======================================================================== 青丘文庫研究会月報<215号> 2007年7月1日 発行:青丘文庫研究会 〒657-0064
神戸市灘区山田町3-1-1 (財)神戸学生青年センター内 TEL 078-851-2760 FAX 078-821-5878 http://www.ksyc.jp/sb/ e-mail hida@ksyc.jp @在日朝鮮人運動史研究会関西部会(代表・飛田雄一) A朝鮮近現代史研究会(代表・水野直樹) 郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>年間購読料3000円 ※ 他に、青丘文庫に寄付する図書の購入費として2000円/年をお願いします。 ========================================================================= ●青丘文庫研究会のご案内● ■第251回朝鮮近現代史研究会 7月8日(日)午後3時〜5時 アンダーソン 「日本組合教会の朝鮮伝道と同化政策」 ■第293回在日朝鮮人運動史研究会関西部会 7月8日(日)午後1時〜3時 塚崎昌之 「1920年代前半、大阪における朝鮮人「救済」の開始 〜方面委員・特高・内鮮協和会・朝鮮人」 ※会場 神戸市立中央図書館内 青丘文庫 TEL
078-371-3351 <巻頭エッセー> 貞淑な(?)醜女(ブス)−法廷通訳人哀歌− 佐野通夫 『不実な美女か貞淑な醜女か』は、亡くなったロシア語通訳者・米原万里さんの優れた通訳論です。新潮文庫に収められているので、気軽に手にすることができます(太田直子さんの『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』(光文社新書)も翻訳論としてお薦めです)。一度、これから法廷通訳(裁判所の裁判における通訳)をしようかという人を対象とする裁判所主催の「法廷通訳人セミナー」の講師として演題にこの書名を借りようとしたら、担当の訟廷管理官が「醜女ということばはどうも」と難色をしめしたことがありますが。 さて、会議や講演の通訳は「不実な美女」が一番です。通訳された言葉を聞く人にいかに分かりやすく伝えるかがポイント。極端なことをいえば、発言者が明らかに言い間違えをしていて、しかもそれが発言者の意識の中では、正しいことを言っているつもりであって、話の争点ではない場合、翻訳における誤植の処理と同じく、正しいことを言ったものとして通訳することもあります(もちろん、それが争点になるような言い間違えであれば、通訳者としては発言を確認しますが)。 その対極にいるのが、法廷通訳人です。「貞淑な醜女」に徹しなければなりません。「何も足さない、何も引かない」というコマーシャルがありましたが、言い間違えは言い間違えの通り、訳さなければなりません。「疑わしい」など判断する余地があるので、発言者が言い間違ったということを裁判官が知る必要があります。日本語だけの法廷に行ってみても分かりますが、証人尋問や被告人質問の際、明らかに質問と答えがかみ合っていない応答があります。意図的にはぐらかそうとしているのか、それともふだん慣れない場の緊張でそうなるのかは分かりませんが、通訳人はかみ合っていない応答をその通りに通訳しなければなりません。勝手に「こういう質問をしたのに、こう答えるのか」と発言者に尋ねるわけにもいきません。質問の仕方を変えることができるのは、質問者だけなのです。 一方、確かに構造の似ている朝鮮語と日本語でも、訳すときに全く画一的にその訳が定まるわけではありません。1つの文章を数人が訳したときに、その数人の訳が全く同じ訳文になるかというとそんなことはありません。また、どんなに準備をしていても、聞き取り違い、勘違いの生じるのはこれまた人間が扱う言語としては当然のことです(「貞淑な」に(?)を付けたのはこのためです)。これらを防ぐために、一番簡単なことは複数の通訳者を付けることです。外交通訳なら、双方が各自の通訳者を連れています。私はこのような通訳をしたことはないので、訳し違えがあったときにどのような対応をするのかは分かりませんが。