神戸学生青年センター50年の歩み(50年記念誌より)

「人間の営みは、いつも場所を媒介として行なわれます。思想的、政治的なものから家庭の営みにいたるまで。ですから、いつの時代でもおおよそ支配者が自らに批判的な人の集まりを弾圧するとき、それは場所の破壊、場所からの追放として現れました。自由な生の営みを願うものは、何ものからも干渉されることのない場所を獲得したいと願います。私たちのセンターは、そうした願いを実現しようとする一つのアプローチです。この園に市民共同体や文化や宗教の営みが花開くことを願っています。」

 この文章は、神戸学生青年センターの最初のカラーパンフレットに、辻建氏によって書かれた趣旨文である。それから50年が経過した。この50年の歩みを振り返ってみる。

六甲キリスト教学生センターの働き

 米国南長老教会外国伝道局による神戸伝道は、1897年から1903年にわたるヘンリー・B・プライスに始まるとされている。その後、1907年この地に神戸神学校が開校され(後に中央神学校となる)、賀川豊彦、富田満らがここで学び、伝道界へと送り出された。1918年には11の自給教会を設立し、東京につぐ長老教会の中心地となった。しかし1941年宗教団体法による日本基督教団の設立にともない中央神学校は1941年閉鎖、宣教師は本国送還となった。

 1945年11月、日本基督改革派教会は、日本基督教団が信条を持たないこと、戦時下に神社参拝に妥協したことを理由として教団より離脱。1951年には日本基督教会が成立した。米国南長老教会は戦後、教団を含むこれら三団体と連携して日本における伝道に協力することとなった。この連携により1947年神戸改革派神学校が設立され、1955年青年伝道をめざして「六甲キリスト教学生センター」が発足した。ここでは聖書研究、英語礼拝クラス、聖歌隊、演劇、ラテン語学習などが行われて、10年間に300名以上の学生がメンバー登録をしている。

 1966年世界伝道局は、活性化をもとめて六甲学生センターの伝道活動を日本基督教団の兵庫教区に委譲することを決定した。

日本基督教団兵庫教区による神戸学生センターの運営

 日本基督教団兵庫教区は、この申し入れを受けて「神戸学生センター運営委員会」(委員長・沼信行のちに今井和登)を立ちあげた。1967年度の運営委員は、今井和登、沼信行、松村克己、魚住せつ、宇都宮佳果、辻建、マグルーダー。1967年5月小池基信氏が研究主事として就任し、マグルーダー宣教師がこれに協力した。同年12月登佐尅己氏とその家族が管理人として入居。この年30名分の寝具を購入。運営委員会は、センターの活動の柱として、①会員制をとらない、②宿泊設備を含む活動の場を提供する、③セミナー開催、資料室の提供を主な方針とすることにした。1966年度の決算は、米国南長老教会からの援助金60万円、施設利用料10万円、特別献金26万円等、計123万円。これを主事、管理人手当、営繕費、備品費等に当てた。

 1968年センター活動2年目を迎えて、センター主催のセミナーを開催した。折から各大学で「学園紛争」が起こり、大学や学問のあり方が問われ始めたが、センターとしてこれらの問題を出来る限り共有しようと努めた。また教会においても教会革新の動きが起こり始めていた。教会青年との対話の場をつくり出そうと願い、セミナーを企画して参加を呼びかけた。(1)「大学生と教師との対話」(2)学生セミナー「現代と人間」(3)牧師セミナー「今日の学生の思想と行動」(4)第2回学生セミナー「沖縄を考える」など。施設利用者も増加して、使用収入は64万円に急増した。

 1969年センター活動3年目に入り、各大学における紛争は一層激しさを増していた。センターはそこでの問題を受けとめる場としての自覚に立ちセミナーを継続した。(5)第3回大学セミナー「知性の変革をめざして」(6)聖書学セミナー「聖書解釈と現代」(7)第4回大学セミナー「わがうちなる朝鮮」。また、自主的な集会もセンターで数多く行われて、主事が事務をとる場所も確保出来ないほどであった。この年度の使用グループ数619、総人数6,844名、宿泊数2,229名、施設利用料98万円と前年比の1.5倍となった。

新会館設立への道

 利用者の増加に伴い、ホールの増設、集会室の改造、寝室拡充のための資金の援助を兵庫教区常置委員会に申請した。申請が受理され、南長老教会より60万円の建築費が決定した。その直後、小池主事とマグルーダー主事により学生センタービル計画が提案され、運営委員会はこの方針で進めることを了承した。

