青丘文庫月報 98年2月1日/126号
追悼・韓皙曦先生
青丘文庫の代表である韓皙曦(ハン・ソッキ)氏は、去る1月23日午前9時40分、大阪の淀川キリスト教病院にて、心不全のため逝去されました。78歳でした。
1979年に青丘文庫を設立して、朝鮮関係文献・資料の収集を始められ、その後、一般に公開して、朝鮮研究者・市民の便宜を図ってこられました。一昨年、文献・資料約3万点を神戸市立図書館に寄贈され、「青丘文庫」は同館の特別コレクションとして昨年6月に新たな出発を遂げたばかりでした。
韓皙曦氏は、ケミカル・シューズ業、不動産業を営む一方、朝鮮史・キリスト教史研究者としても多くの業績を残されました。F・A・マッケンジー『朝鮮の自由のための闘い』(太平出版社、1972年)、韓国基督教歴史研究所『韓国キリスト教の受難と抵抗』(新教出版社、1995年、共訳)などの翻訳、『チゲックン』(日本基督教団出版局、1977年、共編)、『日本の朝鮮支配と宗教政策』(未来社、1988年)などの著作によって、朝鮮・韓国キリスト教史研究の分野において重要な位置を占める研究成果を上げられました。昨年3月には、日本キリスト教会の満州伝道を中心とする海外布教に関する研究論文によって、同志社大学神学部において博士学位を取得されています。また、自伝『人生は七転八起――私の在日七〇年』(岩波書店)を昨年11月に出されました。
青丘文庫においては、朝鮮民族運動史研究会、在日朝鮮人運動史研究会、日韓キリスト教史研究会(現在休会中)の3つの研究会の場を提供されただけでなく、自らもほとんど毎回出席され、報告に耳を傾けてこられました。時には報告者に対して厳しい意見を述べられることもありましたが、暖かい助言や具体的な資料の提供を忘れられたことはありませんでした。朝鮮研究が発展すること、多くの研究者が育つことを願っておられる気持ちがにじみ出るものでした。
韓皙曦氏の突然の訃報に接した私たちは、青丘文庫から大きな恩恵を受けてきたことを今さらながらに強く感じています。韓皙曦氏が遺していかれたものを受けついで、青丘文庫と研究会を今後も発展させていきたいと思います。
韓皙曦氏のご逝去を心より悼みます。
1998年1月29日
朝鮮民族運動史研究会・代表 水野直樹
在日朝鮮人運動史研究会関西部会・代表 飛田雄一
第200回在日朝鮮人運動史研究会関西部会(1997年12月21日)
河明生『韓人日本移民社会経済史(戦前編)』(明石書店)、
西成田豊『在日朝鮮人の「世界」と帝国国家』(東京大学出版会)を読んで
報告 横山 篤夫
書評をまとめて論じる主体的条件を欠くため、納得したところや疑問点を列挙することで報告とさせて頂いた。先ず1997年2月に在日二世の河氏の著作が、続いて日帝時代の日本人の世代から数えると二世にあたる西成田氏の本が5月に刊行され、さらに11月には在日二世の金賛汀氏の『在日コリアン百年史』(三五館)が出版された。在日一世の体験記とは違う視点から、在日朝鮮人史を全体としてとらえなおそうという動きともいえよう。戦後処理問題が未解決であるということと同時に、21世紀を視野に入れて多民族共生社会に日本を変えてゆくためにも、日本近現代史に欠けていた部分として客観的に位置づけてゆこうという共通点をもつ。しかし方法と視座はかなり異なっている。ここでは河氏と西成田氏の著作をとりあげた。
河氏の書名の「韓人」「移民」という用語は、対象とする強制連行前までの在日朝鮮人史では、従来余り使われていない。「移民」については、運動史等の面を捨象して純粋に社会経済史のテーマとして分析するためとの意味づけがあるが、「韓人」についてはとくに触れてはいない。そのことで何かが見えてくるということでなければ在日朝鮮人と表記した方が良いのではないか。
さて従来、在日朝鮮人の存在は、日本の低賃金構造にとって死錐として重要な役割を果たしたという本質的規定で納得してその実態分析が不十分であった、というのが河氏の提起である。そこで就労実態を具体的に見てゆくと、特に下層労働市場での被差別部落民との競合など構造的問題点が見えてくる。河氏はききとりも含めて一世の経験した歴史を追体験する方法で文献批評も行ない、丁寧にこの事実を掘り起こす切り口を開いた。なおここで河氏が用いた「鮮人単身無計画渡日者」という等身大のスケールによる分析方法をわかり易いと報告したが、事実は地縁血縁による計画的渡日だったとのご指摘を頂いた。疑問としては、@大恐慌を挟む前後で時期区分して論ずべきだ、A被差別の生業を模範したとは一概に言えず個別研究で類型化が必要だ、B水平社等の運動をおそれた中小零細業者が朝鮮人を雇用したとする仮説は検証がなければ一般化できないのではないか、等を提起した。
西成田氏は「単一民族史観」を克服した近代日本労働史研究を、在日朝鮮人史をその内に位置づけ鳥瞰的に描き出そうと試みている。1910年〜45年の在日朝鮮人史は、村松高夫・戸塚秀夫両氏の研究(蓄積論、社会的陶冶論)に加えて、「帝国」の政策論で全体像が明らかになるとする。だが5章を主とする政策論は、樋口雄一氏や水野直樹氏等の研究蓄積もくみこまず提起にとどまっているように思われる。6章と7章の1939年〜45年の時期の強制連行期の在日朝鮮人急増の問題を、「移入」(強制)のみでなく「内地」渡航者が急増した側面からも見るべきだとの指摘、在日朝鮮人への徴用の実態分析、1944年からの国民徴用令による強制連行は官斡旋と併存していたとの指摘、強制連行の対象地は主に従来日本への流入の少なかった朝鮮中部地域に意識的に設定したとの分析等、報告者にとっては示唆に富む指摘が少なからずあった。しかし「移入」朝鮮人数を、日本の行政資料からそのまま引用して72万5千人としたり、「帰朝」という用語を地の文に注釈も付けずに使う等納得できないところも目についた。1920−30年代に、在日朝鮮人のなかには職業的差異にもとづく一種の階層分化が存在し、恐慌を通じてそれが「帝国」世界から相対的に自主した独自のネットワーク=在日朝鮮人の「世界」を形成し、それが「移入」朝鮮人の逃亡を組織したところから、従来の逃亡を「消極的抵抗」とするのでなく「積極的抵抗」の一形態と再規定すべではないかとの提起をめぐり、報告者は肯定的に紹介したが、討議で厳しいご批評も出された。
