青丘文庫月報・147号・2000月3日
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第222回 在日朝鮮人運動史研究会会
3月12日(日)午後3時〜5時
報告者 伊地知紀子
テーマ「 済州島のチャムス/海女 」
第185回 朝鮮民族運動史研究会
3月12日(日)午後1時〜3時
報告者 李景a
テーマ「李承晩の対日・対米外交政策」
※会場はいずれも青丘文庫(神戸市立中央図書館内)
巻頭エッセイ
在日朝鮮人運動史研究の新しい波をうけ/高木 伸夫
在日朝鮮人運動史研究会の機関誌『在日朝鮮人史研究』も29号をむかえた。この数年、それまで在日朝鮮人史研究の枠外と思われてきた研究者による本格的な研究も発表され、一面研究の活性を呈しているようにもみえる。
しかし、一貫した確固たる方法論と、それを裏付ける豊富な史料収集、さらに実証に富んだ単著が相次いで出版されることの意味は、これまでの私達の研究方法に反省を迫ることにもなった。外村大さんの「近年の在日朝鮮人史研究の動向をめぐって」(『在日朝鮮人史研究』29号)は怠慢な私にとって刺激的で、賛同する論点も多いが、不満もある。例えば「研究の方法をめぐって」で、史料として5点あげられているが、@とAの間に内務省など中央官庁、警察当局及び地方行政当局等の社会調査、統計資料に留らず、地方警察、地方官庁の調査書、地方行政局者の調査書にも注目すべきであろう。これまで朴慶植さんらが発掘した調査報告書、激文、朝鮮人団体の文書などは大半復刻されているが、地方行政当局者の調査書といえば殆ど大都市の社会調査報告書に限られてきた。しかし、地方行政当局者の調査は社会調査のみではない。在野で研究する我々としては、これらの資史料を発掘する可能性は限りなく少なく、やむをえず地方新聞を発掘してきたが、兵庫県域でみると戦前の新聞類は地元の図書館に所蔵されているものは殆ど見つくしたといえるだろう。ところで現在も自治体史は盛んに発行されているが、編纂担当者に聞くと、意外に在日朝鮮人関係史料が存在する。これらの資史料と新聞類などを聞き取りと合わせて活用することで、系統的に民族団体、融和団体、左翼団体の動向が検討できるようになろう。
184回 朝鮮民族運動史研究会(1月16日)
韓国法における“国民”と“同胞”の概念
−在外コリアンの国家への包摂と排除 金 英 達
朝鮮では、19世紀末から20世紀前半にかけて、隣国である中国、ロシア、日本の干渉、侵略、支配の過程で、多くの朝鮮民族が国外の中国、ソ連、日本へと流れて行った。そして、1945年の解放と1948年の建国を機に、その一部が朝鮮半島に戻って来た。南北朝鮮の分離独立と朝鮮戦争は国土を二分して相互往来ができなくなり、さらにその後、韓国から日本への密航、日本から北朝鮮への集団帰国、韓国からアメリカへの移民、在サハリン朝鮮人の韓国への帰郷があり、現在では、北朝鮮から中国への難民越境、北朝鮮から韓国への亡命、中国朝鮮族の韓国への出稼ぎなどの動きが続いている。
このような韓(朝鮮)民族の国境を越えた移動現象のなかで、韓国政府がどのような範囲の在外コリアンを国家に包摂し、あるいは排除しようとしてきたのか、しているのかをを韓国法のなかの「国民」と「同胞」という言葉の概念を通して考えてみた。
最初に、韓民族の国外流民史のなかで在外コリアン社会(世界のコリアン)がどのように形成されたかをみたうえで、問題意識として、@在外コリアンの母国との縁故性の要素、A韓国国籍法の国民の決定原理、B1948年の大韓民国成立と歴史認識、の三つを挙げ、具体的には、憲法、国籍法、在外同胞の出入国と法的地位に関する法律(在外同胞法)における「国民」および「同胞」の定義、解釈、実務について考察してみた。
