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青丘文庫月報・172号・2002月7月1日

図書室 〒650-0017 神戸市中央区楠町7-2-1 神戸市立中央図書館内
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飛田雄一 TEL 078-851-2760 FAX 078-821-5878
郵便振替<00970−0−68837 青丘文庫月報>年間購読料3000円
※ 他に、青丘文庫図書購入費として2000円/年をお願いします。
ホームページ http://www.hyogo-iic.ne.jp/~rokko/sb.html
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●青丘文庫研究会のご案内●

第210回 朝鮮近現代史研究会
7月14日(日)午後1〜3時
テーマ:書評「 Race to The Swift:state and finance in korean industrialization  /Jung-en Woo.  Columbia University Press 1991」( 従来の視点である韓国の経済発展の起源を朴正煕政権期にもとめるのではなく、植民地後期から李承晩政権期にかけてその基礎が築かれたとする論旨の図書)
報告者:堀添 伸一郎

第241回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会
7月14日(日)午後3〜5時
テーマ:「1947年からの朝鮮戦争」
報告者:梁相鎮

会場:青丘文庫(神戸市立中央図書館内)

<巻頭エッセー>
滋賀県立大学所蔵朴慶植文庫について  河かおる(滋賀県立大学人間文化学部教員)

 この4月から滋賀県立大学人間文化学部講師に採用していただけることになり、東京から彦根に引っ越してきました。着任から2ヶ月余り、まだわからないことだらけです。赴任にあたって「これだけはしっかりやりとげなくては」と思ってきた「朴慶植文庫」の整理も、ようやく現状を把握し、若干の見通しを立てたという状態です。
 ご存知の方も多いと思いますが、朴慶植文庫資料は、「在日同胞歴史資料館」設立の夢をこめて集められてきたもので、1998年2月に不慮の事故で朴慶植先生がお亡くなりになられた後もその実現が追求されましたが困難が多い中で、朴慶植先生と親交の深かった姜徳相先生(滋賀県立大学教授・当時)が、その志を受け止めようと滋賀県立大学への受け入れを申し出、それが実現して今日に至っています。
 赴任後、朴慶植文庫に実際に接してみて、その内容が多岐にわたることに驚きを新たにしています。マル秘文書、解放直後から在日朝鮮人運動の中で出されたビラやパンフレット類、民族教育に用いられた教科書、在日の民族運動指導者から聞き取った録音テープなど。県立大学では受け入れ後、整理作業を行ってきましたが、全体量はダンボール箱約1300箱にも及ぶ膨大なもので、現在までに整理が完了もしくは仮目録が作成されているのは単行書を中心に3万余件、ダンボール数にして約550箱と、まだ半分にも至っていません。そのうち、日本語の単行本を中心とした約6600件は県立大学図書情報センターの開架書庫に配架されており、インターネットでの検索が可能で、所定の手続きをとれば、学外者でも閲覧が可能です。検索できるサイトのURLは下記のとおりです。

県立大学図書情報センター
LIMEDIO http://www.lib.usp.ac.jp/limedio/index-j.html
国立情報学研究所
NACSIS Webcat http://webcat.nii.ac.jp/

 ただし、全般に原本の保存状態が悪いため、現在のところ、原則として複写ができないという決まりになっています(原本の状態によっては認められます)。まだ仮整理状態のものについては、私にお問い合わせいただければ、可能な限り対応したいと思います。まったく未整理状態のものについては、残念ながらがんばって一日も早く整理をしますとしか申し上げられません。幸い、2001年度に韓国の国史編纂委員会より同文庫の共同利用・共同研究を主な内容とする学術交流の申し入れがあり、去る2002年5月3日に正式に滋賀県立大学との間で協定書の調印がなされ、来年度以後、本格的に稼動する予定です。
 朴慶植文庫を整理している中で「在日同胞歴史資料館」の4種類のデッサンが見つかり、コピーして研究室の壁に貼りました。この夢を預かっているという原点にいつも戻るために。

【付記】
 関西在住の方で、朴慶植文庫整理にご協力いただけるという方は河かおるまでご連絡いただければ幸いです。本当に薄謝ですが交通費とアルバイト代は出ます。
  連絡先 河 かおるoru@mbh.nifty.com
  〒522-8533 滋賀県彦根市八坂町2500 滋賀県立大学人間文化学部D1-204
   tel 0749-28-8408 fax 0749-28-8543

