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青丘文庫研究会月報<222号> 2008年4月1日

発行:青丘文庫研究会 〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1

()神戸学生青年センター内  TEL 078-851-2760 FAX 078-821-5878

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 @在日朝鮮人運動史研究会関西部会(代表・飛田雄一)

 A朝鮮近現代史研究会(代表・水野直樹)

郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>年間購読料3000

     他に、青丘文庫に寄付する図書の購入費として2000円/年をお願いします。

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●青丘文庫研究会のご案内●

 ■第258回朝鮮近現代史研究会

  4月13日(日)午後1時〜3時

「韓国・新政権の足もと−朝鮮半島の南北関係と核問題を読み解く」

                 波佐場清

 ■第302回在日朝鮮人運動史研究会関西部会

  4月13日(日)午後3時〜5時 

 1945年敗戦間際の大阪府特高警察と朝鮮人

    ―防衛研究所で発見した新資料を中心に」

                 塚崎昌之

 ※会場 神戸市立中央図書館内 青丘文庫  TEL 078-371-3351

 ※※この日、図書館は休館です。特別に研究室を使用させていただきますが、入口は 通常の入口よりさらに奥、食堂の手前です。食堂は、もちろんお休みです。

 

<巻頭エッセー>

徒然なるままに   田部美知雄 

 

 また、青丘文庫月報の巻頭エッセーを書く順番が回って来てしまいました。

 少し古いことですが、中学校の検定教科書の展示場で、話題の歴史教科書を見たところ、アジアの漢字表記の名前に、振り仮名がしてありました。上段に音読み、下段に当該国の読み方が印刷されていました。若いころから、当該国の名前の読み方に慣れることは国際化推進の一助になるかも知れませんが、音読みを併記することにより混乱を招くので必要ないと考えるが、なぜ上段に音読みを下段に当該国の読み方が印刷してあるのでしょうか。振り仮名が抜けた箇所には、修正箇所として上段に音読み、下段に当該国の読み方が記入されいていました。これは、検定者の何らかの思いが込められているように思われました。因みに、他の教科書は上段に音読み、当該国の読み方の順番で印刷されていました。下段に当該国の読み方を印刷するなんて、この国の常識からして失礼になるのではないでしょうか。自尊心取り戻すことは、他民族を貶めることではないと考えますが。

 兵庫県在日外国人人権協会のオープンセミナーで、金時鐘さんの講演で、戦時中に皇民化教育を受け皇国少年として育ったことを話されまし。他でも、皇国少女として育ったということを聞きました。この国の敗戦後、多くの子どもたちが皇国少年少女として育ったことに傷つき、皇民化教育を受けながら何事もなかったように外国人とし切捨てられ二重に傷つけられたことについてどれだけのこの国の人々が思いを馳せられるのだろうか。この国の憲法の前文で軍隊を海外派兵することができるのなら、この国に住む人を国民とみなし憲法に基づく権利を保障することは意図も簡単なことではないでしょうか。

 最近、朝鮮民主主義人民共和国に抑留された、第十八富士山丸元船長紅粉勇さんの手記「人生の嵐を越えて」を読みました、この国の為政者が紅粉さんの出航を止めていればこのような事件に遭遇しなかったことを知りました。この国のあり方に疑問を感じました。抑留中に紅粉さんが何度も読み返し心の支えになった聖書を持って帰ることが出来なかったそうです。何らかのかたちで彼の手に聖書が戻れば少しでも彼の心を癒すことができるのではなかと思っています。

 見聞きしたり感じたことを書きました。国語力が弱いので皆さんに十分に思いが伝わるかどうか心配ですが。

 

257回朝鮮近現代史研究会(2008年3月9日)

「朝鮮問題」と国連〜米ソ共同委員会から国連へ〜  李景a

 

 そのむかし、1960年代ぼくが高校へ通っていたとき、1024日は休みであった。国連の誕生日で、韓国ではユーエン・デイ(United Nations)と祝っていた。釜山には米軍基地があったし、朝鮮戦争で死亡した国連軍の墓地もあって、米軍ないし国連の存在は人々の日常生活とも密接な関係にあった。実際、大韓民国は19485月に行われた総選挙で政府が樹立し生まれたわけだから、国連は韓国の生みの親といっても過言ではない。

