「むくげ通信」189号(2001年11月25日)

久谷八幡神社「招魂碑」建立90周年
山陰線工事朝鮮人労働者の足跡を訪ねるフィールドワーク参加記 飛田 雄一

 行楽日和の11月23日〜24日、表題のフィールドワークに参加した。兵庫県外国人教育研究協議会(兵庫県外教)、兵庫朝鮮関係研究会(兵朝研)、神戸学生青年センター共催のプログラムである。参加者は広島、香川、京都、大阪、兵庫のメンバー20名。

 このコースは兵朝研が取り組んで来た「韓国併合」以前の時期に労働者として山陰線敷設工事に動員された朝鮮人労働者をテーマとしたものである。難工事が続いた余部鉄橋に近い久谷八幡神社に地元の人が建てた「招魂碑」が残されている。その碑の工事の過程で犠牲となった人々(27名)のなかに7名の朝鮮人の名前がある。その石碑が建てられたのが1911年10月1日。今年はちょうど90周年にあたることから今回のフィールドワークは企画された。

 99年まで毎年夏に開かれていた「朝鮮人・中国人強制連行・強制労働を考える全国交流集会」は、2000年より形態を変えて「強制連行調査ネットワーク」として、2000年神戸、01年茨木で開かれたが、その番外編として故鄭鴻永さんらが呼びかけて冬に有志のフィールドワークが、冬の鍋料理などの美味しい時期に、それも?楽しみのひとつとしてもたれている。広島、舞鶴と開かれ今年は兵庫でということからも企画されたのである。


昭和池の記念碑前で、説明の徐根植氏

23日朝、三宮に集合して中型の観光バスに乗って一行は出発した。中国自動車道を進み途中、社町昭和池に立ち寄った。1930年ごろに作られた潅漑用の溜池で、この石碑にも朝鮮人労働者の名が刻まれている。ここで石碑の発見者でもある同町の友井公一さんと広島から合流した正木、久保両名をピックアップ。さらに播但有料道路を通って山陰線方面へと進んだ。当初は鳥取県との県境にある居組(いぐみ)から山陰線フィールドワークがスタートするはずだったが、蟹シーズンのための交通渋滞で(今年はニューヨークの事件の関係で浜坂方面の蟹が特に人気があるとの話もある)浜坂に直行した。そこで舞鶴より参加の李秉萬さん夫妻をピックアップ。そして浜坂中学校教頭の岡部良一さんの案内で浜坂市内にある山陰線労働者が感謝をこめて作った?レンガ塀ののこる西光寺、朝鮮通信使の扁額の残る満願寺を訪問した。通信使の扁額には私のよく知る神戸市兵庫区祥福寺が関係していることを住職さんからうかがった。(私の行きたかったすぐ近くにある加藤文太朗記念館は今回パス。)車中では兵朝研の徐根植さん、金慶海さん。むくげの会の堀内さんらの説明を聞く。宿泊は、但馬牧場公園で、夕食はもちろん料理。夜は延々とではないが(最近は馬力が落ちている?)二次会が続いた。


西光寺で岡部良一さんの説明を聞く


満願寺にある朝鮮通信使の書いた扁額

翌24日も快晴である。招魂碑90年の追悼集会を石碑の前で開く。徐元洙さんは黙祷のときに死者を弔って朝鮮式にオイオイと泣いた。集会後、久谷駅のすぐ東の難工事で有名な桃観トンネルそして余部鉄橋を見学。余部駅ではちょうどいい具合に電車がきたので香住まで列車に乗った。電車からは風光明媚な景色とともいくつかの難工事のトンネルを通過。この間、それぞれに仕事のある佐野通夫さん、水野直樹一家は電車に乗ってそれぞれに帰還。残りのメンバーは、香住海の博物館を見学したあと城崎温泉に向った。城崎温泉の前を流れる円山川の河川改修工事には朝鮮人労働者が深くかかかわっている。(今回のフィールドワークは兵庫県から県の指定する観光地を2ヵ所訪問することによってバス代の半額が補助される制度を利用。先の牧場公園と海の博物館がそれにあたる)


久谷八幡神社の招魂碑で


余部鉄橋

 城崎温泉での昼食後の自由時間はそれぞれに過した。大阪グループの薬師寺、藤田、塚崎各氏は温泉グループ、私は堀内、梁相鎮、近藤富男三氏とロープウェイに登り温泉寺からは登山道を降りて来た。紅葉がとてもきれいだった。

 神戸への帰路、またしても交通渋滞にまきこまれたが、裏道をよく知る県外教辻本久夫さんのナビゲータのおかげで7時過ぎには三宮にもどることができた。お座敷風の観光バスであったためか、バスのなかでフィールドワークの話とともにお酒がどんどんと空いてしまったのはいうまでもない。

それぞれの場所の解説は、今年5月に発行した兵朝研・県外教・むくげの会編の『兵庫のなかの朝鮮』(明石書店)を参照願いたい。


高槻から参加した薬師寺さん

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