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『むくげ通信』202号/2004年1月25日
随想/韓国の除夜、新正、ソル
山根俊郎
KBSの会員になる
私は、ついに去年の12月23日にパソコンで韓国のKBSの会員に加入した。タダでラジオとTVがリアルで視聴できるようになった。ハーミョンテンダ ラーミョン マシイッタ(なせばなる ラーメンおいしい)ラジオで聴いた視聴者のアジュマのギャグである。
うれしくて韓国のKBS第2ラジオばかり聴いていた。年末年始の休みは、外に出たのはタバコを買いに行っただけ。正月気分に浸る余裕もなく、ひたすら貴重な研究?の日々であった。今回は、その成果の一部を紹介したい。
03年ソウルの除夜の鐘
12月31日の年越しは、ソウルの鐘路の普信閣に多くの人々が集まり(主催者発表10万人)カウントダウンから0時になると花火を打ち上げて新年を祝い盛り上がる、という西洋バージョンがある。そして東洋的な鐘を突く除夜の鐘打鐘行事と続く。右の資料写真参照。ひもを持つのは、まず外国の来賓たち。今年は「紛争国に平和を!」という趣旨でイラク、アメリカ、イスラエル等が招待された。次はイミョンバク市長ほか政界、財界の著名人。プロ野球界から年間56本のアジアホームラン記録を樹立した李承 華。芸能界からはKBSお気に入りの演劇俳優の柳仁村(10年間「歴史スペシャル」の司会者だったが6月に放送終了となり、今は日本のNHKの「プロジエクトX」の真似番組「神話の創造」の司会をしている)と女性歌手のペテイキムだった。VIPたちが5人1組で交代して8分間で突くが、この除夜の鐘は33回突く。ある韓国の友人が「3・1独立運動の民族指導者33人にちなんで33回です」と説明してくれ「ホーなるほど!」と感心したが、それは間違いであった。パソコンの検索エンジンの知識欄で「除夜の鐘」、「普信閣」とハングルで入力して調べたところ、その説は「いつか放送局のアナウンサーが現場中継で言い出した根拠のない説であり、ひんしゅくを買った」との事であった。
除夜の鐘を33回突く由来は?
朝鮮時代の太祖5年(1396年)に鐘を吊るした鐘楼と呼ばれた建物が建てられた。この鐘は日に2度打ち鳴らされた。1度は、早朝の午前4時に四大門・四小門の開放と通行禁止の解除を知らせるために33回突かれた。これを罷漏と呼んだ。2度目は、午後10時(7時との説もあり、私は7時が正しいと思う)に四大門の閉鎖と通行禁止の開始を知らせるために28回突かれた。人定と呼ばれた。
罷漏の33回は、帝釈天(仏教の守護神)が導く三十三天に一日の国泰民安を願う意味が込められた。人定の28回は、宇宙の日月星辰 二十八宿(28ケの星座)に夜の安寧を願ったのである。このように罷漏の33回から除夜の鐘を33回突くようになった。なお、鐘楼が普信閣と名付けられたのは1895年に高宗が命名した。
普信閣の鐘は、日帝の植民地時代は一度も鳴らされなかった。解放後の1946年8月15日の光復節の正午に初めて突かれた。その後、53年3月1日の三一節の正午にも突かれた。朝鮮戦争が停戦となった同年12月31日に初めて除夜の鐘打鐘行事が行われた。現在の鐘は、85年に市民の誠金(8億ウオン)で作られたものである。
KBSホール
一方、ヨイドのKBSホールでは、歌番組であり「蛍の光」を歌っていた。司会は、売れっ子の女性アナウンサーのファンスギョン。「開かれた音楽会」の司会者。前日の12月30日の「歌謡大賞」でも男2人とメインの司会をしていた。私はファンである。
新正の放送
明けて1月1日の新正の放送では、新年の挨拶から始まります。韓国では、1月1日には、「イーチョンサーニョン カプシンニョン」(2004年 甲申年)で挨拶が始まっていました。若いDJは「2004年」だけでした。既成世代のDJは、必ず「甲申年」を入れます。そして、干支の猿がどうのこうのと話を進めます。各国の正月を紹介するのに「日本は平成という年号を使っている」「それは何ですか?」という質問に特派員は「韓国が甲申年と呼ぶのと同じです」と曖昧に答えていた。天皇制には言及しなかった。
「セーヘ ポク マーニーパドセヨ」(新年に福が多いように)が日本の「明けましておめでとうございます」と同じである。よく「セーヘ ポク マーニーパドシゴ」と続ける形にして、後に「コンガンハシゴ」(健康でありますように)のアレンジ版も使われている。歌手のテジナは、DJをしている自分の番組「テジナ ショウ ショウ ショウ」で「プジャテセヨ」(金持ちになってください)という挨拶を連発している。最初に聞いたときは大笑いしたが、どうもテジナのオリジナルではなくTVのCF(CMのこと)で流行ったのをパクったようである。
北朝鮮の新年の挨拶
唐突ですが、北朝鮮も民族の名節として新年を祝い始めたようである。職場の若いパソコンオタクから以前に「実利銀行」
http://www.silibank.com/silibank/korea/
という北朝鮮の宣伝サイトを教えてもらっていたが、一時期アクセスできなかった。最近、開いてみたら新年の挨拶が載せられていた。