 兵庫教区常置委員会は1969年10月、この件に関する公聴会を開催。それに基づいて同年11月「学生センタービル建築準備委員会」を発足させた。委員は、井坂辰雄(長)、西原基一郎、中谷繁雄、芹野俊郎、宇都宮佳果、辻建、小池基信。これに都市問題研究所がアドバイザーとして参加した。この委員会は1970年5月より「建築実行委員会」となる。

 ビル建築の目的としては、より充実した活動を展開出来る施設の拡張、他からの援助を求めずに経費を自給出来る態勢を目指した。このために都市問題研究所のアドバイスをうけつつ検討を重ね、第6案を最終案として、分譲、賃貸住宅、貸店舗及び駐車場を含むマンションの一部をセンター部分とすることとなった。兵庫教区常置委員会はこの最終案を採択し、1970年6月開催の教団常置委員会はこれを受けて、「学生伝道のために学生センタービルを建築するため、合衆国南長老教会(PCUS)土地の無償譲渡を得ること」の申請についてこれを承認した。

 1970年12月、新学生センター建築のための起工式が行われ、センター事務所を神戸市東灘区御影城之内1478に移転。ここを仮センターとして会館完成までの1年3ヵ月、活動の場とした。建築実行委員会は、教団との折衝により財団法人設立の方向で進めることとし、理事長を河上民雄氏に依頼することを決定した。1971年12月、常置委員会は(1)神戸学生センターの財団法人設立を承認、(2)同センター専任主事として小池基信氏を招聘することを承認した、また同年12月の第37回常任常議員会は「(1)宗教法人たる日本基督教団がこの事業をおこなうことは、現時点においては相当困難なことが明らかとなった。そこで関係者間において検討の結果、教団、教区、関係教会の当事者が役員の中心になって運営管理することが適当な方策と考えられるに致ったので、財団法人を設立すること」(2)「財団法人神戸学生青年センターの設立に伴い、下記の物件(神戸市灘区山田町3丁目1番地1、宅地1503.53㎡、同所1番地2、宅地1065.99㎡)を無償譲渡すること」を賛成多数をもって承認した。

 こうして財団法人神戸学生青年センター設立委員会が発足し、1972年1月第1回委員会が開かれた。委員は河上民雄(長)、小池基信、井坂辰雄、魚住せつ、種谷俊一、西原基一郎、宇都宮佳果、辻建、岸本和世、(陪席)田原潔、南谷繁弘。「寄付行為」の文案について検討している。

 1972年4月9日、財団法人「神戸学生青年センター」の開館式が行われ、新しい装いのもとにセンターが発足した。なおマンション部分についてはマグルーダー主事により「ニューライフ」と命名された。

財団法人神戸学生青年センターの発足

 1972年4月9日、財団法人神戸学生青年センターは理事長河上民雄、館長小池基信のもとに開館式を行い発足した。日本基督教団は同年5月23日、これを教団関係団体として承認した。翌1973年1月、財団法人設立登記を完了した。(センターは、2014年8月に公益財団法人として認定された。)

 センター発足当時の職員は、小池基信館長のもとに辻建主事、事務職員として小林みえ子、管理人が登佐尅己であった。また、ニューライフマンションの管理には、センターの委託を受けて都市問題研究所が担当した。

 センター活動は手さぐりの状態にあったが、前学生センターの経験を生かしてセミナーの開催、図書館の充実、各種文化活動のための場所の提供などを骨子として進むことにした。職員の間で研究会を行って、セミナーの内容の検討なども行った。

 これらの活動費、人件費の収入源としてはマンション3件分の賃貸料、駐車場使用料、部屋の一部の定期利用料、利用者による部屋使用料などが当てられた。

朝鮮史セミナー(セミナー活動とその展開)

 セミナーは、とりあえず2本が発足した。その一つは「朝鮮史セミナー」で、1972年6月に井上秀雄氏の「朝鮮の古代国家」によって第1回が始められた。この「朝鮮史セミナー」をはじめるにはきっかけがあった。センター理事の1人、西原基一郎(韓皙曦)氏がこの年3月にマッケンジー著「義兵闘争から三一独立運動へ」を翻訳出版し、その出版記念会がセンターホールにおいて行われた。その折参加者の間でこの歴史を今後も継続して学習していこうとの提案がなされ、早速企画委員が作られて朝鮮と日本の関係史を学ぶセミナーが発足することになった。

