======================================

青丘文庫月報・183号・2003月11月1日

図書室 〒650-0017 神戸市中央区楠町7-2-1 神戸市立中央図書館内
TEL 078-371-3351相談専用TEL 078-341-6737
編集人 〒657-0064 神戸市灘区山田町3-1-1 (財)神戸学生青年センター内
飛田雄一 TEL 078-851-2760 FAX 078-821-5878
郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>年間購読料3000円
※ 他に、青丘文庫図書購入費として2000円/年をお願いします。
ホームページ http://www.ksyc.jp/sb/
======================================

 釜山訪問雑記  坂本悠一

 去る9月15日から20日にかけて、木村健二氏(下関市立大学)とともに韓国釜山市を訪れた。筆者の勤務先である九州国際大学社会文化研究所の共同研究プロジェクトで、木村さんにも参加してもらっている「近代日朝間における人の移動の研究」の一環として、植民地期の釜山在住日本人関係の資料を調査収集することが目的であった。

15日朝、関釜フェリーが到着した釜山港では、先日の台風で倒壊した大型クレーンが無残な姿をさらしていた。港から早速、タクシーで草邑洞にある「釜山広域市立市民図書館」に向かう。この図書館の前身は、1901年に日本人の団体である弘道会釜山支部によって設立され、植民地時代の1911年に釜山教育会が継承し、1919年には釜山府立図書館となった。韓国の公共図書館としては最も古い歴史があり、昨年800ページの大冊『釜山市民図書館100年史』が刊行されている。市民図書館は、植民地時代の日本語図書を約18,000冊所蔵しており、そのうち朝鮮関係の図書約1700冊(製本雑誌と若干の文書類を含む)については、すでに1998年に『蔵書目録(朝鮮関連解放前日書篇)』が、冊子として刊行されている(佐賀女子大学の長沢雅春氏のホームページにも全文収録)。これらは一般図書とは区別されて、空調設備の整った「古文献資料室」の書庫に収蔵されている。他に、日本語新聞『釜山日報』『朝鮮時報』も所蔵されているが、マイクロ化されて「電子資料室」で閲覧できる。昨年9月に訪れた時、古文献資料室の担当者は日本語のできないアジュマであったが、最近移動があったらしく、今回は大学で第二外国語として日本語を勉強したというアガシで、いろいろと親切にしてもらった。なお、休館日は毎月最終月曜日と日曜日以外の祭日と非常に少なく、開館時間も午前9時から午後5〜8時まで(室と曜日により違い古文献室は平日午後6時まで)と比較的長い。市立図書館は他に10館あり、港に近い「中央図書館」は分館なので、タクシーに乗るときは注意が必要である。

 この日図書館では、木村さんと旧知の車吉旭氏(釜山大学校)と偶然に出会い、東亜大学校のグループを中心に「在朝日本人」にかんするプロジェクト研究が進められており、19日にはその研究会が開かれるとの情報を得ることができた。この日の夜は、崔永鎬(霊山大)、朴晋雨(霊山大)、崔仁宅(東亜大)、鄭孝雲(東義大)各氏らの日本留学経験者に、日本から趙景達氏(千葉大)と我々を加えて、西面の焼肉レストランで大宴会が開かれ、大いに盛り上がった。 

16日は朝から、市民図書館からも遠くなく、アジア大会のスタジアムに近接する「政府記録保存所釜山支所」に向かう。崔永鎬氏が電話で日本人も閲覧可能との確認を取ってくれてはいたものの、私も木村さんも初めでやや緊張する。ゲートには警備員がおり、タクシーの中からパスポートを預けて、入門することができた。受付で、日本でコピーしてきた目録を示して、「この資料が見たい」と話したが、担当者の女性職員は首を縦に振らない。彼女の韓国語が聞き取れず、駄目な理由が判らないという状況に陥ってしまった。まもなく、別の部屋から日本語の少し解るという女性職員が出てきた。今年ここに就職したばかりで、釜山大学校で日本語を少し勉強したという。彼女の言うには、「その資料はここにはない」「分量が多すぎる」ということのようであるが、返事に自信がないらしく、日本語の堪能な友達に電話をかけて通訳を頼んでくれた。「今ここで見れるものだけでよいから」と必死にお願いして、ようやく商工会議所関係の資料(マイクロフィルム)を出してもらえることになった。リーダープリンターは新しい機械が数台あり、自分でプリントできる。館内の職員用食堂での昼食をはさんで、午後3時過ぎまで、1930年代前半の商工会議所設立申請関係書類を閲覧・複写した。閲覧にも料金が必要で、料金体系は少し複雑であるが、閲覧・複写を含めてA3版1枚200ウォン、A4は150ウォン程度になった。語学力の制約で、所蔵資料全体の整理・撮影状況や大田にある本所との分担関係など、判らないことばかりであるが、「情報公開請求書」の「請求人身分」欄には「外国人」の項目があり、日本人でも見せてもらえることが実証できたことは、とりあえずの収穫であった。 