ところが、裁判所は複数通訳を認めたがりません。長時間の裁判も一人で通訳しなければなりません。しかも、法廷での発言者は裁判官、検察官、弁護士、被告人といるわけですが、その4者(4人とは限りません)の発言をすべて1人で通訳します。私の最高は午前午後各2時間ずつの証人尋問等の通訳でしょうか。経験のある方はお分かりですが、通訳を1時間すれば精度はかなり落ちます(このときも1時間おきに小休止は入れてもらったのですが)。 さて、2009年までには裁判員制度が始まることになっています。ここでの通訳制度については、なんら議論されていません。例えば上に述べたかみ合わない応答について、通訳を聞いている人には、通訳の訳し違えと映りかねません。また裁判員裁判では集中的に審理がなされることが想定されています。これを1人の通訳人で通訳するのでしょうか。もし複数の通訳人が付くとすると、その通訳人はどのように役割を担当するのでしょうか。これまで事例がないだけに全く分かりません(速記官のように一定時間ごとに交代するのでしょうか、そうすると、文脈が全く分からなくなります。かといって、その場で他の通訳人の通訳をチェックしながら聞いているのでは、のどは休められるにしても、通訳としての疲労は変わりません)。 法曹界は通訳の困難性、重要性をあまり理解しているとは思えません。法曹界から通訳人にあてて出される文書には総ルビの振ってあるものもあります。「漢字の読めない通訳人」に対する親切だとしても、通常の文書の漢字の読めない日本語力で通訳が可能と法曹界は考えているのでしょうか。通訳は魔法の箱ではないので、事前の準備が重要です。良い通訳者ほど事前の準備をしっかりします(米原さんの本を見ればよく分かります)。しかし、法廷通訳の場合、通訳人だけでは事前に被告人に会ったり、書類を見たりすることもできません。このような中で、外国人被疑者・被告人の権利保障はいかに? 第291回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(2007.5.13) 1920―30年代における「都市失業救済事業」の形成と展開 ―戦前期都市社会政策と内鮮融和団体をめぐって― 杉本 弘幸 本報告では、1920―30年代に行われた主要な都市社会政策の一つである、都市失業救済事業の形成と展開を、京都市社会行政・京都市会の動向や、失業救済事業従事者の反応などを組み込み、戦時期の事業の崩壊にいたるまで、明らかにした。 第1に1925年―29年の冬期失業救済事業期は、救済事業登録希望者が多く、全ての登録希望者が救済されているわけではなかった。徐々に救済事業の規模は拡大し、「知識階級」や土木工事に不向きな西陣織や陶磁器業者や、工場労働者の失業者に対する事業も行われた。しかし、土木労働者以外の対応が不十分で、京都市域の失業者数に比べ、失業救済事業全体の予算の少なさが京都市会などで批判された。大半は土木事業での事業執行に止まり、充分な失業救済対策がないというのが、この時期の評価であった。 第2にまた在日朝鮮人についても、失業救済事業の登録者中、朝鮮人が多数を占め、政策上重要な位置にあった。1930年代初頭にはおおむね京都市域全体の失業者の2人に1人が朝鮮人で、朝鮮人労働者の3人に1人が失業し、日本人労働者全体における失業率と比較すると朝鮮人労働者の失業率は日本人労働者の10倍の失業率だった。登録者の割合は朝鮮人の方が多かったにも関わらず、実際の就業者の割合は朝鮮人の方が低かった。在日朝鮮人に対する失業対策については、当初は全く対策が取られてなかった。しかし朝鮮人自身による自主的な朝鮮人救済機関が設立され、活動を行うが資金難や担い手不足で活動困難に陥る。警察・京都府などが援助し官民合同団体化を行い、一時軌道にのる。こうして作られた「京都協助会」は、在日朝鮮人救済事業の受け皿として期待されたが、疑獄事件が発生し、再び朝鮮人自身による自主運営路線に戻る。しかし再び資金難や施設の火災で運営出来なくなった。このように在日朝鮮人は単なる失業救済事業の受益者ではなく、自主的な生活改善や救済事業を行っていた。そして、京都市の在日朝鮮人対策は、失業救済事業しか存在しない状況となったのである。その後、1937年の京都府協和会設立後は、軍需産業への労務動員計画の中に朝鮮人労働者は取り込まれ、軍需産業を中心に投入された。 