 その後も引き続き、「現代朝鮮と日本」「朝鮮文化と日本」「朝鮮の文学」「李朝時代の思想」「朝鮮近代の民衆運動」「解放後の在日朝鮮人運動」「在日朝鮮人の民族教育」「現在の在日朝鮮人問題」「朝鮮解放40年・日韓条約20年」「兵庫と朝鮮人」「天皇制と朝鮮」「『強制連行』を問う」「日韓条約締結40周年」「中央アジアの朝鮮人」「「韓国併合」100年の年をむかえて」「コリア・映画の世界」「韓流ブームの源流と神戸」「東学農民革命120年」「日韓歴史認識問題とは何か」「ジェンダーから見る植民地主義」「四・二四阪神教育闘争の証言」「兵庫・コリアンの歴史の一断面-三宮、新湊川、武庫川-」「鄭鴻永さんの甲陽園地下壕発見、その後」といったテーマで行われた。

 夏期特別講座として、朴慶植、鄭敬謨、金達寿、姜在彦、梶村秀樹、李進煕、中塚明、金賛汀、金石範、李恢成、大村益夫の諸氏を講師としてお迎えし泊まりこみのセミナーも開催した。セミナーに関連して、「山陰線工事と朝鮮人」「甲陽園地下壕」「神戸市立外国人墓地」などをテーマに国内フィールドワークを開催した。また、韓国に「歴史ツアー」「祭ツアー」として、済州島、江陵、公州、珍島、安東を訪ね、朝鮮民主主義人民共和国、カザフスタン・ウズベキスタンへも訪問している。

 また演劇等のイベントとして、「成昌順・パンソリの夕べ」「水牛楽団コンサート」「沈雨晟・人形劇場」「金明洙・金一玉/韓国伝統舞踊」「瓦礫組・糞氏物語」「曺小女パンソリの夕べ」「がんばれ神戸!安致環ライブ」など。映画会でも、「江戸時代の朝鮮通信使」「ユンボギの日記」「沖縄のハルモニ」「忘却の海峡」「光州は告発する」「李朝残影」「族譜」「しばられた手の祈り」「世界の人へ」「風吹く良き日」「指紋押捺拒否」「レッド・ハント」「梅香里」「あんにょん・サヨナラ」「ウリナラ」「空色の故郷」「笹の墓標」「抗いの記」「アリラン2003」「異なる世界」「血筋」「帰国船」などを上映している。

 センター20周年記念(1992年)には、李泳禧氏講演会を開催している。

 1972年にスタートした朝鮮史セミナーは、2022年11月までに341回開催された。

食品公害セミナー/食料環境セミナー

 セミナーの二本目は「食品公害セミナー」だが、このセミナーの発足に当たってもきっかけがあった。最初これは「婦人生活セミナー」として始められたが、このなかのひとつとして食品公害の問題を取り上げていた。この講演に参加した当時神戸大学農学部助手の保田茂氏とセンターとの出会いが、その後この問題を発展させていくことになる。そして翌1973年6月、「食品公害セミナー」が発足し第1回保田茂氏の「今なにを学び何をすればよいか」を皮切りとして現在まで毎月1回開催されている。1995年4月から名称を「食料環境セミナー」と変えている。

 各シリーズのテーマは、「学校給食を考える」「農業と私たち」「海と私たち」「今、家畜に何が起こっているか」「食生活の総点検」「恐ろしい魔法の薬・界面活性剤」「今、子どもに何が起こっているか」「石油危機と食べもの」「農畜産物の安全性を考える」「医と食と健康」「ゴミと水と都市」「森と水と生きもの」「アトピーを考える」「今、米を考える」「生活環境と大震災」「ダイオキシンと住民運動」「子どもと環境ホルモン」「どうする!? タバコ」「気候変動問題を考える」「一粒の種子から農業を考える」「地域の力-食・農・まちづくり-」「農と出会い、農に生きる」「原子力発電を考える」再生可能エネルギーで地域再生」「若い人の農業実践から」「アグロエコロジー」などである。

 以下のような記念講演も開催した。1980年12月特別セミナー「80年代をどう生きるか-公害の現状と私達のあり方-」宇井純氏、1982年には、100回記念講演として竹熊宜孝氏による「食べものと健康」。1987年9月にはセンター15周年記念講演として「せまりくる21世紀にむけて」と題して、粱瀬義亮氏と槌田劭氏によるシンポジウム。

