『むくげ通信』169号(98年7月26日)
図書案内
『三・一独立運動と堤岩里教会事件』
韓国基督教歴史研究所 編著
信長 正義訳
神戸学生青年センター出版部
1998年5月1日 1890円
後藤 聡
評者は98年4月より沖縄に住むことになった。沖縄とは何か、ということについて沖縄出身者でない者にはなかなか答がみつからない。固有の文化をもち、なおかつ全国の75%もの米軍基地がわずか1%に満たない沖縄に集中していること、薩摩の琉球王国侵略から始まって明治初期の琉球処分、沖縄戦そして米軍支配、本土復帰等々その厳しい歴史はまだまだ検証される必要がある。例えばその検証の過程で、侵略した台湾や南洋群島に進出したのは多くの沖縄人であったことや、いわゆる沖縄戦時の従軍慰安婦問題に対して沖縄側の責任を問う作業も行なわれている。しかし、原資料の焼失等で必ずしも充分な調査がなされているわけではない。
沖縄と朝鮮との関係でいえば、中世の交易、漂流民救助などの歴史が散見できるほかは、やはり沖縄戦時の軍夫、従軍慰安婦問題が大きい。軍夫約1万人、朝鮮人従軍慰安婦約千人といわれている。あのペ・ポンギさんのことは今年の6月、「琉球新報」で連載特集があった。
朝鮮戦争時、沖縄が米軍の出撃基地であったこと、ベトナム戦争時は韓国軍と米軍が共同戦線をはったこと、そして「朝鮮有事」がささやかれる度に沖縄の基地がきなくさくなる。米軍基地・米軍犯罪についての沖・韓連帯も始まっている。
前置きが長くなった。
来年が1999年なので「3・1独立運動」から80年を迎えることになる。この出版の意味のひとつはそこにある。つまり80年の歴史の中で「3・1独立運動」の意義を通して韓国民衆運動、就中権力に抗する民衆の歴史をあらためてまなび、確認する作業が現在も韓国で行なわれているということである。
今ひとつ。この原著は「韓国基督教歴史研究所」によるシンポジウムとその報告なのだが、その韓国の民衆にキリスト教がどういう役割をはたしたのか、今果しているのか、今後果そうとしているのかが問われている。これは日本にいるものにとってはどうでもよいことのように思われるかもしれない。しかし、韓国が現在世界有数のキリスト教国であることに、韓国を訪れたものはその教会の多さ、十字架の多さ、礼拝出席者、そして信仰の強さに度胆を抜かされることであったであろう。韓国現代史の中で、民衆史というのであれば、キリスト教的視点は不可欠なのである。「韓国基督教歴史研究所」の李萬烈所長は本書の日本語版への序文の中で「キリスト教史的な観点からアプローチしなければならない三・一運動研究は」韓国でも「まだその端緒についたばかりの状態」といわれる。実際には十数年ほどの歩みがあると思われるがその関心がシンポジウム開催と報告書出版でありこの日本語訳出版の意義もそこにある。
日本においては、歴史にせよ政治にせよ文化にせよ「民衆的関心」が教会の側にないしその力もないのだが、だからこそ日本のキリスト者もまた本書から多くを学ぶ意義があるだろう。
報告者はその李萬烈教授の元で活躍中の韓国中堅の歴史学者でありキリスト者である。何度か来日もされ、かつての青丘文庫や神戸学生青年センターでいくつか集会も開催され顔見知りの方々である。
まず、李教授が問題の所在を概括され、キリスト教的視点で三・一運動を研究することの意義を語られている。教授の温厚でやさしく、それでいて厳しい(民主化闘争期の獄中体験)、何よりも信仰者としての口調が伝わり、多くの人々に読んでほしい講演である。
第二章の尹慶老教授は三・一運動に先立つ1910年代の状況を、とりわけ教授の専門である「105人事件」を中心に報告されている。教授もまた民族の、人間の悲しみや辛さを歴史研究を通して語っておられる。教授の人柄が伺える論文である。
第三章は李徳周牧師による詳細な「堤岩里教会事件」の真相であり、我々はあらためてこの事件について、何が起こったのかを知らされる。李牧師はこの事件をたんなる受難事件としてではなく、積極的な意味での「抵抗運動」としてみるべきだと提起する。この視点は大きなチャレンジであると思われる。韓国ではどのような評価なのか知りたいところでもある。
第四章はその「堤岩里教会事件」に対しての日本側の反応を歴史的に概括した、徐正敏氏の報告である。彼は同志社に留学して日韓キリスト教歴史研究の橋渡しをされた、いや、これからもされる第一人者である。むくげ通信にも登場したこともあり、学生センター韓国語の講師もした。彼が来日した当初、彼の母親がかつて「日本人など信用してはならぬ」といわれて育ったと話してくれたことがあった。苦労して学びまた学び続け、発表し続けている。あの人なつこい笑顔、歌を愛し、神を愛する人柄はその論文にも表れている。しかし、彼の思いとは反対に「日本基督教団」は右傾化し、「歴史に対する罪」など感じなくなりつつある。「戦争責任告白」は1967年当時から右側から攻撃され、70年前後の教団紛争期に左側からも問題提起されたが充分な、生産的論議のないまま、ほとんど無視されている。沖縄の教会の課題で教団は今論議されているが、沖縄の人々はその70年ごろ「平和憲法の本土へ復帰」「戦争責任告白した教団へ合同」といわれ、それが運動となったが、今そのことが問われている。
第五章と第六章は金承台氏によるもので堤岩里事件に対する欧米の反応と関係資料の提示である。欧米宣教師の果した役割などが詳述されているが、その後日帝が文化政治に転換せざるをえなかった要因を彼らが果したといわれる。日帝支配下の朝鮮における欧米宣教師の果した役割については別な観点の調査研究も必要でありその評価も時間をかけたいところである。
訳者は信長正義氏で、むくげ読者にはあらためて紹介するまでもない。何よりもこの大部の翻訳に敬意を表さなければならない。そしてハン・ソッキ先生や蔵田雅彦先生や、青丘文庫「日韓キリスト教史研究会」に参加された方々を思わずにはいられない。やや生硬な訳(韓国語本文=漢字語表現にひきずられる日本語)ではあるが、内容の豊かさと時宜をえた出版はそれを越えている。信長氏がいうとおり「多くの日本人に読んでもらいたい」と心から願うものである。
(沖縄・与那原 後藤 聡)
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