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青丘文庫月報・183号・2003月11月1日

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関西大学、横田夫妻講演会に思う  塚ア昌之

訂正とお詫び

 青丘文庫月報183号(2004年1月号)の<巻頭エッセー>「関西大学、横田夫妻講演会に思う 」 の中で、横田夫妻の講演会の主催を関西大学人権問題研究室としていましたが、関西大学人権問題委員会の誤りでした。訂正するとともに、関西大学人権問題研究室、ならびに関係者の方々の名誉を深く傷つけたことを、心から反省し、お詫びいたします。
  2004年1月22日 塚ア昌之

 11月20日午前、関西大学において関西大学人権問題研究室主催の人権啓発講演会の一環として、拉致被害者家族会代表の横田滋・早紀江夫妻の講演会が行われた。かなりのゼミがこの講演会の参加を課題としたこともあり、600人収容の予定会場に入り切れず、別室でも約200名が映像に見入った。

 最初は滋さんから、淡々と事実経過が語られていたが、講演も終了に近づいたところから、熱がこもり始め、北朝鮮ほど酷い国はないと語られ始めた。さらには、北朝鮮を経済制裁すべきこと、最後には、戦争はよくないかも知れないが今の北朝鮮は戦争してつぶすべきとエスカレートしていった。後で補足をした早紀江さんからは、さらに強い口調で戦争をすべきことが語られた。米日等の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)敵視政策の中、世界からの孤立という戦争状態が、北朝鮮に拉致を行わせた一つの要因であることは明白である。人権問題を語っている人が、戦争こそがまた新たな人権侵害を生むという問題に気がつかないのかなと暗い気持ちになっていった。

質疑応答に入ったが、シンパと思われる中年女性のフォローと学生の「戦争しかない」との発言のみ。学生から疑問点を出すような発言もない。いたたまれず、私(私も一応、学生ですが)が発言・質問をした。「今の北朝鮮にも過去の日本の植民地政策によって家族を待っている人もいる。(この辺りは長くなるので省略)。国家の利益によって個人の人権がないがしろにされる世の中は二度ときてはならない。お互いの非を認め合うのが解決の早道。同じ国家権力の被害者として強制連行問題の解決を政府に諮るつもりはないか。」という趣旨の質問をした。

 それに対し、滋さんの答えは「過去のことはよくわからない。政府に言うつもりはない。」であった。家族会には有形無形の発言統制があるかも知れないが、自分たち以外の人権侵害に知ろうとしない態度では、多くの民衆、ましてや北朝鮮の民衆とつながることはできないのではなかろうか。

それ以外の大きな二つの問題点を指摘しておきたい。

@講演会の司会が副学長、最後のまとめの挨拶が学長であったこと。最近の人権問題研究室の講演会で、学長・副学長が参加し、このような役割を果たすことはなかった。また、今後も拉致問題の講演会を続けて行うとのこと。大学を取り巻く環境が厳しい中、文部科学省に対して、「いい大学」とアピールをしたいのであろうか。

Aこの講演会は、当日の夕刊では、朝日新聞が第2社会面、カラー写真入りで速報した。翌日の朝刊では、毎日新聞、産経新聞が大阪の地方版で報道した。毎日は写真入りである。読売新聞は報じなかった模様である。三紙の記事・写真を含めた面積は大差ない。扱いの重さからすると、朝日→毎日→産経(→読売)の順であろうか。

 また、記事によると、早紀江さんは拉致問題の解決、北朝鮮指導者の考えを変えるのを「一緒に考えて欲しい」、「一緒に闘って欲しい」とだけ発言したかのようになっている。「戦争すべきだ」と述べたことが一切、記事になっていない。毎日にいたっては、「戦争は嫌だ」との発言だけを切り取りとって掲載し、全く、逆の内容にしか読み取れなくしている。報道は真実を伝えず、自己規制を始めているようだ。

 学生たちに参加を課した教授たちは、私が指摘したようなことも後の講義で問題にしてくれたのだろうか。「お上」をうかがう学問・報道…。今は「戦後」ではなく、新たな「戦前」に近づきつつあることに、戦慄を感じた講演会とその周辺であった。

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<第221回朝鮮近現代史研究会 2003.11.9>
植民地下朝鮮における中国人労働者(その4)労働争議と中国人労働者 堀内 稔

