青丘文庫月報・164号・2001月11月1日

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●青丘文庫研究会のご案内●

第202回 朝鮮近現代史研究会
11月11日(日)午後3〜5時
テーマ「植民地下朝鮮鉱山における中国人労働者」
報告:堀内 稔

第234回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会
11月11日(日)午後1〜3時
テーマ「麗関連絡船による在日朝鮮人の渡日」
報告者:梁相鎮

会場:青丘文庫(神戸市立中央図書館内)

<巻頭エッセー>

したたかに    金森 襄作

 澄み切った空気、どこまでも澄んだコバルトブルーの空、黄金色の稲穂、そして新作路の両脇に一列、果てしなく植えられ、40−50しか伸びないコスモスは、かよわい薄紅色にもかかわらず、そのあでやかなこと、まさに目に染みる秋の韓国の光景だ。
 天地の時間が止まってしまった思いにかられる。動かない、変わらない、静かだ、平和だ。――――帽子をかぶり、トウルマキを着た百姓でも歩けば、李朝時代に自分がいるかのような錯覚におちいる。―――― (今はそんな光景からだいぶ変わっていようが)
 一夜一夜紅葉が真っ赤に染まって行き、秋深しと、まさに時の流れと無情感を感じざるをえない日本と、同じ秋でも韓国はまったく感を異にする。
 この違いをいやに今日この頃感じてしかたない。ニュウヨークテロ、アフガン空爆にあたふたと追従する日本、景気の悪化、三分の一のアメリカへの貿易依存、もう憲法も法律もあったものではない、時の流れにそむいてはならぬと、動転奔走する日本、異議でも唱えれば非国民扱いされた、1930年代の到来の感がして身の毛がよだつ。
 昨日まで、やれ教科書問題だ、靖国問題だと騒いでいた韓国や北朝鮮外交、秋の稲刈りが忙しいとばかり、動かない、静かだ。なんだか李朝時代に帰って殻にとじこもったみたいだ。
 これが歴史的経験の差なのか、ともかく、動ぜず、黙して、流れを止め、主体性を守らんとする姿を感じてしかたない。
 色ずきはじめた紅葉に無情感を覚えつつ、韓国のあの秋の光景がむしょうに懐かしい。

第200回 朝鮮近現代史研究会
朝鮮神宮競技大会の創設と展開(1925-1943)   金 誠

 植民地時代の朝鮮において最大のスポーツ大会として開催されたのが朝鮮神宮競技大会であった。この大会の創設と展開から支配者側の意図を明らかにすることが本研究の目的である。
 まず総合的なスポーツ大会を開催するために登場してきたのが京城運動場であったが、この運動場は東宮御成婚記念事業のひとつとして着工され、1925(大正14)年10月15日には運動場の竣工を記念して開場式が挙行される運びとなった。この開場式は朝鮮神宮競技大会の入場式も兼ねて同時に開催されている。一方、朝鮮神宮は1919(大正8)年の内閣告示に始まり、京城運動場同様、1925(大正14)年10月に創建されている。そして、同月15日に鎮座祭を行うこととし、京城(現ソウル)をあげて盛大に取り行われた。こうした一連のイベントによってつくられた祝祭空間は日本の国家意識を植民地である朝鮮にまで敷衍させる機能を果たしたと理解され、また「内鮮融和」というスローガンを謳いつつ朝鮮の人々をその支配下に組み込んでいく機能も同時に果たしたと考えられる。
 大会創設の目的(意図)は明治神宮競技大会との関係から推し量れよう。明治神宮競技大会は当時の日本における社会情勢なかで、喪失しつつあった天皇制国民国家の権威を回復させるために企図された。そのため明治神宮競技大会の予選大会のひとつとされていた朝鮮神宮競技大会においてもそうした目的(意図)が含まれていたのであり、朝鮮が植民地という情況にあったことから、この大会は植民地政策の一環としての役割(権威の象徴として)も期待されたのだと言える。
 文化政治期にみられる朝鮮神宮競技大会は、競技種目の増加、開催期日の長期化、開会式を彩るマスゲームの導入、またラジオ中継を行うなど、その規模は年々拡大され、朝鮮における最大の「スポーツ大会」として確立されていく。しかし、日中戦争が勃発すると大会の様相に変化を来たし始める。皇民化政策が展開されるようになる1937(昭和12)年の第13回大会には10月8日に制定されたばかりの皇国臣民体操が披露され、「内鮮一体」というスローガンの下で大会が展開されるようになった。また、1939(昭和14)年の第15回大会には競技種目に国防競技が登場するなど、軍事訓練的な要素が競技のなかにもみられるようになり、その後1942(昭和17)年に発足した朝鮮体育振興会による第18回大会の主催を経て、第19回大会では総督府主催の下、軍事訓練さながらの大会が催されたのだった。こうして、朝鮮神宮競技大会は戦争というひとつの目的に収斂されていったのである。
 本研究は日本の植民地のひとつ、朝鮮で開催された朝鮮神宮競技大会に着目し、その創設と展開から支配する側としての日本の目的(意図)がどのようにこの大会に反映されたのかを明らかにするものであった。朝鮮神宮競技大会は明治神宮競技大会の影響をうけ、天皇制国民国家の権威回復の延長線上に位置していた。このことは同時に植民地政策の一環としての機能をも有するものであり、それは植民地政策の変化とともに大会の様相が一変してきたことからも理解される。内鮮一体を標榜する皇民化政策下にあって体育・スポーツに附与された意味は、日本の精神性を朝鮮の人々に鼓吹するということにあった。しかし、太平洋戦争の勃発にともない日本における戦時体制が確立されていくなか、人的資源の確保という問題が浮上してくると、戦争に役立つ人材を体育・スポーツという身体文化を通してつくりあげようとしたのである。つまり、最終的には精神の転向だけではなく、身体の国民化、すなわち身体そのものを戦争へと導くことを企図し、それを象徴する大会として朝鮮神宮競技大会は存在したのである。

第232回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会9月16日(日)
「朝鮮戦争下の在日朝鮮人運動」  文 貞 愛(省略)

『在日朝鮮人史研究・31号』(2001.10、2400円)が発行されました。
 在日研究会会員(年会費5000円)には、3冊配布します。月報読者には、特価2000円でお分けいたします。1頁の郵便振替で、送料とも2160円をご送金ください。よろしくお願いします。

 

●案内●

山陰線敷設工事で亡くなった朝鮮人労働者の名を刻んだ
久谷の石碑・建立90周年記念追悼集会&フィールドワーク

11月23日(金)〜24日(土)
※ 神戸出発。浜坂町近辺の民宿に泊りカニ料理を食べます。
参加費:14,000円(予定、バス代・1泊2食込)
主催:兵庫朝鮮関係研究会、兵庫県在日外国人教育研究協議会、(財)神戸学生青年センター

朝鮮史セミナー
「アジア太平洋戦争と植民地朝鮮−開戦60周年を迎えて」
12月1日(土)14:00
講師:水野直樹氏 525円
於/神戸学生青年センター

【今後の研究会の予定】

2001年12月9日(日、在日・梁永厚、近現代史・未定) ※終了後忘年会。

2002年1月13日(日、在日・佐藤典子、近現代史・伊地知紀子)

【月報の巻頭エッセーの予定】

2001年12月号(金慶海)、2002年1月号以降は、坂本、伊地知、田部、飛田、李昇Y、本間、藤永、佐野、梁永厚、文貞愛、藤井幸之助、金河元、高木、森川。

※締め切りは前月の15日です。よろしくお願いします。

編集後記

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