 1988年特別講演会「いりません!原子力発電」松下竜一氏、1991年9月には200回記念として「あなた、生活を科学していますか」坂下栄氏。2000年12月には、300回を記念して保田茂氏の「21世紀の食を問う」。2019年3月には、500回記念講演会保田茂氏の「日本の食料・農業・農村の未来」。2022年4月には、センター50周年記念講演会「農はいのちをつなぐー時代を超えて引き継がれていくもの・資本主義の先を考える―」宇根豊氏が開催された。

 このセミナーでも以下のような映画が上映されている。「忍びよる農薬禍」「生きている土」「水俣の甘夏」「食物の安全性を追及する」「いのち耕す人々」「フランドン農学校の尾崎さん」「サルー! ハバナ キューバ都市農業リポート」「日本の公害経験~農薬その光と影」「遺伝子組み換えルーレット」。

 食品公害/食料環境セミナーは、1973年6月から2022年11月までに、531回開催されている。

近代日本とキリスト教/現代のキリスト教セミナー 

 センターが日本基督教団と密接な関係にあることについては先に述べたが、そのことからキリスト教思想に関するセミナーの開催が望まれ、1977年5月「近代日本とキリスト教」第1期が発足した。近代以降の日本のキリスト教を批判的にとらえて、正統的立場だけではなく多様な立場からキリスト教精神を生かした人々の思想、生き方を浮かび上がらせようとの意図をもってのぞんだ。「キリシタンから初期プロテスタントまで」「明治後期のキリスト教」「大正期のキリスト教」「昭和初期のキリスト教」「戦後日本のキリスト教」と5年間で1サイクルを終え、センター10周年記念講演として加藤周一氏を迎えて「日本文化の課題」を聞いた。

 1982年4月以降は「近代日本の精神」として、1985年以降は「現代、こころの旅」「神戸とキリスト教を語る」に受け継がれ、1987年5月のセンター15周年記念講演には再び加藤周一氏を迎えて「日本文化対キリスト教」を聞いた。その後、「新共同訳聖書について」「賀川豊彦の全体像」「戦時下・キリスト教の一断面」「現代に生きる神学を学ぶ」「生と死」「戦後50年とキリスト教」「世紀末と宗教」「イエスとは何か」「20世紀のキリスト者」「いま、キリスト教を問う」「芸術のなかのイエス」「若手研究者による東アジアキリスト教史研究」「在日大韓キリスト教教会の歴史」などのテーマで開催されている。コロナ禍、休会中であるが、2019年までに199回のセミナーが開かれた。

東南アジアセミナー/知りたい世界をのぞく会/高作先生と学ぶ会

 3本柱のセミナーのほかに、センターが主催あるいは共催・後援のかたちでいくつかのセミナーを開催した。

 1972年には、のちに食品公害セミナーにつながる婦人生活講座 第1期「生活の中で考える」「私たちの生活は楽になるか」を河上民雄氏がはじめられ、翌年11月までの3期まで開かれた。

 1974年以降「東南アジアセミナー」として「東南アジアの声を聞く集い」やティーチイン「アジア援助のすきま風」「タイにおける労働、住民運動」などを計18回行い、1975年には最初の東南アジア現場研修旅行を行った。この研修旅行はさらに第2回を翌1976年にも行っている。

 また1975年から「現代と人間セミナー」として9回のセミナーを開いたが、寺山修司氏(76.5.7)もお招きしている。

 高作先生と学ぶ会は、2014年にセンターが共催する形でスタートした。初回のテーマは、「憲法の危機と沖縄-辺野古・普天間・高江が問う平和」。その後、「特定秘密保護法」「日の丸・君が代の戦後と現在」「安保法制定後の憲法問題」「天皇の代替わりと憲法問題」「敵基地攻撃能力の保有と憲法論」などをテーマに勉強会が続いた。2022年度よりセンター主催のプログラムとなり、「岸田政権と改憲問題」「米軍基地の環境問題と表現の自由」などをテーマに開催している。

 ほかにも、六甲の小さな音楽会、村山康文写真展、多文化と共生社会を育むワークショップ、絵本をみる・きく・たべる、多賀健太郎絵画展、トモニプロジェクト、神戸平和マップ展、張雨均切り絵・書道作品展、林榮太郎ケーキ教室、居空間RoCoCo活動パネル展、劇団石ひとり芝居「在日バイタルチェック」、解放出版社の本展示販売展、技能実習制度廃止!全国キャラバンIN神戸などを開いている。

