むくげ通信166号(1998年1月25日)

新春合宿、フィールドワークのことなど/飛田 雄一

 

むくげの会恒例の新春合宿は、1月10〜11日、兵庫県の西の端で岡山県に接する赤穂の国民宿舎「」で開かれた。今回の特徴は「いきあたりばったりフィールドワーク」である。昨年の合宿での休会宣言した鹿嶋、風邪で欠席の佐久間を除く男ばっかり7人の珍道中である。

夕方赤穂に着いたメンバーはワゴン車で、赤穂御崎の展望台で瀬戸内海の島々を眺めてから、にある神社へ。この神社はかのを祭る神社である。宮司さんは、朝鮮半島との関わり等を丁寧に教えてくださる。お賽銭をけちったメンバーは、宮司さんのお勧めにより神社の?銘酒「乙女しぼり」1200円を購入する。もちろんその晩には飲み干したが、小瓶でもったいぶってるが味は普通。

夜は、魚料理だ。鍋に船盛りのさしみ。宿は少々難ありだが料理は質量とも申し分なし。酔うほどにメインプログラムの「今年の目標」などの放談会が始まる。

まず昨年の放談会の記録が読み上げられ、赤面する者も多かったが、去年は去年、今年は今年でそれぞれに今年の抱負等を語った。記憶に残ってない人もいるかもしれないが、内外に決意を表しておくために『むくげ実録』の該当部分を再録する。

寺岡/もう少し書きさえすればむくげ叢書になる(10/10に出版記念会を予定、会の決定とする)。今年は韓国と中国に行きたい。タメイキ!! 研究は混迷しているが中世研究に意欲ももっている。

佐々木/韓国に本の買い出しに出かける。叢書の2冊目を来年出版する予定。

信長/昨年9月から翻訳した『3・1運動と堤岩里教会事件』がセンター出版部より出る。翻訳をぼちぼちやっていく。

山根/今年から「韓国人の情緒構造」とくに韓国人女性に共通する意識パターンについて研究したい。小説形式での発表を考えている。

堀内/今年『兵庫朝鮮人労働運動史(解放前)』を出版する。新聞検索はほぼ終了しインターネットでの利用を研究する。「生活史」は別にまとめる。

金/例会によく出席するようにする。いろんなテーマの研究をしてパイロット雑誌たる「通信」に発表する。

飛田/佐久間担当の柳東浩さんの本を協力して完成させる。昨年度公表した2冊のうち1冊は出版したい。94〜96年版むくげ通信合本をやっと完成させた。会のホームページを完成させる。

その他/書誌探索(堀内)に各自の情報を集中するようにする。

翌日、仕事で早退の信長を除く6人は今日中に神戸に着けばいいわ、とばかりに西播史跡めぐりに出発する。

御崎温泉バス停前のひなびた?喫茶店のご主人から御崎温泉街の栄枯盛衰、内部暴露ばなしを興味深く聞いてから、すぐ近くの神社へ。看板等を熱心に読み塩味饅頭を買ってから、御崎灯台を車中より見学した。赤穂といえばやはり赤穂浪士で、赤穂城跡・大石神社に向かう。47士のひとり武林唯七が朝鮮人か、という金英達の解説を聞きながら(正解は豊臣秀吉に連れて来られた中国系朝鮮人の子孫)、忠臣蔵の勉強もする。

大石神社を後にして強制連行朝鮮人の慰霊碑のある相生市に車を走らせる。途中、「右折壷根古墳公園」(現地では「坪根」となっていた)の標識を見つける。「播磨国風土記散歩」の寺岡も知らない公園だというので寄ってみることにする。だが、行けども行けども着かない。そのうちまた別の「丹墳構造の古墳」の標識を見つけるとその山に登ろうと車を降りる。この古墳の延長線場に古墳公園があるかも、とか言いながらかなり山を登るが結局発見できずに断念する。

更に車を走らせると、なんと、昨日訪問した大避神社に出てしまった。1時間半も内陸部を走って、また赤穂の御崎半島の北部に戻ってしまったのである。国民宿舎から直線的に来れば10分だが、あとの祭り。もう意地でも古墳公園を探すことにする。懐かしい人糞肥料をまくお婆さんに坪根の場所を聞き(公園のことはご存知ない)、気をとりなおして出かけることにする。海岸沿いの道はどんどん細くなり、どんづまりの万事休す、すぐ前は海、ワゴン車も進退きわまるところまできて古墳公園の案内をやっと見つける。10基ほどの古墳がある。たしかに公園だが、上下20m、左右15 mほどに小さな公園で管理事務所もなにもない。でも発見したことを喜び、かつ寺岡の感激の表情に慰められる。坪根漁港のカキの作業場もこの際と見学させてもらい(名解説のおばさん、ありがとう)、また来た道を引き返して、今度こそ相生に向かう。

相生市立墓地にある強制連行朝鮮人の慰霊碑は、飛田が一度訪ねたことがあるところだ。しかし行くことは予定しておらず地図もない。やっとたどり着いた相生高校横の市立墓地には、慰霊碑がない。人気のない墓地で何人かに伺って、やっともう一つの市営墓地「古池の東部墓地」に慰霊碑があることが分かる。慰霊碑は正式には「韓国朝鮮人無縁仏之碑」。朝鮮式の本当に立派な碑にびっくりするとともに、建立の尽力された方々の努力にも一同脱帽する。

次の目的地は、これも金英達の予習による高砂市高砂町の十輪寺。境内に豊臣秀吉の朝鮮出兵の時に高砂からとして徴発され犠牲となった96体(飛田が数えると107体あった)の石造高麗仏と供養塔がある。途中、シーボルトもびっくりの「石の宝殿」(500トンの古代巨石)に寄り道し、我々もびっくりする。(後日気になって六甲山にもある石の宝殿に登ったが高砂のそれとは月とスッポンの小さな石だった)

十輪寺の重要文化財の朝鮮曼陀羅は大阪天王寺の大阪市立美術館で寄託しているとのことで見れなかったのは残念だった。

どうせ加古川市を通るならともう1ヵ所、播磨の法隆寺といわれる鶴林寺にも寄ることになった。「高麗の僧・恵便法師は、物部氏ら排仏派の迫害を逃れてこの地に身をかくしておられた。聖徳太子は法師の教えをうけるため、この地に来られた。のち、秦河勝に命じて‥‥建立」とお寺のパンフレットに書かれている。境内にある重要文化財の立派な鐘楼には朝鮮鐘がある。親切な受付のあばさんに鐘楼を管理している方のお住居を聞いて特別に見せて頂くようお願いするにした。そして特別に「黄鐘調」という音色の鐘を2回、私が代表してつかせてもらった。本当にいい音色で、2000円のお布施は決して高くなかった。加古川市内の尾上神社にも朝鮮鐘があるということだが、今回は行かずに余韻を残すこととした。

帰路、明石付近で渋滞に巻きこまれるが、運転手以外の私以外はみな満足そうに寝ているのであった。今回の合宿はむくげの会らしく無計画ゆえに有意義かつ楽しいフィールドワークであった。来年は、四国の××が魚がうまい、明石大橋が完成している、はやはり予習して行こう、などと最後にはまた抱負を語るのであった。

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