第208回 朝鮮近現代史研究会5月12日(日)
最近の李承晩研究動向   李 景 a

 1965年に韓国を離れて以来、私はずっと外国で暮らしている。その間、これまで4度ばかり韓国には行ったことがある。しかし、それは旅行者としての短期間の滞在で、長くて一週間くらいの旅であった。
 この度、勤務先の在外研修としてソウルで一年間を過ごしたのは、私にとっては30数年ぶりにはじめて「生活者」としての日々であり、その意義は大きい。現代朝鮮を研究する立場から多くを学び、また様々な分野の人々との交流から得たものなどを今後の研究に活かしていきたいと思っている。
 韓国ではいわゆる「解放前後期」に関する研究は、最近は80年代のような活気は見受けられない。例えば、ソウル大学国史学科の学部・大学院2001年2,8月卒業生の場合、現代史関連の論文を書いた人は全体の49人中6人に過ぎない状況である。しかし、「李承晩の独立路線と政府樹立運動」(鄭秉峻)というような優れた研究成果がでているのは注目される。
 従来の李承晩研究は、彼が大統領としての在任中(1948.8−60.4)においては概して李承晩を称賛するものが多く出された。詩人・徐廷柱の『李承晩傳』(1949年、三八社)はその典型と言えよう。しかし、李承晩が学生革命によって権力の座から追放された後は、李承晩を独裁者、朝鮮分断の責任者として批判的に捉えられた。例えば宋建鎬の『徐載弼と李承晩』(正宇社、1980年)に代表される著書などである。
 ところが、90年代の半ば頃から李承晩を朝鮮民族運動史上の主要人物の一人として捉える傾向が現れた。朝鮮日報社は1995年2月、「光復50周年」を記念する行事として「李承晩と政府樹立、ナラセウギ」という特別企画展を開催した。当時の金泳三大統領がその行事のテープカットに出席したし、展覧会は十万人以上の観客を集める大盛況であった。研究業績のレベルでも、柳永益『李承晩の生涯と夢』(中央日報社、1996年)、柳永益編『李承晩研究〜独立運動と大韓民国建国』(延世大学出版部、2000年)などが刊行された。
 しかし、李承晩再評価に対する警戒も存在する。それは先の研究を「歴史の歪曲だ」と捉えつつ、朝鮮現代史における反民族・反民主的独裁者の典型である「李承晩」と「朴正煕」を生き返らせようとする「陰謀」だと、深い憂慮と憤怒を覚えると指摘する。李承晩を「建国の巨人」としてよみがえらせる動きに対し「独裁者の亡霊」だとその復権を批判する声が今日の韓国社会には依然として強いのである。
 とは言え、現代史研究が進むに従って李承晩の「存在」が具体的に究明されていくのは避けられない。朝鮮戦争前後期の政治状況の分析や最近は人物研究において李承晩と金九を比較研究するのも現れている(孫世一、『月刊朝鮮』2001年8月号から連載中)。李承晩は、朝鮮現代史研究上の格好の登場人物であることに変わりはないようだ。

第239回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会5月12日(日)
「金太一少年を忘れるな!」    金慶海

 4月26日、大阪府庁前の大手前公園での大集会に参加していた16歳の金太一が射殺された。それは、警部補の撃った銃弾が彼の頭を射抜いたためだった。(詳しくは、衆議院本会議1948年5月1日会議録を参照のこと)。もちろん、米軍占領下の日本は、勝手には銃などは撃てなく、大阪を占領していた米軍第25師団長・ムリンズの指令によるものだった。
 太一少年のことが、彼のお墓、法事、遺家族のことなどが気がかりでいた。ちょうど4・24の50周年記念日を迎えた1998年の初めごろ、彼が住んでいた大阪の布施を何日間歩き回った。それは、太一の姉をそこで見たとのはなしがあってだ。結局、彼女は探せなんだが、古老らのはなしを聞いていると、ほぼ全員が当時の民族学校の壁や教室には「金太一少年を忘れるな!」のスロ−ガンが貼られていたとのことだった。
 4・24の闘いから50年以上が過ぎた。いまだに私は彼の墓も遺族も解らない。私だけだろうか?これでいいのだろうか?と、時々思い出す。
 「4・24阪神教育闘争」では、もう一方、投獄されていた朴柱範先生(4.24当時は朝連兵庫県本部委員長)が1949年11月、神戸刑務所から保釈された2時間後(?)に他界した。
 4・24教育闘争で、直接的に亡くなられた方は、この二方だ。彼ら以外にも数千人もの同胞が不当に投獄・拷問され、朝鮮人の財産が破壊・没収された。この二人をはじめ4・24の闘いでの在日同胞らの崇高な民族愛の精神を、永遠に記憶に留め民族教育を発展させる意味合いも込めて、4月24日を民族教育の記念日と定め、毎年記念行事を行うことを、朝連中央委員会は決めた。その決議は、在日朝鮮人の歴史上で、かってなかった挙族的な崇高な民族愛の発露であったことを受け継ごうとのことでもあった。
 その後、一時までは、4・24記念日毎に「金太一賞」と「朴柱範賞」が授与され全国的な中央集会もした。しかし、今は自然に(?)に立ち消えのような感じ。ひどいのは、4・24の闘いは極左的だと批判する人がいたらしい。4・24の闘いを極左的と非難するのは、この闘いで命をかけた一世や先輩たちを冒涜する言動も甚だしい。その発言は本意ではなかろうが、当時の米軍や日本政府の暴言と通じるものになる。
 あの時、日本の絶対的権力者・米軍の命令に従って民族教育をやめていたなら、一世たちが命をはって民族教育を護ってくれなんだら(歴史で仮定法はあり得ないらしいが)、私は小学校の1年から大学までの民族教育は受けられなんだことは、まちがいない。
 今、民族教育は大変だ。少子化、経済混迷の煽りなどもあろうが、今の民族教育の内容が同胞らの要求に合致していないことが大と言わざるを得ない。早く民族教育の発展を成し遂げることが、先輩たちの尊い犠牲に報い彼らの高尚な意志を継ぐことだと思う。

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【今後の研究会の予定】
9月8日(日、在日未定、近現代史・山田寛人)、10月13日(日)、11月10日(日)、
12月8日(日)。※発表ご希望の方は、水野または飛田までご連絡ください。

【月報の巻頭エッセーの予定】

2002年9月号(藤永)、以降は、、佐野、梁永厚、文貞愛、藤井幸之助、金河元、高木、森川。※締め切りは前月の15日です。よろしくお願いします。

<編集後記>

                     (飛田雄一 rokko@po.hyogo-iic.ne.jp)

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