 映画上映会としては、「にがい涙の大地から」「Marines Go Home-辺野古・梅香里・矢臼別」「蟻の兵隊」「また、また、辺野古になるまで」「1985年花であること・華僑2世徐翠珍的在日」「クロンビ、風が吹く」「ホームランが聞こえた夏」「女を修理する男」「ミャンマー関西・映画会」「100年の谺-大逆事件は生きている」「ドキュメント人間-大都会の海女」などを開いた。

セミナーからの発展

 「朝鮮史セミナー」との関連で生み出されたのが「朝鮮語講座」であった。初級講座は1975年5月に「むくげの会」の朝鮮語講座を引き継ぐ形で開講され、1976年4月に中級を、1976年7月に上級をそれぞれ開講した。毎年多くの人々が受講し、2002年度はワールドカップの影響もあって4つのクラスで約60名が学んだ。また、韓国のカトリック農民会等が、日本の有機農業運動との交流で学生センターを訪れるときには「通訳」の役割も担っている。開講3年目の1978年から受講者による「学芸会」が毎年行われ、朝鮮語劇の熱演で盛り上がった。10回続いた後に「卒業弁論大会」が開かれたこともあった。キムチチゲハイク、ポジャギ教室(尹英順氏 、金恩順氏)、韓国語手話講座(アンダンテ相永氏)も開催した。林賢宜さんの韓国料理教室は、センターのサロン室を使用して開かれている常設のプログラムで、人気が高い。

 「食品公害セミナー」との関連から生じたのが、「食品公害を追放し安全な食べものを求める会」で、1974年に発足しセンター内に事務所を置いている。有機農産物をつくる生産者とこれを受ける消費者とが協力して、食品公害の実態を学習しながら、生活に必要なより安全な食べものを作るつながりをつくりだそうとの運動体である。(2022年3月に活動を終了した。)

 また、食品公害・食料環境セミナーとの関連で青年たちを対象に「有機農業ワークキャンプ」が1987年8月より兵庫県氷上郡市島町一色農園の協力を得て97年まで行なわれ、94年には「市島発夏子体験」も企画した。また1994年には一色作郎氏を塾長に「農塾」がスタートし、2002年には渋谷冨喜男新塾長のもとで第10期をおこなっており、神戸市西区に実習農園も運営した。市島町をフィールドとする「森林講座」は、96年5月から始まり04年7月まで続けられた。グリーンウェーヴ例会(96年7月~01年3月)、淡路・海とみかん山体験(95年~99年)も企画した。

 1994年に始まった農塾は、座学と実習を行うものだ。開催方法を工夫しながら現在まで継続されており、2022年は、第25期「生産者のお話と農産物販売」が開かれている。ウエスト100のサロン室での「ろっこうおーがにっく市」での販売が好評である。

 土曜ランチサロンは2009年の「ラオスに『海外協力隊』として行ってきました」(天野郡壽氏)から始まった。2017年9月からは土曜ティーサロンへ変更し、「地球の歩き方」の雰囲気で、ソウル、ウガンダ、中国、マニラ、六甲山、マラウイ、アテネ、ホーチミン、台湾、セルビア、ミクロネシア、インドネシア、ネパール、セネガル、ハワイ、タイ、ジンバブエ、モンゴル、インド、アフガニスタン、ミャンマー、ノルウェー、サハリン、コスタリカ、ドイツ、イラク、ポルトガル、パラグアイ、アジスアベバ、タンザニア、モスクワを「歩いて」いる。

 センターに事務所をもつ神戸大学YMCAは、OBOG会を中心に、6月の講演会と12月のKOBE Mass Choirクリスマスコンサートを開催している。(コロナのために中断)

