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青丘文庫月報・175号・2002月11月1日

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●青丘文庫研究会のご案内●

●第244回在日朝鮮人運動史研究会関西部会
 11月10日(日)午後1時
「戦前および占領期の大阪における在日朝鮮人に関する地理学的研究」
福本拓(京都大学大学院)

●第212回朝鮮近現代史研究会
 11月10日(日)午後3時
「水原におけるプロレタリア展覧会」
喜多恵美子(京都大学大学院)

会場はいずれも青丘文庫(神戸市市立図書館内)

第210回 朝鮮近現代史研究会7月14日(日)

書評:Race to the Swift: State and Finance in Korean Industrialization/ Jung‐en Woo (Columbia University Press, 1991) 286頁   堀添信一郎

 本書は韓国における急速な経済成長を政治経済史視点から明らかにしたものである。国家の金融・市場への介入は連鎖性を有し、特に経済成長を促すとする論点で記されており、植民地時代から80年代までの経済発展を実証主義的に論じ、「漢江の奇跡」は奇跡ではないとする論旨である。特に第3章は、従来、経済学者が論じてきた混乱期である李承晩時代と「漢江の奇跡」が始まる60年代との断絶性について歴史的観点にもとづいて反証しており、いわゆる暗黒期とされている50年代と60年代との連続性を確認することができる。

<著者について>

Meredith Woo‐Cumings 1958年生。韓国人。ノースウェスタン大学準教授(政治学)。Bruce Cumings夫人。

【主要著書】Financial Liberalization in Interventionist States (coedited with Michael Loriaux) (Cornell University Press, 1995)/Race to the Swift: State and Finance in Korean Industrialization/ Jung‐en Woo (Columbia University Press, 1991)
"The Political Economy of Growth in East Asia: A Perspective on the State, Market, and Ideology," in The Role of Government in East Asian Economic Development: A Comparative Institutional Analysis (Oxford University Press for the World Bank, 1995)
"Developmental Bureaucracy in Comparative Perspective: The Evolution of the Korean Civil Service," Economic Development Institute Working Papers, The World Bank, 1994.

<本書の構成>
はじめに
1 理論的考察 
  −財政資源の動員と国家権力/−財政割り当て、国家介入主義、韓国の工業化
  −社会的結実:国家・財政・巨大事業の勃興
2 植民地期における兵士、銀行家、財閥:未来へのプロローグ
  −地域統合及び低開発:1910−1930/−国家、工業化圧力、財閥:1930−1945
3 狂気なまでの方法:李承晩政権期の韓国における輸入代替工業化に関する政治経済学
  −同盟の政治経済学:米国、日本そして韓国における輸入代替化/−財政政策と国家建設
  −政治資本家の台頭/−1957:変速する歴史
4 東アジアの坩堝:韓国の(経済発展的)離陸
  −転換点/−変革と従属/−日韓国交正常化、ヴェトナム戦争、そして東アジア再統合
  −借款政治、韓国官僚主義的権威主義の発生/−結論
5 自立の模索:巨大な圧力
  −安全保障の再評価:ニクソン期、及びそれ以降の韓国/−1970年代における重工業化
  −魔法の五つの(国家的)柱石(鉄鋼、造船、化学工業、機械工業、科学技術)/−結論
6 韓国株式会社の政治経済学:国家・財政・財閥
  −主権上のリスク、及び外債政治/−財政割り当てによる政治
  −社会組織化におけるリスク:韓国株式会社の基礎/−結論
7 緩慢な市場開放:1980年代における財政自由化
  −危機的局面:景気後退、暴動、そして反動/−覇権作用の二律背反
  −経済学、指揮権を執る/−結論
注記/参考文献/索引