第三に1930年以降、循環労働制に対する批判がされ、充分でない「知識階級」や工場労働者向けの失業救済事業が求められた。事業が一年中行われることになった。失業者が特に多かった被差別部落とその周辺部に対しても、事業が行われ、特に市域の周辺部の被差別部落には、地方改善応急施設事業が適用された。西陣地域を代表とする工場労働者対策は訴えられ続けたが、特別な対策はとられなかった。1933年には少額給料生活者失業事業が開始されるが、規模は通常の失業救済事業に比べ、僅かだった。当初は失業救済調査の他に一般行政事務も行っていたが、後には完全に社会調査事務になった。土木救済事業については、循環制度や事業の運用、拡大しつづける救済事業においても救済されない大量の失業者が存在することへの不満が噴出した。無産政党やその系列の労働組合も、失業反対闘争に力を入れ、積極的に失業救済事業登録労働者を組織化しようとしていた。その中で被差別部落民や在日朝鮮人などを組み込んだ形で、失業救済事業労働者が運動家によって組織され、様々な騒擾や陳情が起こった。結局循環制度は維持されるが、事業施行上の適正や公平を維持するために京都市にも就労統制員が設置される。そして賃上げや登録制度説明会、意見聴取なども行われた。しかし、1937年の日中戦争全面化により、軍需景気になり、京都市域も軍需産業が勃興すると、肉体労働者は軍需産業に従事するようになり、一気に人手不足に陥った。西陣労働者を代表として、軍需産業に移行できない層も厳然と存在したが、何の対策もとられなかった。そして土木失業救済事業の就労者が激減し、事業自体が廃止されたのである。 以上、多様な「主体」をめぐる政策形成過程を、戦時期の失業救済事業の廃止にいたるまで明らかにした。従来の研究は、登録者自体の実態解明や、都市レベルの制度的、財政的変遷に留まっていた。しかし、本報告のように各時期における事業のあり方と、登録者や社会運動の動向は密接に関連していた。都市社会政策自体も、その受益者や社会運動との相互規定性によって、政策形成が行われたことは、明らかであろう。このような政策形成が行われたからこそ、散発的なものを除いて、米騒動以降、大規模な民衆騒擾を抑止できたのである。これまでの戦前期都市社会政策史像は、大きく修正されなければならない。また各都市間の比較を行うことで、1920年―30年代の都市社会政策の特質を明らかにできるだろう。今後の課題としたい。 第3回在日朝鮮人運動史研究会 日・韓合同研究会のご案内 ■日時:2007年8月4日(土)午後1時〜5日(日)午後 研究発表討論(4日午後、5日午前)と韓人歴史資料館見学(5日午後、予定) ■会場:大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス (東京メトロ〈地下鉄〉日比谷線・神谷町駅、都営地下鉄大江戸線・赤羽橋駅下車) ■費用:参加費¥1,000(資料代込)、 懇親会費¥5,000(学生・韓国からの参加者には割引があります) ■宿泊:大阪経済法科大学東京麻布台セミナーハウス、 費用は和室(3人)で一人¥4,000。ベッドルームは¥5,000です。 ■主催:在日朝鮮人運動史研究会関東部会(代表・樋口雄一) ■共催:在日朝鮮人運動史研究会関西部会(代表・飛田雄一) 韓日民族問題学会(代表・崔永鎬) ■申込締切:2007年7月15日(日) ■問い合せ・申込先:在日朝鮮人運動史研究会関西部会 〒657-0064
神戸市灘区山田町3-1-1 神戸学生青年センター内 飛田雄一(ひだ ゆういち)TEL 078-851-2760 FAX 078-821-5878 e-mail hida@ksyc.jp 【今後の研究会の予定】 8月は休みですが東京で下記の日韓合同研究会を開催します。9月9日(日)、在日・梁明心、近現代史・孫正権、研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。 【月報の巻頭エッセーの予定】 9月号以降は、堀添伸一郎、金誠、佐藤典子、佐野通夫、田部美智雄、張允植。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。 |