 またセンターに事務所をおく「多文化と共生社会を育むワークショップ」は、2006年以降センターと共催で、音楽会、講演会、ワークショップを開いている。

 こうしてふりかえってみると、この50年間、実に多彩なセミナーを開催している。詳細は別項のセミナー記録をご覧いただければ幸いです。

阪神大震災と六甲奨学基金の設立

 1995年1月17日の阪神淡路大震災で学生センターも給水設備の破損などの被害をうけたが、幸いなことに建物はそのまま使用が可能な状況であった。センターでは、フロン回収などの環境問題へのとりくみとともに、被災留学生・就学生の支援活動に取り組んだ。センターの避難所としての提供、住居の斡旋、生活一時金の支給(一人3万円)、救援物資の配給などを行なった。全国からは多くの募金が寄せられ、767名の留学生・就学生に計2301万円が支給された。一時金の支給は、当時アルバイトをしていた韓国人留学生・鄭燦圭さんの「震災時の留学生・就学生にとって早期に支給される生活一時金は貴重である」という提案に応えたものだった。また、日本語ボランティアの教室が使えなくなってセンターに来られた松岡静子さんの提案を受けてボランティア日本語教室=日本語サロンが発足した。毎週月・土曜日にセンター内でひかられており、生徒とボランティアは年々増え、これまでに975名の学習者の参加があり、2022年度には学習者39名、ボランティア教師が36名でマンツーマン形式の授業を行なっている。

 全国から寄せられた募金の残高約1300万円から「六甲奨学基金」がつくられた。兵庫県下のアジアからの留学生・就学生に月額5万円の奨学金を支給するもので、96年度より現在まで、毎年4~10名名計156名に支給している。支給総額は、2022年度までで9255万円になる。2004年~2008年には三木原さんの寄付3000万円で三木原奨学金(のち一粒の麦奨学基金)が作られて40名に支給された。

 六甲奨学基金は、震災時の日本DECからの寄付金1000万円に支援金の残金300万円でスタートした。当初引き続き寄付をつのることによって10年間毎年300万円の奨学金支給をする計画であった。しかしその後の寄付が集まらず、資金集めのために1998年に始めたのが「古本市」。3~5月の60日間の開催で、多い年は450万円を売り上げた。新しいセンターに移転後は常設古本市となっている。2022年1月~12月の売り上げは2,332,485円となった。

 1998年にスタートした古本市の2022年12月までの総売り上げは、8042万円となっている。60万円(月額5万円)の奨学金、134名分に相当する。古本市の成功がなければ六甲奨学基金は継続できなかったことになる。

 日本語サロンの関連では、「ボランティア養成講座」「やさしい日本語講座」基金運営委員による「実践・日本語学習支援講座」も開催された。

センター出版部とロビー書店、そしてフェアトレードショップの「なんやか屋」

 セミナーの内容を知りたいとの要望が参加者以外の人たちから寄せられ、セミナー講演録として出版した最初の本が梶村秀樹著「解放後の在日朝鮮人運動」(1980年8月)であった。好評で初版1,000部を短期日に売りつくし、現在まで7刷計7,000部を出している。その後、セミナーの記録として、「在日朝鮮人の民族教育」「現在の在日朝鮮人問題」「医と食と健康」「今、子どもに何が起っているか」「もっと減らせる!ダイオキシン」「賀川豊彦の全体像」「教科書検定と朝鮮」「医と食と健康」「朝鮮近現代史における金日成」「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」「児童文学と朝鮮」「天皇制と朝鮮」「朝鮮統一への想い」を出した。

 セミナーの記録以外に、「母・従軍慰安婦」「指紋制度を問うー歴史・実態・闘いの記録―」「殺生の文明からサリムの文明へ―ハンサリム宣言 ハンサリム宣言再読―」「サラム宣言―指紋押捺拒否裁判意見陳述―」「地震・雷・火事・オヤジ-モッちゃんの半生記」「歴史を生きる教会-天皇制と日本聖公会」「朝鮮人・中国人強制連行強制労働資料集」「朝鮮人従軍慰安婦・女子挺身隊資料集」「国際都市の異邦人・神戸市職員採用国籍差別違憲訴訟の記録」「日韓の歴史教科書を読み直すー新しい相互理解を求めてー」「三・一独立運動と堤岩里教会事件」「アボジの履歴書」「<未完>年表日本と朝鮮のキリスト教100年」「歌劇の街のもうひとつの歴史―宝塚と朝鮮人」「在日朝鮮人90年の軌跡-続・兵庫と朝鮮人-」「朝鮮人強制連行とわたし川崎昭和電工朝鮮人宿舎・舎監の記録」「夏は再びやってくる―戦時下の神戸・オーストラリア兵捕虜の手記-」「風は炎えつつ」「戦時朝鮮人強制労働調査資料集」「同2」「「明治日本の産業革命遺産」と強制労働」を出版した。