<本書を取り上げた理由)>
 近年の韓国の経済成長を形容する用語として「漢江の奇跡」が用いられる。その背景には資源、資本、人的資源の欠如に加え、朝鮮戦争による破壊から奇跡的に復興を遂げ、経済成長を導いた朴正煕政権を研究する上で必然的に用いられる。同時に比較対象として揶揄されるのが、五十年代期、つまり暗黒期と形容される李承晩政権期である。
 李承晩政権の政治経済史的イメージは汚職、不正腐敗、与党自由党と懇意企業との極端なまでの癒着、国内労働市場における高失業に対する無計画なまでの放任主義など、その混乱ぶりは筆舌に尽くしがたいとするイメージが強い。故に李承晩政権期については経済政策の無知、混乱など朴正煕政権期の経済発展と対照的であるため、暗黒期としての定説がほぼ確立したかのように思われる。周知の如く、経済学者の渡辺利夫氏は、1960年代、朴正煕政権が比較優位に基づく輸出志向型発展戦略を採用した開発政治を極めて高く評価する立場から植民地時代・李承晩時代の政治経済路線を収奪と失政とする視点を示している。実際に、輸入代替期における李承晩政権期の開発政策は失敗とされる面が多いのも事実である。五十年代期は暗黒期とされる所以である。
 故に、今日の韓国の経済発展と植民地時代・李承晩時代は断絶したものとして捉らえている。(渡辺利夫 『韓国経済入門』 筑摩書店 1996。同著『韓国―ヴェンチャー・キャピタリズム』講談社現代新書 1986年)
 しかし、渡辺論では植民地時代における植民地当局の民族資本抑圧政策にも拘らず、金性洙など民族資本家の出現や三十年代以降の急速な重化学工業化がもたらした経済システム特に金融システム(朝鮮銀行の金融システムは解放後も今日に至るまで継続)などが韓国において比較優位型産業の樹立に寄与した点について論証が困難になる。また同時に李承晩政権誕生から崩壊に至るまでの一貫したアウタルキーの追求とそれを支える輸入代替工業化志向への論証も困難にさせてしまう。
 しかしながら、近年の研究では李承晩政権のアウタルキーの追求や輸入代替工業化を巡る米国、日本との対立を政治経済史、国際政治史の視点から実証主義的に捉えた李鐘元氏の研究(『東アジア冷戦と韓米日関係』東京大学出版会、1996年)や農地改革に伴う土地資本から産業資本への移行を詳細に論じた金三洙氏の研究(『韓国資本主義国家の成立過程』東京大学出版会、1993年)など従来の李承晩政権の自由放任主義のイメージを再考させる研究が発表されている。
 こうした研究と並んで、本書は植民地時代から築かれてきた強固な国家権力の市場への常態的な介入とそれを支えた金融システムの韓国社会への浸透に関して経済史、歴史的側面から論じている。また、同時に金融システムに加えて植民地時代、李承晩政権期に形成された社会システムの多くは朴正煕政権へ継続しており失政の連続であった五十年代を再考させうると同時にこうした社会経済システムの連続性を俯瞰することで「漢江の奇跡」が奇跡ではないとする論旨となっている。
 先の自分自身の問題意識を踏まえて本書の第3章を中心に先の研究会では発表させて頂いた。故に本月報の内容も先の発表と同様、第3章までを中心に論じさせて頂くことを予め、お断りさせて頂きたい。

