲惨にも広島・長崎で犠牲となった方々が私たちの命の救ってくれたと思う、と証言された。是非多くの方に読んでいただきたい本である。

【神戸学生青年センター出版部、2004年3月、1890円、A5、 264頁】(飛田雄一)

むくげの会むくげ通信総目次