二人の女性職員に見送られて政府記録保存所を後にし、旧市街の大庁洞にある「釜山近代歴史館」に向かう。今年春に開館したばかりで、その開設準備にあたった車吉旭氏から教えてもらった。建物は植民地時代の東洋拓殖釜山支店として建築され、解放後はアメリカの「文化院」として使用されて、1982年には学生による放火事件もあった場所である。1999年の返還後、いろいろな議論があったようであるが、釜山市により社会教育施設としての保存活用が図られたという。展示は、「開港期の釜山」「日帝の釜山収奪」「近代都市釜山」「東洋拓殖株式会社」「近現代韓米関係」に区分され、文書・地図・写真など貴重な資料が陳列されており、これらと解説を収録した図録も刊行されている。日本語の解説は少ないが、一見の価値がある施設である。

  見学後、すぐ近くの宝水洞にある古書店街に向かう。狭い路地に数十の古本屋が軒を並べている。ここには、「古書店」という名の店があり、片言の日本語をしゃべる若い店主が、探究書を他店まで尋ねてくれる。今回は、『釜山港史』(1991年刊)を入手することができた。この日の夕食は、車吉旭氏、釜山に留学中の木村さんの教え子、韓国の学生らも加わって、南浦洞で蔘鶏湯を会食した。 

  翌17日は、早めに帰国した木村さんと別れて、再び市民図書館に向かう。一昨日見当をつけておいた資料をじっくり見ながら、翌日にかけてひたすらコピーに励んだ。日本語図書は貴重書扱いなのであるが、なぜか複写の制限はなく、室内にあるコピー機で自由にセルフコピーできる。料金はプリペイドカード式で1枚約20ウォンと安いが、機械が古く画質は相当に悪い。今回私は、釜山府が1926〜30年に発行していた雑誌『釜山』(日本国内には所蔵が判明しない)、社会事業関係の資料などを収集した。 

  19日、帰国予定を翌日に延ばして、東亜大学校での研究会に出席することにした。宝水洞にある定宿のモーテルでゆっくり朝寝して、午後から東亜大下端キャンパスに向かう。東亜大は、勤務先の古くからの姉妹校であり、常に韓国語の教員を派遣してもらっているほか、毎年2名の留学生を交換しあっている仲であるが、こちらが訪問するのは初めてである。総数2万人と聞いたが、キャンパス内は学生の雑踏、近隣には食物屋が集中して、いかにも学生の街といった雰囲気だ。崔仁宅氏の研究室を尋ね、洪スンクォン史学科教授とも会って、「在朝日本人」研究プロジェクトの概要を伺う。政府から研究費を獲得し、若手研究者を多く動員した大規模な計画のようであり、今後の相互協力をお願いする。研究会は、日本から高崎宗司氏(津田塾大)を招いて開かれ、日本留学組や大学院生らを含めて十数人が参加した。高崎氏の報告(韓国語)は、「日本における在朝日本人研究の状況」というテーマで、近著『植民地朝鮮の日本人』(韓国語訳が発行予定)への反応や、日本でも最近若手の研究者がとりくんでいることなどを話された。著書にたいする体験者の声では、約三分の一が植民地支配を反省しているということであった。 

  終了後、近くの店で夕食会をもち歓談する。帰路、崔永鎬氏の運転する車に、初対面の成海俊氏(東明情報大学校)と同乗、いろいろ話しているうちに、この日飲めなかった崔氏も代行運転で帰る話がまとまり、三人でノレパンに行くことになった。港にほど近い店で、大阪で生まれたという「ハルメ(ハルモニの方言)キム」が経営するスナック(?)に案内される。ママとちょっと年増のアガシにお酌され、崔氏・成氏がなつかしい日本の歌、私が練習中のキム・ジョンハンの唄を歌って、釜山最後の夜を過ごした。

  翌20日朝、昼過ぎの小倉行高速船「ドルフィン」に乗るつもりで港に向かったが、台風接近による高波のため欠航し、やむなく博多行「ビートル」に乗船した。波間を縫っての航行で、二日酔いに船酔いが重なって、只酒を痛飲した反省を強いられたのであった。

●――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――●

 外国人労働者の移動と地域社会変容に関する研究 

―韓国ソウル市における在中朝鮮族を中心として― 

神戸大学大学院文化学研究科 博士課程 金 永基

 韓国における外国人労働者は1990年代初めから急増し、韓国出入国管理所によれば現在37万名程度と推定されている。そのうえ、不法滞留者として働いている外国人労働者は、2000年現在約18万名であるともいわれている。そのうち、大多数を占めているのは、中国朝鮮族であり、彼らは主にソウル市内の九老洞・加里峰洞・禿山洞などの工場密集地域を中心として彼ら独自のコミュニティを形成している。 

 韓国における外国人労働者移動の問題は、既存の研究が主に研究対象とした西欧社会の状況と異なっている。韓国の外国人移住労働者の問題の特殊性は、@西欧とは異なって、外国人移住労働の歴史が非常に短く、その数も相対的に少ない。A外国人の合法的な就業を制限した出入国管理法により、絶対多数の外国人労働者が不法就業者である。B韓国へ流入した外国人労働者は、扶養家族がない単身で短期滞留者が殆どであり、居住形態的にみれば地理的に分散している。したがって西欧で見られる外国人の集団居住地は発達していない。C建設・サービス業より零細製造業分野に就業した外国人労働者の比率が高い。また西欧社会で見られるような移住労働者の労働市場における多様な分化は少ない 。 