<本書の概要>
(理論的考察)
 韓国は、今世紀における四半世紀で極めて急速な成長をとげた国家の1つとされる。その起源は偏在する国家による市場介入であった。これは介入主義国家(intervention state)とされている。しかし、その起源を知らせるものは意外と少ないのが現状である。故に本書はその起源、国家としての強さ、資本的源蓄、韓国の性質に焦点をあてることで本質を見出そうとするものである。特に国家形成の論理としての開発、財政を調査することは研究水準の向上をもたらすとしている。筆者は、韓国の政治的論理が導き出す財政構造が韓国の経済発展と起源を説明する上で、最も適したものになるとしている。
 低開発国家の経済成長を論じる上で、必然的に比較対象とされるのがラテンアメリカと韓国である。しかし従来の比較では韓国の経済成長は論証が困難である。
 国家が市場から利権(rent)を獲得し、継続して蓄積することで経済成長を遂げ、しいては強国となるという論理が存在する。強国として発展は国家の通貨・財政政策が、自らの市場領域を強力に集権化された軍事力を背景にして熱狂的に取り組む。反面、これにそぐわない国家は弱国としての地位に甘んずるというものである。対照的に経済開発に失敗した弱国の論理のバイアスがラテンアメリカに課せられている。
 筆者はこうした論理は韓国には適用困難としている。その根拠として韓国が有する歴史性、地理性、およびそれらの混合としての文化が挙げられる。韓国の急速な経済発展はこれらの条件によるものであるとしている。
 この論理を論証する背景として、経済発展のモデルとしての日本の存在、国家権力の相対的強さ、冷戦期における地政学的地位、世界システムと安全保障体制とのリンクを挙げている。
 特に、韓国が有する歴史的経緯、国内政治と国際政治の混合がもたらす「何か(something)」、安全保障体制がもたらす韓国への影響を専門家(analyst)は副次的なものと扱ってきたことは理解不足を招いているとしている。故に筆者はこの点を踏まえることが研究上の必須事項であると主張している。
 韓国の強力な国家権力が可能にした資本動員は経済発展を優位にならしめ、1970年代における国家による民間へ資本供与は財閥を誕生させた。この資本動員と供与は歴史的経緯に基づくもの、つまり植民地時代から蓄積されてきた金融システムが韓国に根を張った帰結とであるとし、システムの連続性が今日まで見られるのである。
 また強固な経済政策を下支えした絶対的権力(the general government ,朝鮮総督府)のシステムの存在が解放から今日までの系譜を有している。これが市場介入国家の所以とされる。

<第2章 植民地期における兵士、銀行家、財閥:未来へのプロローグ>
 植民地期前半(1910年〜1930年)の朝鮮は低開発状態であった。当時の朝鮮は日本への食料供給国としての穀倉地帯としての役割が課せられた。これに付随して穀物加工業の成立が挙げられるが、朝鮮における工業化は日中戦争期を待たねばならなかった。
 しかし、30年年代以後の工業化を金融面で支えたのが、日本の朝鮮支配の先兵として初期に渡鮮した金融システムであった。この金融システムは日中戦争期の重化学工業化を支えることになった。会社令(1910年12月29日公布)撤廃(1920年4月1日)に伴う日本資本の進出に便宜を図ると同時に朝鮮人民族資本家への融資は零細規模ながらも民族資本成立の起源となった。同時に世界恐慌に伴うブロック経済化は兵站基地としての朝鮮の重化学工業化を推し進めただけでなく、朝鮮半島内における繊維製品などの消費財の消費力を高めることになった。加えて機械部品工業が京仁地域に成立したことも解放後の韓国の開発政策に寄与したとも考察できる。
 これら植民地時代に導入された総督府による絶対的支配システムと金融システムは解放後、韓国の経済成長に影響をもたらすことになる。

<第3章狂気なまでの方法:李承晩政権期の韓国における輸入代替工業化に関する政治経済学>
 1950年代は李承晩の失政により一種の空白期とされるが同時期の韓国は米国から数十億ドルもの巨額の援助を受けている。1946年から1976年にかけて韓国に援助・供与された資金は126億ドルに上るとされる。同時期(1946年〜1978年)にラテンアメリカへ援助・供与された総額が148億9千万ドル、アフリカは6億8千9百万ドルであったことと比較すると韓国がいかなる地位を占めていたかが理解できる。
 李承晩の意図は米国から数十億ドルもの援助を引き出し、それによって安全保障を確保し、復興を支え、統治機構の樹立を模索していたとも考えられる。本章の目的は冷戦下における韓国の地政学的条件を利用しつつ、世界最強の国家から最貧国が最大限のレントを引き出そうとした「貧乏国家」の全体像を描き出そうとしている。
 覇権国家米国から莫大な資金を引き出し、日本に代わる工業国家樹立を目指した李承晩は輸入代替工業化を目指すことで、地歩を固めようとする。国家開発に必須のインフレと意図的なファン貨の過大評価が米国との衝突を不可避とさせたが、それは輸入代替工業化推進の文脈からすれば往々にして理解できる。
 労働市場の拡大、輸入代替工業化による工業化には結局、失敗するも五十年代期には既に比較優位を可能にさせうる工業基盤の構築に成功し、これを支える強力な国家権力による金融システムが六十年代へ引き継がれたことは注目に値する。

