青丘文庫月報・143号・99年11月1日
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第219回 在日朝鮮人運動史研究会会
11月14日(日)午後1時〜3時
報告者 飛田 雄一
テーマ「神戸港における戦時下強制連行」
第182回 朝鮮民族運動史研究会
11月14日(日)午後3時〜5時
報告者 クリスティーニ
テーマ「戦後日本における植民地朝鮮の記憶」
※会場はいずれも青丘文庫(神戸市立中央図書館内)
巻頭エッセイ/仮面劇との出会い 高正子
秋夕(今年は9月24日)を前後しての連休を避けてソウルの金浦空港に降り立ったのは、9月27日の夕方だった。翌日の28日には清涼里駅から「セマウル」号に乗り4時間、安東に着くとお昼になっていた。安東は7年前の1993年に訪れて以来の二度目になる。
安東といえば、河回村で10年に一度催される河回別神クッが有名で、それは1928年を最後に催されることがなかったが、1973年の民俗文化再生運動の最中に再び甦った。河回仮面劇研究会の発足でその狼煙が上げられた発掘作業は、まず1928年当時の河回別神クッに参加したした人を探すことから始まった。見物人たちの話を総合し概要がつかめた1977年に、当時17歳で閣氏役に出演していたリ・チャンヒ翁を探し出すことで河回別神クッの再現が可能になった。
私は以前から在日の二世・三世たちの民族教育に関わっていた。その関わりのなかで民俗文化とナショナリズムの関係に関心を寄せるようになったが、それは、私の仮面劇との出会に始まる。仮面劇のなかに登場する人物に両親も含めた1世の姿を私はいつしか重ね合わせていた。悲しいときに笑い、嬉しいときにも笑う1世の姿のたくましさがそこにはあった。そんな仮面劇との出会いから十数年、ややもすれば美化しがちな民族文化をどのように次の世代に伝えるのかは、私にとって重要な課題になった。そのために、先ず仮面劇が時代の制約の中でいかに語られて来たのか、また、いかに変貌したのかを見極め、一地方文化が国民文化に立ち上がったとき、その現代的な意味は何かを探りたいと思った。遅ればせながら来年には韓国に入り、一年間生活してみることにした。今回は、来年生活する村を決めるための旅であり、そのための訪れだった。
これ以前、私は童話作家の権正生先生を訪ねたことがある。権正生先生は私が翻訳した「オンマの白いチョゴリ」の原作者で幼年期を日本で過ごした方で、父親が屑拾いをして集めた宮沢賢治やオスカーワイルドの本を読みあさったという。解放の嵐の中で帰国した故郷で肺を患い一人家を離れ、安東の小さな田舎の教会で鐘をつきながら童話を書いている。先生の童話には障害を持った人たちのけなげに生きる姿が描かれている。私が翻訳した作品は、オンマ(母)と七人の子どもたちの数奇な運命の物語、そこに描かれたオンマは近代以降の朝鮮半島の歴史に翻弄される民衆の姿であり、韓国のどの家庭にも起こった話である。表現される言葉も朝鮮の固有語にこだわりがあり、それに暖かな先生の人柄が忍ばれる作品だった。この作品を友人から紹介されたとき、是非翻訳したいと思い先生に手紙を書いた。つたない朝鮮語での手紙であるにもかかわらず、先生は快く承諾して下さった。
このときの訪問は出来上がった絵本を携え、先生に報告するためだった。韓国にいる友人も含めて何人かで昼間に先生宅にお邪魔し、その足で河回村に入ったとき、夜になっていた。とても遠いというのが私の初印象だった。安東という文化財の宝庫のような地域で、何よりも河回村という地域の後ろ盾がある河回の仮面劇は、その他の仮面劇の実情とは距離があると今回の旅で感じた。それに、千年もの以前に遡って制作された河回の仮面、仮面にまつわる悲しい恋の伝説も含めて何故か私には神秘的すぎるように思えてならなかった。
翌朝、私は農民の生活が残っている地域を求めて高速バスに乗り、一路南へと向かい、馬山を経て南海岸の固城へたどり着いた。ここは、私が1991年日本で民族文化を学ぶ仲間たちと訪れた地域だ。その年の2月に私は、誰の紹介もなく固城五広大(重要無形文化財第7号指定)の伝承会館へ訪ねていった。その時、私を迎えたのは当時総務をしていたイ・ウンソックさんで、現在は保存会の会長だ。見ず知らずの私をイ会長は優しく迎え、私の求めに応じてくれた。また、今度来るときまでに見るようにと固城五広大(仮面劇)の公演ビデオを下さった。日本で生まれ育ち、朝鮮語もろくに話せない総勢11名の青年たちは、この年の8月にここを訪れ、人間国宝の先生方に直接固城五広大ノリの手ほどきを受けた。最終日の発表の時、私たちの思いを綴った告祀文を朗読したが、先生方も私たちも一緒に涙したのを今もハッキリ覚えている。故国がこれほど暖かいものだという経験を私はこの時にした。穏やかな田園に囲まれた固城、ここに来れば本当に素朴で暖かな韓国人に出会える。この日も私を迎えてくれたイ・ウンソック会長は、こんな私の期待を決して裏切らなかった。
