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青丘文庫月報・186号・2004月3月1日

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●青丘文庫研究会のご案内●

第258回在日朝鮮人運動史研究会関西部会
3月14日(日)午後1時〜3時
「創立直後の水平社・衡平社との交流を進めた在阪朝鮮人
−アナキスト・崔善鳴と李善洪の果たした役割と限界−」 塚崎昌之 

第224回朝鮮近現代史研究会
3月14日(日)午後3時〜5時
 「解放政局と李承晩」李景a

「日本と朝鮮半島の友好を考える京都学生シンポジウム」に参加して 廣岡浄進 

 2004年2月21日(土)〜22日(日)に京都で、「日本と朝鮮半島の友好を考える京都学生シンポジウム〜〜結交通信使(ゆうこうメッセンジャー) from Kyoto〜」が開催された。実行委員会のメンバーからの依頼で、わたしは21日夕方の分科会の進行役をつとめることになった。依頼してきた彼は、京大民受連(民族学校出身者の京大への受験資格を求める連絡協議会)のメンバーでもある。今回は、この企画について書くことにしたい。

 わたしが進行役に入った第2分科会は「植民地支配」をテーマとし、駒込武さん(京大教育学部教員)が発題者であった。進行役にはもう一人、在日朝鮮人を代表して(?)、京大民受連の前代表であった李春煕さんが入った。事前のメールでの調整の末、参加者の祖父母の植民地体験について出し合ってもらおうという駒込さんの案が了承された。

 当日。午後の講演4本の後、17:00〜19:00で分科会が持たれた。駒込さんはNHK-BSで放送された「戦争―心の傷の記憶―」の一部を流して、次のように語った。同じ年に生まれ、女子挺身隊として送られた工場を脱走した結果「従軍慰安婦」にされた故・姜徳景さんと、その企業が丸抱えした実業学校に進んだ駒込さんの父。しかも姜さんは、女学校に通えると聞かされて挺身隊に志願したが、それは嘘だったと語っている。両者の接点を知ったとき、自分にとってものすごい衝撃だった。日本人/朝鮮人、男/女という選別が、そこには働いている。駒込さんの父は戦後東大へ入った。その企業は今なお戦争責任を認めず、昭和天皇の「お召艦」にちなんだ商標を誇らしげに示し続けている。テッサ・モーリス=鈴木の言う「連累」という問題について考えないでは済まされないはずだ、と。

 李さんは82歳の祖父の話で、それに応えた。阪神教育闘争で知事室に乗り込んだこともある祖父だが、家系の優秀さを語ろうとして、その小父さんが朝鮮総督府巡査になったことに言及した、と。「朝鮮人巡査=親日派」と考えていた李さん自身にとって受け容れがたい祖父の言葉であったが、しかし、個人の欲望がからめとられていく植民地支配というものにちなむひとつの逸話として考えたい、と。

 わたしはこのように応答した。父方の祖父には通信兵として沖縄戦に従軍した経験があるが、それを除いては植民地に関わる体験を語っていない。近所の農家の納屋に朝鮮人の一家が住み込んでいたとかいう程度である。「連累」にからめて想起するのは、わが同居人との関係である。わたしの日常生活での言動が女性を支配=植民地化しようとする企てに繋がっているのだということを、わたしは一つひとつ同居人から突きつけを受けることでしか気づけない。わたし(たち)は継続する植民地支配のなかに生きているのではないだろうか。

 意見交換は、活発には進まなかった。終了後に駒込さんは、沈黙に耐えられなくて自分が喋りすぎたと反省していたが。沈黙のひとつの原因には、核家族で育ってきたなかで皆あまり祖父母の昔語りを聞いていない傾向もある。それと同時に、日本人の側がとりわけ、植民地体験をそれとして対象化することが少なく、その内実を語り継ぐことが稀であるようだ。そこには、関係の非対称性とでもいいうる状況があるように思う。

 そうしたなかで印象的だったのは、シンポジウムのスタッフでもあった在日朝鮮人の女子学生の発言である。彼女は祖母が一人存命だが、その祖母はあまり昔のことを話したがらない。それでも話してくれたのは、祖母の実家はもともとは豊かな家だったが、植民地支配下で没落したこと。そして祖母はそのことを、土地を取られたと口惜しそうに口にしたのだそうだ。祖母のなかでは植民地支配が「終わったこと」ではないんだなと感じた、とその学生は言い添えた。