なお報告者が参考に付けたききとりの内容に関して、事実と違うとのご指摘があり、ききとりをどう扱うかについてもご意見を頂いた。
第166回朝鮮民族運動史研究会(1997年12月21日)
植民地支配における同化と差異化―植民地期朝鮮人の戸籍と名前―
報告 水野直樹
日本の植民地支配における「同化」と「差異化」の問題を、戸籍・名前を通じて検討することが、報告のねらいである。普通、日本の植民地政策の基本は同化にあったととらえられている。確かに、基本的な政策目的が同化であったことは間違いない。しかしながら、植民地支配秩序を維持する上では、植民地支配者=日本人と被支配者=朝鮮人との「差異化」(差別を含む広い意味での)をも必要としていたと思われる。
戸籍や名前という点では、「創氏改名」をもって同化政策の端的な表われと見なされることが多い。しかし、植民地支配全期を視野に入れて考えると、戸籍や名前において「差異化」が図られていたことを見逃すことはできない。
日本は、「併合」前から朝鮮人戸籍の「近代化」(日本的な近代化)に力を注いだ。身分(親族)関係の公証、本人特定性(個人の識別、他人との違い)など戸籍が果たす機能が、植民地支配、近代的経済運営を実現するために不可欠であったからである。1909年の民籍法公布、1923年の朝鮮戸籍令施行を通じて、朝鮮人の戸籍は様式上、日本の戸籍とほぼ同一のものとなった(「本貫」欄が残ったが)。
この間、李朝時代には父の姓しか登録されていなかった女性や、姓を持たなかった奴婢身分出身者にも姓や名が付けられ、戸籍に登録されることになった。また、女性の尊称(召史など)や幼名など、「名ト認ムベカラザル称呼」が指定され、戸籍への登録が制限された。朝鮮人の名前が固定され、「近代化」がなされたのである。
しかしその一方で、「内地」と「外地」間の戸籍移動が禁じられたため、戸籍は植民地支配者と被支配者とを区別する基準として機能することになった。また、朝鮮人が「内地人風」の姓や名を付けることに対する制限も行なわれ、名前の点からも「差異化」が図られた。
民籍法施行時に、警察・憲兵が民籍を調査・作製したことに見られるように、強権的な戸籍編製であったこと、朝鮮の伝統を軽視した戸籍・名前の「近代化」であったこと(当局者は建前としては「慣習の尊重」を唱えていたが)などの問題点も指摘できる。1940年の「創氏改名」、1943年の寄留・戸籍調査に示されるように、植民地支配末期には、戸籍・名前における同化・日本化が進められたが、「本貫」記載欄が残るなど、「差異」が完全になくなったわけではない。また、1944年には「内地」への移籍を条件付きで許可する法案が日本政府・朝鮮総督府内で検討されたが、移籍によって「内鮮人及内台人間ニ重大ナル混淆紛乱ヲ生ジ指導取締上種々困難ナル問題ヲ生ズベシ」とする恐れから、実現しなかった。
以上のように、植民地期を通じて、戸籍・名前においては「差異化」が図られ、同化が強調された末期においても「差異」は維持されたのである。
(E-mail mizna@zinbun.kyoto-u.ac.jp URL http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/)
青丘文庫研究会のご案内
第202回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会
第168回 朝鮮民族運動史研究会
亡くなられた韓皙曦さん追悼の勉強会を開きます。
98年2月15日(日)午後1時
@書評 韓皙曦『日本の朝鮮支配と宗教政策』
(未来社、1988年) 信長 正義
A青丘文庫および同研究会の今後の進め方について
※ 会場は、神戸市立中央図書館
(078-371-3351)
今後の研究会の予定
3月15日(日) 金英達(在日) 李景a(民族)
4月15日(日) 梁永厚(在日) 未定 (民族)
巻頭エッセーの原稿
3月号(姜在彦)/4月号(藤井幸之助)
※巻頭エッセーは、前月の20日締め切りです。よろしく。
編集後記
・ 本2月号の月報が、突然の悲しい知らせとなってしまいました。2月15日の研究会は上記のテーマで行なわれます。日韓キリスト教史研究会のメンバーの方も是非ご参加ください。また、2月21日(土)午後2時から、韓さんが属しておられた日本基督教団東神戸教会(阪急御影より徒歩15分、TEL078-851-4334)で「韓皙曦さんを偲ぶ会」が開かれます。韓国では2月7日午後1時から韓国基督史研究所で「故韓皙曦先生追悼礼拝」が開かれるという連絡が入っています。
・ 本月報98年度(98/4〜99/3)年間購読料(3000円)の送金を郵便振替<00970-0-68837 青丘文庫月報>でお願いします。また、98年度も「青丘文庫研究会会員証」が必要な方はその旨もお知らせください。
・ (編集長/飛田 E-mail rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)
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