 モスクワ協定によって設置された米ソ共同委員会がその目的を達成することに失敗したために、「朝鮮の臨時政府」を樹立する問題は宙に浮いてしまった。米国はソ連との直接交渉を諦め、国連に「朝鮮問題」を上程した。今日の報告は、その過程について論じていきたいと思う。

 19463月にはじまった米ソ共同委員会の会談は順調に進んでいったが、南北を統一した民主的な臨時政府の樹立には“民主的な朝鮮の政党、社会団体代表らの意見を十分に聞き、それを政府組織のなかに反映させねばならない”という問題で米ソ双方が対立した。

 米国側は、モスクワ協定に賛成・反対はあくまでも個々人および組織の自由であり、すべての政党・社会団体は見解の如何を問わず米ソ双方の協議の対象となると主張した。それに対しソ連側は、我々が協議すべき朝鮮人の代表は、モスクワ協定を支持し、それを忠実に守ることを約束する政党・社会団体代表であって、“反託運動”を行う者とは協議するわけには行かないと明言した。

 「反対意見」を排除するのは民主主義の原則に悖ると米国がソ連を非難するとソ連は米国は自分に有利な保守勢力を出来るだけ多く協議の対象にしたい考えから、政党・社会団体とは無縁の有名無実の団体までも数多く協議団体として申請させていると応酬、互いに非難合戦を行った。結局、会談は無期延期となり、いわゆる第一回目の米ソ共同委員会の幕を閉じた。

 第二次米ソ共同委員会はトルーマン・ドクトリンが発表されて間もない、19475月に再開された。米ソは、確かに表面的にモスクワ協定を反故にすることを避けていたが、実質的には依然として変わらない姿勢で臨んでいた。

 米ソ共同委員会が再び協議対象の選定をめぐって対立し膠着状態になると、米国は米ソ共同委員会の継続に意味がないと判断し、「朝鮮問題」を米、英、中、ソの四カ国会談に委ねる考えを明らかにした。だが、ソ連の反対に遇い、結局米国はソ連の拒否権が行使できない国連総会に上程する方針を固めた。国務省の内部では19477月、朝鮮問題担当の委員会を構成して政策方針を検討した結果、早くも国連への移管を決定していた(FR 1947Vol VI pp.713-714734-736)。1947917日、米国はマーシャル 国務長官の談話で「朝鮮の独立が遅延されている責任はソ連側にある。朝鮮問題でソ連と合意に達することは不可能である。国連総会が信託統治の期限なしに朝鮮の独立を達成する手段を考え出すことを希望する」(『朝鮮日報』1947.9.19)と述べた。ソ連の国連代表・ビシンスキーは、朝鮮問題を国連に持ち込むことは、米ソ間協定に違反するものだ。また米国が自分の責任に対して違反することでもある。ソ連は断固反対である。米国の政策は国連を破壊していると非難した(『ソウル新聞』1947.9.20)同じ日、ソウルで開かれた米ソ共同委員会においてソ連代表は「米ソ両軍の同時撤退案」をはじめて提案、朝鮮問題の解決を朝鮮人側に委ねる考えを公にして注目された。

 ソ連の同時撤退案は朝鮮問題の解決への新たな挑戦であり、抜本的な考えでもあった。だが、金奎植の談話によれば、それは原則からいって頷けるのもあるが、責任の先決条件も提示せずに撤去のみを主張するのは、愚弄策ではないか。両軍撤退だけでは国際的な責任の履行にはならないのだ(『朝鮮日報』1947.9.29)と朝鮮社会を惑わせていると指摘している。

 米国の方針転換に李承晩は直ちに反応を示して「南で総選挙を実施して政府を樹立すべきだ」と主張した。保守派の政党は挙って米国の考えに支持を表明(韓国民主党、独促国民会、反託闘争委員会など)したが、それは、朝鮮問題の国連総会への上程は信託統治のない「朝鮮独立の手段」だという米国務長官の演説への支持であった。金九も支持、左右合作委員会も支持、民戦は米国方針に対する「ソ連の反対」を支持すると声明を発表するのがやっとであった。