 センターにある印刷製本を自動的にする印刷機・リソーグラフを利用した冊子の発行も好評である。「南京事件フォト紀行」「生徒と学ぶ戦争と平和」「国産大豆で、醤油づくり」「自給自足の山村暮らし」「朝鮮人強制労働企業 現在名一覧」「阪神淡路大震災、そのとき、外国人は?」「2017年通常国会における改憲論議―転換点としての5月3日」「<資料集>アジア・太平洋戦争下の「敵国」民間人抑留―神戸の場合―」など。

 売れ行きに応じて増刷する方式(オンデマンド)で、不良在庫を抱える心配がないのがメリットだ。

 センター出版部への依頼もあり、「牧会五十話」「信徒と教職のあゆみ」も出した。出版部のほとんどの本は、Amazonで購入できるようにしている。センター来店で購入の場合は消費税なし、郵送希望の場合は送料分180円+送金手数料、Amazonの場合はそれが不要だ。(手間のことも考えてアマゾンでの購入に誘導している?)

 ロビー書店(一坪書店)は、朝鮮史や在日朝鮮人の人権問題の基本図書をそろえる必要から、1985年9月にスタートした。セミナーの主題に合わせて食品公害関係のものも集めたが、これらの関係書を集めている書店が少ないことから利用者に喜ばれている。ミニコミ誌も一部扱っているが、すべて取次店を経由せず、出版社や発行元から直接仕入れる方式を取っている。もちろん、神戸学生青年センター出版部の本はすべて販売している。

 またロビーでは、one village one earth、シナピス工房、ネパリバザーロ、PEPUP、ピープルツリー、グリーンアイズ、第三世界ショップ、太陽油脂、吉村茶園、日本ケニア交友会などさまざまな商品を販売する「なんやか屋」もオープンし多くのみなさまに利用されている。一角では常設の六甲奨学基金ミニバザーのコーナーもある。

役員/職員、記念事業

 理事長は、1972年の設立当初より2002年まで河上民雄氏がつとめた。その後、2009年まで辻建氏、2021年まで保田茂氏、そしてその後飛田雄一が就任して現在にいたっている。

 館長(常務理事)は、初代館長を勤めた小池基信氏が5年9か月の働きののち1979年12月退任した後を受けて、辻建氏が館長に就任した。11年3か月を勤めたのち1991年4月より飛田雄一が2021年まで、そして2021年、朴淳用が就任して現在にいたっている。

 スタッフとして、1981年以降、鹿嶋節子、山本達志、中野由貴が働き、現在は、都築和可子、大和泰彦が働いている。そのほか、多くのアルバイトに支えられてこれまでやってくることができた。その名前等は別項をごらんいただきたい。登佐尅己氏は1972年の設立以降19年間の働きを終えて1991年3月退職した。

 1982年4月には会館5周年を迎えて記念講演を行い、1982年には財団法人設立に尽力されたマグルーダー氏を北米より招いて会館10周年記念式典を行い、加藤周一氏、竹熊宜孝氏の記念講演、関西芸術座による特別公演を行った。また、1987年4月には開館15周年記念事業として日本基督教団兵庫教区議長藤田公氏を迎えて式典をもち、中嶋正昭、加藤周一、粱瀬義亮、槌田劭、梶村秀樹の諸氏を招いて記念講演会を行った。

 1992年には開館20周年記念事業として、ロビーの大々的な改装工事を行なうともに、劇団「態変」公演、鶴見俊輔、李泳禧、山下惣一各氏の講演会をおこなった。

 2002年(30周年)には、松井やより氏の講演会、2012年(40周年)には、曺喜夫氏講演会を開催した。

 50周年を迎えた2022年、菅根信彦氏の記念式典、李清一氏の記念講演会が開かれた。この50年冊子にその内容を収録している。

センターニュース、メールニュース

 センターニュースは、年3回(4月、9月、12月)発行している。最近は毎号4500部を印刷し、そのうち約4000部が郵便で送られている。2002年発行の30年誌に2002年までのセンターニュースを再録している。それ以降のものについては、この50年誌に再録した。センターニュースは、センターの活動を広く知っていただくためのものだが、活動の貴重な記録となっている。

 不定期発行のメールニュースは、で約5000のメールアドレスに送られている。ホームページは、何度かの改訂が行われて現在のスタイルに到達した。ちなみに、ホームページアドレスの「https://ksyc.jp/」、簡潔なアドレスだが、Kobe Student Youth Centerの頭文字をとって いる。メールニュースは、無料。希望者は、info@ksyc.jp に申し込むことになっている。バックナンバーは、79号(2008年3月)以降のメールニュースがホームページに掲載されている。