 今回の報告は、在朝鮮中国人労働者の労働争議を取り上げた。中国人労働者が関与した労働争議は多くはないが、植民地下の中国人労働者の実態を明らかにするうえで、また自らの生活を守り、権利を主張した中国人の闘いを記録する観点から、無視できないものがある。総督府の統計によると、1912年〜1935年の間に労働争議に参加した中国人は8,187人であった。数こそ多いといえないが、労働者全体の数からすれば、朝鮮人よりも労働争議への参加率は高い。これは彼らが置かれた立場に由来するものであろう。推測にすぎないが、戦前の在日朝鮮人の労働争議参加率も、日本人に比べ高かったのではないかと思われる。

 こうした中国人労働者が直接参加した労働争議のほかに、中国人労働者がストライキ対策の一環として、すなわちスト破りとしてしばしば争議に関係したし、中国人労働者の採用が契機となってストライキが発生するケースもあった。報告では、中国人労働者が直接参加した争議以外に、こうした間接的に関係した争議を含めて紹介した。

 植民地期朝鮮で最も大きな労働争議といわれる元山ゼネストでも、中国人労働者がストライキ対策として雇用されようとした。しかし、中国領事が「他人の不幸を利用して自分たちの利益をはかることはできない」との態度を表明し、中国人労働者に商業会議所側に雇われないよう呼びかけたため、中国人労働者はスト破りに参加しなかったという事実があった。

 中国人の採用が契機となってストが発生した例としては、1923年仁川の加藤精米所争議、1925年の平壌靴下職工組合の争議などがある。とくに後者は、組合対策として中国人労働者を雇用したことが契機となって争議が起こったもので、他の争議も多かれ少なかれ同様の傾向が見られる。

 個々の争議の資料の多くは、当時の新聞記事に依拠した。新聞記事は、同じ争議でも参加人員などが新聞によって異なるなど、その内容が不正確である場合が多い。また、系統的でなく、争議の始まりの記事はあるが結果を報じた記事がなく、争議の結末がわからない場合もある。しかし、他に依るべき資料がないため、こうした新聞記事に依拠せざるを得なかった。

 こうした中国人労働者の争議を指導した労働団体はあったのだろうか。新聞記事を見る限り、全国的な組織はなかったようだ。ただ、地方には平壌には中華労工協会(1929年)、ソウルには在京城中華工会(1935年)といった労働団体があった。しかし、こうした労働団体の性格や活動内容についてはいっさい分からない。少なくとも、こうした労働団体がストを指導した事実は、新聞記事には登場しない。ただ、商業会議所ともいうべき中華商会は、1924年段階で朝鮮の主要7都市に組織されており、中国人の労働争議の仲介にあたった例はあったようだ。

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<第255回在日朝鮮人運動史研究会関西部会 2003.11.9>
1920年代の在阪朝鮮人「融和」教育の見直し
−濟美第四小学校夜学級に関する新資料から−    塚ア昌之

1920年代初頭、日本に流入する朝鮮人が急増する。日本語もほとんど知らないで流入してくる彼らにとって、日本語を修得することは安定した生活を得るための必須条件であった。であるから、初期の教育問題は学齢外の少年・青年の問題が中心的な課題であった。

大阪でも、1922年から急速に、朝鮮人の教育問題に関する新聞記事が増え始める。そういった中で1923年4月、朝鮮人専門の夜学校である濟美第四小学校(現北天満小学校・天神橋筋六丁目交差点すぐ)夜間特別学級第二部が、生徒167名を集めて開設された。開設やその維持にあたっては、「朝鮮人」とあだなされた校長高橋喜八郎氏の努力があったとされる。例えば、1923年9月の関東大震災時の「流言蜚語」が大阪に伝わり、大阪市民にも恐慌をもたらし、学区関係者から多くの朝鮮人青年を集める夜学校は閉鎖を迫られるが、高橋校長は孤立無援の中、夜学校を守りきった。

現在までの1920年代から1930年代の前半期、いわゆる「内鮮融和時代」の在日朝鮮人教育を扱った先行研究では、この濟美第四小学校の取り組みを含め、日本の学校や日本人が行った教育は「融和」教育=「同化」教育とされ、否定的評価しか与えられて来なかった。しかし、今回の発表では、濟美第四小学校の取り組みが単なる「同化」教育とはいえないことを明らかにしたつもりである。