 左右合作委員会の後の談話は注目されよう。「米ソ両国は互いに朝鮮問題の解決に“複線”を敷いたり、南に限定された単独措置で終わらせてはならない」(『朝鮮日報』1947.9.25)と早くも問題の本質を捉えていたのである。

 米ソがヨーロッパで激しく対立していた最中に再開された第二次米ソ共同委員会がいかに形式的な会談であったかを証明している展開であった。

 

301回朝鮮近現代史研究会(2008年3月9日)

神戸港の強制連行・強制労働

        ―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―        飛田雄一

 

 アジア・太平洋戦争の時期に神戸港では強制連行された朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜が強制労働を強いられた。連合国軍捕虜が強制連行されたという表現には若干の違和感があるが、日本軍が占領した地域で捕虜となって連行されたのであるから、考えればまさに強制連行であろう。ここでいう「神戸港」は、一応、船舶荷役、倉庫、造船までとした。

 この地域における強制連行問題の特徴として、@朝鮮人のみならず中国人、連合国軍捕虜が同じ地域および一部では同じ企業で強制労働を強いられたという点、A他の地域に比して比較的多くの資料が残されていること。朝鮮人に関しては、一九四六年のいわゆる「厚生省名簿」/中国人については『事業場報告書』/連合国軍捕虜については、ジョン・レインさんの手記、B朝鮮人、中国人、連合国軍捕虜それぞれに生存者が存在。戦後六十数年たったのち神戸を訪問している。

 このテーマの調査については、199910月に結成された「神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会」(代表・安井三吉神戸大学名誉教授、以後、「調査する会」)が調査研究にあたっている。神戸港の強制連行について、復刻された資料および書かれたものには以下のものがある。@「調査する会」編 『神戸港強制連行の記録−朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜−』明石書店、2004年1月、A「調査する会」編・発行『アジア・太平洋戦争と神戸港―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―』執筆は宮内陽子(「調査する会」、兵庫県在日外国人教育研究協議会)、20042月、B飛田雄一・安井三吉「 神戸港にみる強制連行」(『岩波講座・アジア・太平洋戦争』4巻所収、20062月)などがある。

 今回の報告では、神戸市史、社史等について検討し、また当時の新聞記事についても報告した。(飛田雄一「新聞記事にみる『神戸港の強制連行/強制労働―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―」、『むくげ通信』226号、20081月、参照)

 

●4月11日の朝鮮史セミナー<「済州島四・三事件」の私>は講師の金時鐘さんの体調不良により秋以降に延期します。

●「韓国・大統領論」は予定通り開催します。

講師:金世徳さん(政治学博士、兵庫県立大学非常勤講師)

@6月11日(水)午後7時 李承晩、尹ボ善   会場:神戸学生青年センター

A6月25日(水)午後7時 朴正煕、崔圭夏、全斗煥、盧泰愚

B7月9日(水)午後7時 金泳三、金大中、盧武鉉、そして李明博

 

【今後の研究会の予定】

 5月11日(日)、在日(未定)、近現代史(未定)。6月8日(日)、在日(鄭裕宗)、近現代史(未定)。研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。 

【月報の巻頭エッセーの予定】

 5号以降は、張允植、足立龍枝、太田修、金慶海、斉藤正樹、坂本悠一、高野昭雄、塚崎昌之、土井浩嗣、中川健一、玄善允、松田利彦、三宅美千子、吉川絢子、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

 

【編集後記】

           今年は桜が咲いたのに肌寒い日が続いているようです。パーと花見ができない感じです。4月の研究会終了後の時にはいつも大倉山公園で花見をしますが、ことしはどうでしょうか?

           郵便で月報をお送りしている方には、郵便振替用紙を同封しています。月報の購読料は一年3000円、図書購入募金は2000円、在日朝鮮人運動史研究会会費は5000円です。2008年度分の送金をよろしくお願いします。 飛田雄一 hida@ksyc.jp

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