 上述したように外国人労働者の移住歴史も短く、九老区を除けば外国人の集団居住地がない。また外国人労働者に関する研究は、主に彼らが働いている職場を中心として、職場内の外国人労働者と韓国人との葛藤や衝突を対象とした研究が殆どである。そして主な研究関心は、外国人労働者が国内経済市場に及ぼした影響に関する研究、政策的な社会改良などにある。 

 以上の背景をふまえて本調査では、3〜4年前から中国朝鮮族を中心として外国人労働者の密集居住地が形成し始まっているソウル市九老区を調査対象地とし、彼らが時間的経過のなかでいかなる独自のアイデンティティやライフスタイルをもって韓国社会に定着・適応していくかを明らかにしようと試みた。調査期間は2003年8月14日から同年同月24日までに、外国人労働者6人と地域住民7人を対象としてインタービュー調査を行った。今回の調査で得られた結果は次のようである。 

@     可視的な外国人労働者の急増。  

外国人労働者は4〜5年前には殆ど見当たらなかったが、現在は百貨店・中心街・食堂などでよく見かけるようになっている。加里峰市場地域でみかける人のなか、約80%は朝鮮族・漢族であり、すでにこの地域は「朝鮮族タウン」として知られている。

A     外国人労働者の支援団体。    

 外国人労働者を支援しているのは宗教団体、とりわけ教会である。主にソウル朝鮮族教会・漢城中国城教会・同胞愛教会などで支援活動が行われており、また加里峰中国同胞タウン作る運動をしている市民団体もある。

B地域住民の反応

外国人労働者に対する地域住民の反応は決して友好的ではないが、しかし敵対的でもない。商売をしている人は、‘外国人労働者がうるさくて面倒だが、同じ民族・同じ人間なので仕方がない’とか、‘朝鮮族がいなくなると困る’というように反応を示している。しかし外国人労働者とあまり接触がない一般住民のインタービュー調査は今回欠如しており、彼らの反応は把握できなかった。

C加里峰市場街の商店

狭くて小さい食堂や中国食品店は中国朝鮮族が経営(殆ど不法滞留者)しており、儲かる商売は韓国人、もしくは韓国籍を持った中国朝鮮族が経営していた。そして10年くらい前までは服屋・電気製品屋などが多かったが現在は激減し、カラオケ・中国食堂・ゲームセンター・ダバン・中国食品店の増加が著しい。

 D外国人労働者(主に朝鮮族)

 彼らは韓国に定着・定住希望しており、家族の呼び寄せも希望している。そして韓国への入国経路は、殆どがブローカを通じた入国しており(1000万ウォン〜1500万ウォン)、偽装結婚のケースも1人いた。入国の目的は経済的な富獲得であり、日常生活の殆どが労働や仕事なので地域社会との接触はあまりない状況である。彼らの収入は大体80万ウォン〜150万ウォンくらいである。

 

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 

●青丘文庫研究会のご案内●

第255回在日朝鮮人運動史研究会関西部会

11月9日(日)午後1時〜3時

1920年代の在阪朝鮮人「融和」教育の見直し−濟美第四小学校夜学級に関する新資料から−」塚崎昌之

第221回朝鮮近現代史研究会

11月9日(日)午後3時〜5時

「植民地下朝鮮における中国人労働者(4)−労働争議と中国人労働者」堀内稔

【今後の研究会の予定】

12月14日(日)、在日(石黒)、近現代史(金慶海)

2003年1月11日(日)、2月8日(日)、3月14日(日)

※研究会は基本的に毎月第2日曜日午後1〜5時に開きます。報告希望者は、飛田または水野までご連絡ください。

【月報の巻頭エッセーの予定】

12月号以降は、張允植、塚崎昌之、広岡浄進、福井譲、藤井たけし、藤永壮、堀内稔、堀添伸一郎、本間千景、松田利彦、水野直樹、文貞愛、森川展昭、山田寛人、横山篤夫、李景a。よろしくお願いします。締め切りは前月の10日です。

<編集後記>

   さわやかな秋の天気が続いていますがいかがお過ごしでしょうか。10月の研究会は、初参加の中国朝鮮族の留学生を迎えて開かれました。終了後、長田の統一マダンにでかけてにぎやかな交流の場となりました。来月12月は忘年会です、と書けば飲み会ばかりの研究会のようですが、いずれにしても研究会後の食事会は毎回楽しみなものです。

   兵庫県の強制連行等の調査を積極的に進めている兵庫朝鮮関係研究会(代表・徐根植氏)の創立20周年と記念論文集出版を祝う会を11月30日(日)午後2時、神戸学生青年センターで開きます。参加費5000円。参加希望者は飛田までご連絡ください。(飛田雄一 hida@ksyc.jp)

青丘文庫月報一覧神戸学生青年センター