その主な根拠は以下の通りである。

@その前年の12月に成立した大阪朝鮮労働者同盟会の執行委員の一人、金公海が高橋校長に夜学校の開設を要求し、生徒募集にも大きな役割を果たしたこと。

A朝鮮人たちが当時の学校に求めた二つの要求、近代的労働力としての自己育成の教育(日本語の読み書き・計算)、民族性保持のための教育(朝鮮語)の両方に合致するバランスの取れたカリキュラムであったこと。

B夜学校で教えた教員の一人に、1922年に結成された在大阪朝鮮留学生学友会の初代委員長であり、民族主義者であった関西大学生・張應善がいたこと。

C1920年代を通じてどんどん生徒数を増やし、1930年代は500名を数え、1930年代後半まで、他の夜学校と比べ、圧倒的な人気をほこった事。そして、その生徒の多くが学区外、学齢外であり、わざわざ、濟美第四小学校の教育を求めて集まったこと。

D現在まで、肯定的に評価されてきた労働夜学校や民族系夜学校も1920年代は権力側の弾圧で崩壊したというよりも、内部の組織の問題や財政上の理由等で自壊していたこと。

しかし、この取り組みは、濟美第四小学校という点のものでしかなく、広がりを持ちえなかった。それゆえ、上からの政策として「同化」教育の指導が強まる1934年以降の「協和時代」には、次第に変容をとげていったようである。しかし、その具体的な姿は明らかにできていない。今後の課題としたい。

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神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会編
『神戸港強制連行の記録−朝鮮人・中国人そして連合軍捕虜』(明石書店、4725円)

※高い本で恐縮ですが、調査する会では、下記特価で販売します。
     4725円 → 3800円(送料210円)

 ご購入いただける方は、青丘文庫の郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>で、
 送料とも、4010円をご送金ください。(2冊以上は送料をすべて210円とします。)

調査する会では、上記論文集とともに中学生のための<副読本>を1月末に刊行します。またご案内いたします。また、元オーストラリア兵捕虜の手記も2月に神戸学生青年センター出版部より発行の予定です。

<論文集><副読本>出版記念講演会を下記のとおり開催します。
●日時 2004年1月31日(土)午後2時
●会場 神戸学生青年センターホール
●プログラム
  一人芝居「柳行李(やなぎごうり)の秘密」 朴明子
  朝鮮人強制連行と神戸港 金慶海、徐根植、孫敏男
  中国人強制連行と神戸港 村田壮一、安井三吉
  連合軍捕虜と神戸港 平田典子
  <副読本>のこと 宮内陽子
●参加費 500円

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【新刊案内】A
兵庫朝鮮関係研究会編『近代の朝鮮と兵庫』(明石書店、2415円)

購入希望者は、同じく青丘文庫の郵便振替で、特価2000+〒210円をご送金ください。

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●青丘文庫研究会のご案内●

第257回在日朝鮮人運動史研究会関西部会
1月11日(日)午後1時〜3時
「大阪朝鮮詩人集団機関紙『チンダレ(朝鮮つつじ)』について」 宇野田尚哉

第223回朝鮮近現代史研究会
1月11日(日)午後3時〜5時 
「解放直後の教育政策―植民地支配教育の払拭」
佐野通夫

【今後の研究会の予定】
2004年2月8日(日)在日・三宅美千子、近現代史・崔海仙、3月14日(日)在日・塚崎昌之、近現代史・李景a
※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。

【月報の巻頭エッセーの予定】
2月号以降は、張允植、広岡浄進、福井譲、藤井たけし、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

<編集後記>
あけましておめでとうございます。
新年早々、4日に摩耶山にハイキングにいきます。午前10時新幹線新神戸駅1階本屋集合です。正月に酒を飲み過ぎる人は汗をかきにのぼりましょう。ケーブルで追いかけてきて一緒に山頂の「オテルド摩耶」で食事をし、またケーブルで下る?というメンバーもいますが・・。
本年もよろしくお願いします。(飛田雄一 hida@ksyc.jp

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