 駒込さんは最後に、参加者たちに祖父母から聞き取りをすることをすすめた。ところでわたしも父方の祖父への聞き取りを目論んで数年になるが、被差別部落史に関わるがゆえに、切り出しそこねている。身内からのこの取り上げにくさこそが、問題の現在性を裏側から照らしているのでもあるのだが。在日の若者たちに植民地体験が語り継がれていないのも、一世の傷の深さを物語る現実の一端なのかもしれない。

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<第222回朝鮮近現代史研究会(2003年12月14日)>

日本亡命中の朴泳孝        金慶海 

 僕が彼について調べる前まで(この何年か前までのこと)の朴泳孝についての知識は、朝鮮朝末期の改革派の指導者の一人で、その運動の時に失敗かなにかをして日本に亡命した人ではなかろうか?の程度でした。

 この何年間、日本の新聞記事の1910年度までのを読んでいるうちに、朴の記事が多数でていたのには驚き。うんうん、こんなこともそんなこともやっていたのかと、関心を持ちだしていたごろに、彼の娘・妙玉[??,ミョオク]と出会う。朝鮮が植民地になるまでの時期(元号は好きじゃないが、明治の頃のこと)で在日コリアンの女性としては、多分、一番多く報道された人物ではなかろうか、ということも解った。彼女について調べようというのが、朴泳孝についての調べの始まり。父親のことを調べないと娘のことも解らないだろうから、と。

 朴泳孝(1861.6.〜1939.9.)は、1882年に初めて来日している。それは、同年に起こったソウルでの軍人暴動の後始末としてだった。同時に、欧米諸国との条約交渉の任務もおびていた。その滞在中のことは彼の日記・「使和記略」に詳しく述べられている。

 彼は、日本に来るとき、国を象徴するものが要るとのことで、いま韓国で使われている太極旗を考案し、上陸地の神戸の旅館で最初に掲げた。彼の曾孫・韓雲晟[ハンウンソン]さんの話では、優れたデザインと絶勝している。

 日本での見聞を通じても朴は、朝鮮の改革が緊要なことだと痛感した。帰国後の朴は、金玉均[キムオッキュン]らと改革派を形成し、国政の改革を断行しはじめた。が、守旧派の反発でうまくはいかず。そこで、1884年12月、ク−デタを起こしたが失敗。金らと共に日本へ亡命。

 日本滞在中の1888年に国政改革のための国王への建白書・「上疎文」を提出する。これは、朝鮮近代国家建設についての画期的な内容であった。金玉均が暗殺(1894年)された後は、在日亡命者たちの実質的な指導者になるが、彼の前途は茨の道だった。

 日清戦争で勝った日本は、亡命者たちを利用しようとして、朴らを帰国させた。朴は、内務大臣に就任し国内改革をしようとしたが、内外の干渉で意のままには行かず。陰謀事件をデッチあげられて、朴は、またも日本に亡命することを余儀なくされた。

 日本に滞在していた1895年から1907年までの間、猛烈な活動を行った。なによりも、亡命者たちの活動を一つにまとめあげる活動や、若い青年たちの教育活動を行う一方で、彼らの帰国運動も行っていた。

 日露戦争で日本が勝利し乙巳条約が締結(1905年)され、朝鮮は実質的な植民地になるが、またもや、日本の侵略者たちは亡命者たちを悪用しようとして、朴をはじめとする彼らを帰国させた。朴は1907年6月に釜山に上陸するが、その時には既に、伊藤博文たちに対する悪感情(日本の朝鮮侵略を嫌う感情とでも言えようか)があって、政治には一切関与しないことを誓ったらしい。が、宮内大臣にさせられた。ちょうどその時は、ハ−グ密使事件が起こり、高宗皇帝が退位させられ、それに連座したとして今度は逮捕される。

 済州島に島流しの刑を宣告されて、1910年までかの地に。1910年8月、韓国は名実共に日本の植民地化。朴は、同年の9月にソウルの家に帰るが、10月、侯爵の称号をかぶされた。周辺大国、特に、日本に翻弄された一政治家の運命。志成らずして1939年に他界する。               

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<第223回朝鮮近現代史研究会(2004年1月11日)>

朝鮮解放直後の教育政策−植民地教育の払拭−               佐野通夫 

 解放後、南北朝鮮の教育には、植民地教育を払拭し、民族の念願に基づいた教育理念を打ち立てるということが求められた。南朝鮮においては、まず日本的な要素を排斥一掃し、民族的意識と精神を基礎とし、その上にデューイ教育哲学を代表とする米国の教育思想を理念とする教育を追求するとされ、これを「新教育(歯嘘整)」と称した。