 センターニュース、メールニュースともに発行/送付部数が多い。センターニュースは住所の分かるセミナー講師/参加者、古本提供者などに送っている。5000通を越えるときもあったが、数年に一度、名簿の整理をしている。最近送られてこないという方は再度連絡いただければお送りします。メールニュースはセミナーアンケートで送付依頼のあった方、なんらかのルートでセンターとつながりのできた方に送っている。

 1992年には、20年誌『はたちのセンター、新たな出会い』を、2002年には、30年誌『20世紀から21世紀へ』を発行した。2012年には、新聞切り抜き集『新聞記事にみる学生センター40年』を発行した。いずれも近日中に、ホームページ内に「六甲アーカイブ」をつくりダウンロードできるようにする予定である。

諸団体との交流、ネットワーク

 センターの活動を側面から支え、活動をともにして下さった団体、グループとのつながりを抜きにセンターの50年を語るわけにはいかない。

 現在センターに事務所あるいは連絡先をおいている団体/グループは以下のとおりである。

 SCM(学生キリスト教運動)協力委員会、NCC-URM委員会、神戸大学YMCA、むくげの会、神戸・南京をむすぶ会、居空間RoCoCo、多文化と共生社会を育むワークショップ、はんてんの会、神戸石炭火力を考える会、市民デモHYOGO、青丘文庫研究会、アジアキリスト教交流史研究会、強制動員真相究明ネットワーク、神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会、神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会、神戸空襲を記録する会、兵庫県フロン回収・処理推進協議会、松田妙子さんの会、アジア労働者交流集会。

 終了した団体/グループは、以下のとおりである。

 六甲カウンセリング研究所、神戸日本語教育協議会(KECJL)、食品公害を追放し安全な食べものを求める会、INFOG(オゾン層保護・地球温暖化防止国際フォーラム)、兵庫県在日外国人教育研究協議会、外国人の生存権を実現する会、「多民族共生教育フォーラム・2005」実行委員会、兵庫指紋押捺拒否を共にたたかう連絡会など。

 現在センターが属しているネットワークには、神戸NGO協議会、関西NGO協議会、キリスト教施設長会、ひょうご市民活動協議会(HYOGON)、NGO神戸外国人救援ネット、Kife KOBE、ひょうご人権ネットワーク会議、県研(人権啓発研究兵庫県集会実行委員会)などがある。

「移転」のこと、コロナのこと

 2018年ごろからセンターが1階に入っている六甲ニューライフマンションの建て替えが課題となった。1972年に作られたマンションの老朽化、1981年以前のマンションで耐震基準を満たしていないという問題があった。2020年3月、センターは、建て替えに同意した。

 再建後のマンションに再入居も検討されたが、3年近くの他の場所での仮営業の可否、従来の規模の施設を建設することの費用負担が大きな問題であった。最終的に、権利を売って転出することにした。幸いウエスト100(本館)とノース10(分館)の賃貸物件を確保することができた。2021年5月以降、この2か所を拠点に活動が続けられている。宿泊事業は中止したが、貸会議室、古本市、ロビー書店、雑貨販売等は、引き続いて運営されている。

むすびとして

 センター50年の歩みを振り返ってみるとき、時々の時代の要請にこたえて活動をすることができてきたと思う。小さな集まりであるが、多くの人々の力に支えられてのことだと感謝している。

 2022年より「六甲ウィメンズハウス」の事業がスタートしている。2024年4月には40組の入居者をお迎えする。この事業は、セミナー、場の提供(貸会議室等)、六甲奨学基金の事業に加えて、これからのセンターの大きな柱となる事業である。

 この50年間のセンター活動の中心は「出会い」であったと思う。この出会いは、センターを通しての人と人の出会いであり、テーマとテーマの出会いであり、人とテーマあるいはテーマと人との出会いであった。

 この50年の出会いが、さらに新しい出会いを創りだすことを期待しながら次の50年への歩みを進めていきたい。引き続いてともに歩んでくださることを願っている。

※本稿は、30周年記念誌『20世紀から21世紀へ(2002年6月)』所収の略史(辻建、飛田雄一)に飛田が加筆・訂正したものです。セミナー、六甲奨学基金、職員、アルバイト等の記録については、別項をご覧ください。