詳しくは、当日の報告レジュメを参照されたいが、最近の在外同胞法においては、在外同胞の範囲の基準が「血統主義」から「過去国籍主義」に原理変更されて、韓民族のとらえ方が大韓帝国(朝鮮王朝)の時代の民族を基準とする「大韓族主義」から大韓民国建国時の国民を基準とする「小韓族主義」に矮小化しており、在外コリアンには包摂力より排除のベクトルが強く作用していると思われ、憲法前文の理想と現実の政策とに大きな落差があるというのが結論である。
来たる21世紀における韓(朝鮮)民族の歴史的課題は、@韓(朝鮮)半島の統一、A離散家族の再会・交流、B固有文化の維持発展、があり、21世紀における韓国の国家的課題は、@国際化・世界化のための外国人に開かれた社会の実現、A民主主義のさらなる前進(男女平等、在外国民の権利拡大)、があると考えられるが、そのための「同胞」や「国民」の概念はどうあるべきかにつき意見交換した。
第221回 在日朝鮮人運動史研究会関西部会(1月16日)
川崎製鉄葺合工場への朝鮮人強制連行
金 慶海
戦時中に神戸市内の16の軍需工場に、5,000千名以上もの多数の朝鮮人たちが強制的に連行されて、奴隷的な労働を強いられた、ということが、『朝鮮人労務者に関する調査の件』(1946年厚生省調べ。以下、「厚生省名簿」と略す)の内の兵庫県の分に記録されている。
その16企業の内、一番多く連行されたのは三菱重工神戸造船所への約二千名で、その次に多いのが、この川崎重工業(株)製鉄所葺合工業への千四百人である。
以下は厚生省名簿の内、葺合工場への強制連行者の特徴的なことがらについて述べる。
その一。北朝鮮地方での強制連行が絶対多数。
江原道で499名が断然トップ。道別の人数は、平安北道が404名、咸鏡北道が294名、黄海南道が136名、黄海北道が66名、京城府が1名で、総合計は1400名になる。
その二。若年者、働き盛りが連行者の絶対多数。
厚生省名簿に書かれている年齢に従ってみると、17歳から20歳までが161名(全連行者の11.5%)、21歳から25歳までが818名(同58.4%)、26歳から30歳までが314名(同22.4%)。つまり、一番働き盛りの年(17〜30歳)の人々が1,293名で92.3%を占める。
その三。日本の敗戦直前にも強制連行。
この工場に連行されてきたのは、1943年に合計でちょうど五百名。'44年には合計で764名、日本の敗戦直前の4月9日に136名だった。
その四。“退所”(“退所”とは原文のままで、この工場から出て行ったこと)
この工場を去った理由は様々だが、それを大きく分けると次のようになる。
・逃げ出した人が461名(全連行者の32.9%)
この逃走行為が、米軍の空襲があった時とかさなる場合があるようだ。例えば、'45 年6月6日に芦屋大空襲があったがその同じ日に65名が脱走している。
・敗戦後、自費での帰国者が446名(同上31.8%)
・労働契約が満期での帰国者が401名(同上28.6%)
・この工場で働いている時に死亡した人が、合計で26名。その内訳をみると、病死者 が11名、仕事中の死亡者が6名、戦災死(この死因は米軍の空爆によるもの)が9名。
・この工場で働いている途中に入隊させられた人が10名。
・その他、病気などでの送還者が29名。
4月の研究会
4月9日(日)在日(浅田 朋子)、民族(広岡 浄進)
5月は14日に、宇治・大上川、発電所等のフィールドワークです。
月報の巻頭エッセー
3月号(藤井たけし)、4月号(堀内稔)、5月号(広岡浄進)、6月号(金森襄作)、7月号(佐野通夫)、8月号(休刊)、9月号(水野直樹)、10月号(坂本悠一)、11月号(李景a)
編集後記