 しかし、この教育の拡大は考えてみるまでもなく、2つの大きな困難を負っている。すなわち、教員の確保と教材の確保である。植民地下の教育は主に日本人教員によって、日本語の教材を用いて行なわれていた。逆に朝鮮語教材は抑圧され、朝鮮人教員は補助的な役割のみを担うように、その養成も制限的であった。解放直前の1945年4月現在の教員総数約2万7000名中1万2000名が日本人であり、中・高等教育の分野では7割を超える教員が日本人であった。また彼ら日本人教員は校長、教頭など、各学校の中枢部分をほとんどすべて掌握していた。これら日本人教員は解放後間もなく日本に引揚げ、学校再開のためには、その空白を埋める厖大な数の朝鮮人教員を確保する必要があった。その上、かつて教員であった朝鮮人の多くが、解放後は軍政庁の各部門や上級学校に移籍し、その一方で各教育機関への就学希望者が急増したため、教員不足の問題は深刻を極め、多くの無資格、無経験の教員を任用して急場をしのぐ他なかった。このほか、従来使用されていた日本語による教科書にかえて新たに朝鮮語による教科書を急遽編纂することなど、問題は山積していた。

 教育行政部門においても、当初軍政庁は総督府の機構をほぼそのまま踏襲し、各局長にアメリカ人将校を任命するとともに、朝鮮人顧問を採用した。学務局長にはロッカード大尉が就任、金性洙が顧問となった。各室・課の長はアメリカ軍人であったが、1945年11月以降は、彼らを補佐するために各課・室に朝鮮人責任者もおかれることになり、12月には顧問金性洙にかわって朝鮮人学務局長兪億兼、同次長呉天錫が任命された。

 教育制度は従来の複線型学制から単線型学制を採択した。各級学校の年限を見れば、国民学校6年間、中学校3年間、高等中学校6年間(高等中学校の前期3年を中等科、後期3年を高等科とする)、実業高等中学校6年間、師範学校3年間、大学4年間、医科大学6年間(前期2年間を予科とする)、そして医科大学を除く一般大学に1年以上の大学院課程を置いた。そして学期制については従来の3学期を廃止し、1年を2学期に分け、1学期を9月から翌年2月まで、2学期を3月から8月までと定め、新制度は1946年9月から実施することとした。教科書の作成には、多くの学会の力が与っていた。米軍政下で教育の民主化を志向する文教政策は教育の膨張として現れることとなった。

【今後の研究会の予定】

2004年4月11日(日)在日・石黒由章、近現代史、未定
※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。 

【月報の巻頭エッセーの予定】

4月号以降は、福井譲、藤井たけし、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

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【論文集】調査する会編
神戸港強制連行の記録
朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜
明石書店 2004年1月 定価4725円
四六判 352頁

【副読本】調査する会編・発行
(執筆・宮内陽子)
アジア・太平洋戦争と神戸港
―朝鮮人・中国人・連合国軍捕虜―
2004年.2月 B5 32頁 定価840円
発売・みずのわ出版

ジョン・レイン著・平田典子訳
夏は再びやってくる
―戦時下の神戸・元オーストラリア兵捕虜の手記−
神戸学生青年センター出版部
1890円 A5 264頁 04年3月

※調査する会では、論文集を特価3800円+送料210円=4010円、
副読本を800円+送料110円=910円、手記1890円(送料込)で発売中です。
郵便振替<00920-0-150870 神戸港調査する会>で申し込みください。

■朝鮮史セミナー■

金時鐘・ 私の文芸活動−『チンダレ』のころ−
●日 時 2004年3月12日(金)午後6時30分
●会 場 神戸学生青年センターホール TEL 078-851-2760
講演@大阪朝鮮詩人集団機関紙『チンダレ(朝鮮つつじ)』について
神戸大学国際文化学部助教授 宇野田尚哉さん
講演A私の文芸活動−『チンダレ』のころ−   詩人 金時鐘さん
●参加費 800円(学生・留学生400円) 

<編集後記> 2004年度(4月〜)の購読料3000円、図書購入費募金2000円、在日会費5000円を
         郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>でお願いします。

春近し、と思ったら寒くなったりしていますが、いかがお過ごしでしょうか。今号も、次号まわしの原稿もあります。執筆者の方、申し訳ありません。

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