(コメント)
 以上が極めて粗雑であるが第3章までの要点である。特に第3章は詳細で実証主義的であるにもかかわらず、以前として李承晩政権期の経済開発志向の特性が李承晩自身の特殊さに還元されてしまう従来の傾向を克服しえていない点が課題となろう。しかしながら、暗黒期とされてきた五十年代像に新たな視点を提示したことは意義深いと言える。また、筆者は同時期に構築された唯一、修錬された韓国の社会システムとしての軍隊が産業訓練に兵士を従事させたことも工業化を支える基盤となったと言及している。しかし、こうした軍隊が有する側面、つまり収賄文化、反共主義、極端な愛国心、権威主義的慣行を容易に受容させうる精神訓練などがもたらした負の面が社会へ落とした影をも考察しており決して開発独裁を賛美しているわけではない。
 李承晩政権がもたらした影は余りにも大きい。だが、単に暗黒とするのではなく如何なるものであったのかを解明することは李承晩政権から多くのシステムを継承し、「漢江の奇跡」をもたらしたとみなされ、再評価されつつある朴正煕政権への一種の警鐘ともなりえよう。

(参考文献)
河合和男・尹明憲著『植民地期の朝鮮工業:朝鮮近代史研究双書10』未来社 1991年
金三洙『『韓国資本主義国家の成立過程』東京大学出版会、1993年
服部民夫編『発展の構図−韓国の工業化』 アジア経済研究所 1987年
李鐘元『東アジア冷戦と韓米日関係』 東京大学出版会 1996年
渡辺利夫『韓国経済入門』 筑摩書店 1996年
渡辺利夫編『概説韓国経済』有斐閣 1990年
渡辺利夫『韓国―ヴェンチャー・キャピタリズム』講談社現代新書 講談社 1986年

(英文)
Bruce Cumings Korea's Place in The Sun  New York: Norton 1997

第242回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会9月8日(日)
戦前、大阪で4回の総選挙に出馬した李善洪の生涯
−アナキスト・シンパから大アジア主義者へ−   塚ア昌之