第181回 朝鮮民族運動史研究会(7月 18日)
森川展昭「1950年代後半期の延辺での民族整風運動について」(省略)
第217回 在日朝鮮人運動史研究会(7月18日)
在日朝鮮人の通称名の歴史と現状 金英達
在日朝鮮人の日本名使用の起源と現状について、「創氏改名によって強制されて始まり、現在も日本社会の差別によって余儀なくされている」という実に簡明な説明がなされることがある。しかし、このような言葉からは、主体性のない在日朝鮮人像がイメージされ、生活感覚のある歴史が思い浮かばない。
実際には、1940年の創氏改名実施以前から、「内地名」と呼ばれた日本名を使用する在日朝鮮人は多くいた。それは法的・行政的強制や社会的差別の圧力とは関係なしに、まったく日本での生活上の便利のために使っていたと考えられる。というのは、当時は内地名を名乗っていても、朝鮮人だということは言葉などからすぐ分かったからである。そして、それはあくまでも通称名であって、公的な通用力はまったくなかった。
1940〜45年の創氏や改名による日本的氏名は、法的強制と行政的強要が作用したものである。しかもそれは、通称名ではなく戸籍上の本名であった。この創氏と改名については、その法的メカニズムを理解したうえで、法的システムとしての内地式「氏」の強制と、皇民化政策による行政的強要による内地風「氏」の設定や内地風「名」への変更を区別して議論しなければならない。そのうえで、創氏改名が現在の在日朝鮮人の日本的通称名とどのように歴史的連関があるかを究明すべきである。
解放後、創氏改名による日本的氏名は、南北朝鮮においてそれぞれの法的措置によって無効化された。現在の在日朝鮮人には、日本名に変えさせられる何らの法的強制力は働いていない。ところが、戦前にも増して多くの在日朝鮮人が日本的な通称名を使用していたり、本名と通名を使い分けたりしているのが現実だ。その原因をきちんと解明することが、議論の先決問題であろう。
その原因については、たんに歴史的経緯だけではなく、さまざまな内的および外的な要因が考えられる。必ずしも「押し付けられている」とか「使用を余儀なくされている」とは言えない側面もある。つまり、日本での生活における日本名使用の便宜性は、いつの時代にも変わらないからであり、何よりも在日の歴史が長期化して世代交代が繰り返され、在日朝鮮人社会の内部状況が変化しているのである。その内部状況の変化とは、若い世代の文化的日本人化と、民族性が一番と考えない価値観の多様化である。この現実を十分に考慮して名前の問題を考えなければ、空理空論になってしまうだろう。
そのほかに、特に制度的な要因として、日本の外国人登録における通称名併記登録という実務慣行が通称名を支えていることを強調したい。外国人登録では、法文にない行政実務上の慣行として通称名併記登録ということが行われているが、それによって生活上の通称名が公的帳簿に登録されて公証されることにより、登記・登録・契約・預金名義・学籍名簿・職場名簿などに広く通用力を持ち、それはもはや通称名ではなく、第二の法律名として機能しているのである。
そこで、今後の「本名を呼び名乗る運動」を再考する問題提起を兼ねて、在日朝鮮人の名前の実態を次のように要約してみた。
@ 本名としての「姓」は、本国の法律が適用されるので、あくまでも朝鮮式である。これは本国の法制の問題である。
A 本名としての「名」は、日本的感性の二世・三世の親が命名することから、日本風が増えている。これは移民社会では一般的な現象である。
B 多くの人が通称名を持っている。この要因が何であり、それをどのように評価するかがポイントである。
C その通称名は、日本風であり、日本式(夫婦同氏・親子同氏)に変更される。
D 通称名が外国人登録に併記されることにより、第二の法律名として機能している。
E この通称名公証の制度につき、民団や総連などの民族団体も含めて、在日朝鮮人自身が疑念を持たずに許容している。
F このことは、民族的な名前の本名とは別に、日本的な名前の通名があっても、いっこうにかまわないと考えている在日朝鮮人が多数だということである。
G 多様な価値観を持つ若い世代の在日朝鮮人には、民族的自覚は大事だと考えても、それがただちに名前には結び付かない。
『在日朝鮮人史研究』29号がでました!
(1999年10月30日発行、緑蔭書房発売、122頁、定価2400円+税)
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「内地」渡航管理政策について―1913〜1917年を中心に―
………… 福井譲【研究会の予定】
12月12日(日)民族(水野直樹)在日(梁永厚)
【月報巻頭のエッセー】
12月号(クリスティーニ)2000年1月号(伊地知紀子)
※前月の20日に原稿をよろしく。
編集後記