むくげ通信192号(200412月)

 史片113  神戸のマッチ工業と朝鮮人   堀内 稔

 

 神戸を代表する地場産業といえばケミカルシューズである。ケミカルシューズ産業は戦前のゴム工業に由来し、それ以前はマッチが神戸を代表する産業であった。また、あまり知られていない事実であるが、マッチ以前は製茶工業がそうであった。

 京都周辺を中心に近畿一円から神戸に集荷されたお茶は、茶焙じ工場でもういちど湿気を落としてからヨーロッパ、とくにイギリスに輸出された。明治維新以後この茶焙じ工場が続々登場し、外国人商館によって経営された。その茶工場の労働を主として担ったのが女性であった。(『兵庫ゴム工業史』)

 神戸の製茶工業は、1899年に清水港がひらかれお茶の本場が静岡に移ってから急速に衰えたが、逆に盛んになってきたマッチ工業が製茶工業の女工を吸収して発展し、神戸の主要産業の座を確立した。1907年には業者数209社、251工場におよんだ。神戸のマッチは神戸所在の華僑商社によって中国・東南アジアに輸出された。第一次世界大戦時にはさらに飛躍して全国生産の80%を占め、また生産量の80%が輸出された。

 ところが第一次世界大戦後、マッチ工業の世界制覇をもくろんだスウェーデン製マッチが日本に進出して市場を席巻したため、神戸のマッチ工業は1920年をピークに衰退の一途をたどることになる。折から新興産業として勃興してきたゴム工業が、マッチの工場および労働者を引き継いで発展していく。その舞台となったのが神戸の長田地区であった。

 マッチからゴムへの移行がスムーズに行われたのは、マッチ工場が煉瓦作りの耐火性のある建物でゴム工場にも適していたこと、硫黄など使われる薬品が同じであったこと、零細経営が多く主として低賃金の女工が労働を担っていたことなどがあげられる。マッチ工業の労働力については、「薬剤の配合・頭薬附方・荷造等を除くの外は、軸木の排列・箱詰・紙包等は皆女工の従事せる所なり」(土屋喬雄校閲『職工事情』)とあるように、家計補助的な主婦と年少労働者で職工数のほぼ70%が女性であったという。彼女らの多くは、夫が近隣の三菱や川崎造船所で働く家庭の主婦だった。

 ところで、朝鮮人の日本への渡航が本格化したのは1917年以降である。新興産業として勃興してきたゴム工業と本格渡航の時期が一致したこともあって、長田のゴム工場に多くの朝鮮人が流入したことは周知のとおりである。では、マッチ工場はどうであったのか。

 神戸市社会課は、戦前に192719331936年の3回にわたり在住朝鮮人の調査を実施した。この調査によるマッチ工場での労働者数は、1927年の調査では8名、1936年の調査で28名となっており、1933年の調査ではマッチ工場の職工は分類されていない。

 新興のゴム工業に比べ衰退産業であるマッチ工場は、労働者そのものが少ないため、朝鮮人労働者数は少なくなるのは当然とはいえ、この数字は少なすぎるように思われる。あるいは、世帯主以外の女性労働者は調査の対象となっていない可能性が大きい。先にも述べたように、マッチ工場の主たる労働の担い手は女性だったからである。

 マッチ工業と朝鮮人との関連を示す資料はきわめて少ない。新聞記事ではかろうじてつぎの記述を見つけることができた。

 「当地にある鮮人労働者は去る五月末現在に於いて二千三百四十余名に及び、その中二百六十名は女にて、彼等は燐寸工場、豆選り、三菱などの掃除女として雇われて居る」(『神戸新聞』1920.8.10

 1920年といえば、神戸のマッチ工業がピークであった時期である。豆選りがどのような職業であったのかよくわからないが、260名の女性のうちの何割かはマッチ工場で働いていたことをうかがわせる。

 つぎに紹介する一文は、1933年頃のマッチ工場の朝鮮人女性を記述したものである。

 「渡日した父の母は、マッチ工場に通った。すでにその頃、マッチ工業は斜陽化し、工場は朝鮮人の女達ばかりが雇われていた。単純な作業は日本語がわからなくてもこなすことができ、どんな低賃金でも飛びつかざるを得ない者達で、細々と行われるようになった。賃金は日本人の半分以下であったが、朝鮮人の寄り集まりのため、土方の世界に民族差別が無かったように、衰えたマッチ工場にも民族差別は無かった。白いチマ・チョゴリ姿で並んだ女達は、故郷の川に集まって洗濯する要領で、せっせとマッチの軸木を箱詰めすればよかった。路地裏の長屋に住む男達は、おおむね日雇いの土工人夫だったが、呼び寄せられた家族は、子供までもがマッチ工場に働きに出た。警官の見回りがあると、子供たちはみな便所に隠れたが、就業年齢に達していないとはいえ、彼らも生活を支える立派な稼ぎ手だった」(郭早苗『父・KOREA』)

 郭さんは在日二世で、実際の体験者からはなしを聞いて書いたと思われるが、朝鮮人女性がマッチ工場で働いている姿をいきいきと描いている。

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