 李善洪は戦前の大阪において、最も有名な在阪朝鮮人であった。1932年から1942年までの間にいずれも落選はしたが、4回の総選挙に出馬した。1920年代にも、朝鮮人協会会長として多くの新聞記事に登場した。
 従来の彼に対する評価は、岩村登志夫氏が『在日朝鮮人と日本労働者階級』(1972年)で朝鮮人協会を「御用団体」と規定したことや、1940年代の「親日派」の姿から、一貫して民族を売った反動的な人物の代表であるかのような評価が下されてきた。だが、それは断片的な情報からの判断であり、彼に対するまとまった研究はなされてこなかった。
 確かに彼は、1930年代以降、「融和」主義者・大アジア主義者の面を際立たせた。しかし、朝鮮人協会の活動が華やかなりし、1920年代には全く違った側面が存在していた。
 1922年12月の大阪朝鮮労働同盟会の創立大会は混乱のうち解散を命じられた。岩村氏はその原因を作ったのは、「御用団体」会長の李善洪だとしたが、今回の発表で、大阪系ボルシェビキの朝鮮労働同盟会の成立と同時に、それに対抗してアナキスト系の関西朝鮮人連盟が成立し、李善洪が名誉顧問を務めたことを明らかにした。この混乱は当時の東京系ボル、大阪系ボル、大阪系アナの三者の勢力争いから生まれたのが真相であった。その後、彼の回りでは、崔善鳴、李春植、高順欽といったアナキストたちが活発に活動を行い、水平社とのつながりも強かった。1920年代、李善洪は少なくとも3回の検束を受けた。
 1927年以降、ボル系の朝鮮労働総同盟の隆盛、アナ系に対する権力の弾圧もあり、彼らの活動は急速に沈滞、孤立化していく。1930年代に入ると、朝鮮人協会の活動は権力に接近、右旋回を始める。李善洪は「一視同仁」の下の平等を求め、選挙への出馬を決心した。
 妻が日本人であり、一生を日本で暮らすつもりであった彼は、朝鮮独立に関心がなかった。必要なのは朝鮮人が差別されない日本社会であった。彼はそれを朝鮮人の日本への「同化」で解決しようとしたわけではない。1930年代になっても、彼はチマチョゴリにこだわり、朝鮮語にこだわり、朝鮮の祭りを行い、朝鮮仏教を信仰した。「半島の舞姫」崔承喜との交友も持った。1920年代の糾弾的な運動では変わろうとしなかった日本人に対し、「一視同仁」を投げかけることが平等な世の中への強力な武器になると考えたのであろう。
 初回の選挙は、朝鮮人からの投票を期待し、運動員も朝鮮人が中心であった。しかし、選挙を進めるごとに、日本人からの投票を期待し、運動員も日本人が多くなる。選挙資金もそれとともに潤沢になっていった。大アジア主義の主張もエスカレートしていく。
 1941年、アジア太平洋戦争が始まると、大阪協和協力会を結成、代行委員長になるなど、積極的に戦争協力を行った。しかし、戦争の結末を知ることなく、1944年9月、針中野の長屋で生涯を閉じる。彼は一生、金とは無縁な生活を送った。「日本の番犬」相愛会を取り仕切り、東京で2回の当選を果たした朴春琴の裕福な生活とは違ったものであった。

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「在日朝鮮人史研究32号」(2002年10月)がでました!!
                   A5、158頁、2400円(+税)
※在日研究会の会員(会費5000円/年)には、3冊配布いたします。

<内容>
朝鮮人強制連行と広告募集 古庄正
筑豊の炭鉱史跡と朝鮮人追悼碑 竹内康人
朝鮮人兵士を主に編成された日本陸軍特設作業隊・臨時勤務隊について
  −北海道と樺太の場合 北原道子
朝鮮総督府令第六号「労働者募集取締規則」について(二) 福井譲
戦後活字メディアにおける<在日朝鮮人>
     −週刊誌から考える一九五〇年代の一相 内藤寿子
<資料紹介>
1.「満州」国在住朝鮮人日本渡航規制資料 樋口雄一
2.学生生活調査表(昭和18年、朝鮮奨学会) 樋口雄一
※購入希望者は、下記郵便振替口座に2400円をご送金ください。
郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>

【今後の研究会の予定】
12月8日、在日・梁永厚、近現代史・李正煕
1月12日、在日・姜在彦、近現代史・堀添
2月9日、在日・未定、近現代史・佐野通夫
3月9日、在日・未定、近現代史・李景a

【月報の巻頭エッセーの予定】/2002年12月号(文貞愛)、以降は、、藤井幸之助、梁永厚、金河元、高木、森川。※締め切りは前月の15日です。よろしくお願いします。

<編集後記>
・  急に寒くなってきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。月報11月号をお届けします。堀添さんの報告は、ルール違反?の長文ですが、増頁でそのまま掲載いたします。報告者は大体1頁分(100〜1200字)程度のレポートをお願いします。9月の近現代史研究会の山田寛人レポートもいただいているのですが次号にまわさせていただきます。
・  7月号で河かおるさんの報告いただいた滋賀県立大学朴慶植文庫をみなで見学に行こうという話がでています。またご案内をいたします。
・  10月の研究会終了後、いつもの平衛六二次会のかわりに新長田駅前で開かれていた統一マダンにでかけました。交流もできてグーでした。たまには、野外二次会もいいですね。12月は忘年会?、いつも飲んでるみたいです。(飛田雄一 rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

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