「わが民族同士」(ウリミンジョクキリ)の欄から入ればあった。その中で新年の挨拶が載せられていた。
チュチェ93(2004)ニョン セーヘールル チュッカハムニダ
主体93(2004)年 新年を祝賀します
このチュチェ年号とは、「金日成の死後3年の1997年7月8日に「喪明け」宣言に合わせ、金日成が生まれた1912年を元年として制定」(岩波小辞典現代韓国・朝鮮p167 02年発行より)である。故金日成主席が生きていたら93歳なのだろう。
徳談
挨拶がすむと「トクダム ハシジヨ」(徳談をお願いします)と目上のオルシン(大人)に勧めるとこの1年についてとうとうと抱負や説教をする。辞書によれば「幸せを祈る言葉」とある。1月1日は、何かを決心したり計画したりする日です。男は禁煙。女性はサリペギ(ダイエット)が多い。アジュマは家族の健康を願っています。
新正のすごし方
1月1日の新正は、単なる公休日である。人気がある過ごし方は、ソウルから車で東海岸に行き、初日の出を見るという小旅行である。2日(金曜日)のラジオ放送で、ある女性DJは「今日は月曜日のような気分です」と言っていた。韓国政府は1月1日を1年の区切りの日と位置付けている。祝賀は旧正=ソルに先送りしている。よって、正月の行事のうちで主要なものは、旧正=ソルで行いうが、トックッ(雑煮)を食べる習慣だけは1月1日に残されている。トックッには1年の無病息災を願う意味がある。そして1歳年を取る、という意味もある。ある女性DJは普段からトックッが好きで行きつけの食堂のアジュマに「そんなにトックッを食べると歳をとるよ」とからかわれたそうである。今や正式な正月の座を旧正月=ソルに奪われて新正は落ちぶれている。誰も祝ってくれない。官公庁、会社などでは1月2日から出勤して始務式が執り行われる。そこで社長が徳談をのべる。ちなみに終務式は12月31日である。
作心三日
1月3日になるとラジオのDJは作心三日をよく話題にしていた。作心三日(チャクシム サミル)という四字熟語であるが、辞書にも「決心が三日を越さないこと。決心が堅くないこと」とあり否定的な意味で使われている。日本語の「三日坊主」と同じ意味である。しかし、KBS2の「シンエラの夜を忘れたあなたに」で女性DJのシンエラさんは(実は作家が台本を書いている)「作心三日は、この時期によく言われるが、別の解釈もあります。三日間もかけて慎重に計画を立てる事。肯定的な意味もあります」と言っていた。おもしろい話なので韓国の「シジャクページ」の知識検索エンジンで検索したところシンエラDJの説を補強する回答を見つけた。NAVER知識iNというウェブにあった。要点だけ訳する。
質問:作心三日という言葉の由来はありますか?03年7月20日14:10作成
回答:作心とは、心を堅く決める、という意味です。孟子のホピョン章に出てきます。この「作心三日」は二種類の意味に使われます。三日をかけて考えに考えた末に決定を見た、慎重性を意味する事もあり、心を堅く決めることは、したけれど三日が過ぎればその結実がうやむやになってしまったという意味にも使われます。すなわち、前者の場合は三日をかけて作心した、という意味であり、後者の場合は作心したことが三日しかもたなかった、という意味です。普通は、後者の場合の「否定的な意味」でよく使われている。03年7月20日14:20作成
新正と旧正の葛藤
韓国の新年祝賀は、80年代までは日本と同じく陽暦に変更しようとしたが、徹底せずに旧の正月(陰暦の1月1日)で祝っている実情である。
解放後の李承晩政権は、1949年に新正の連休を3日間として強制的に旧正を廃止しようとした。また、朴正照政権は国家的浪費を防ぐという理由で旧正を休日から除外する代わりに毎年1月1日から3日間を公式休日に指定した。1975版「今日の韓国」(アジアPRセンター発行)という大きな分厚い日本語の画報にも「韓国においても世界共通の陽暦が使われているので国家的・社会的行事はすべて陽暦を基準にしておこなわれる。しかし民俗的な行事になると旧来の伝統や慣習を重んじるならわしから、旧暦を基準にして行われている。正月:公式には陽暦を用いるが、一般では陰暦の旧正月にお祝いが行われる」と記述しており70年代でさえ新正月より旧正月が優位であった。
旧正の完全勝利
80年代のノテウ政権は、89年2月1日に「官公庁の公休日に関する規定」を直しソルを前後する3日間を公休日に指定してわざわざソルナル(ソルは正月の固有語であり、ナルは日の固有語である)まで復活させた。90年から実施した。まさに旧正月重視、新正月軽視の政策の大転換である。そして、旧正という古臭い劣ったイメージの呼び方をソルという洗練された呼び方に変えた。あるDJが旧正と言いかけてソルと言い直していた。旧正と呼ぶのは禁句である。今や韓国では、ソルが真の「正月」であると認識されている。しかし、ソルは、やっかいなことに毎年移動する。今年は1月22日であった。その前後の21〜23日が正月休みで大挙帰省した。帰省の時間を確保するためにソルの前日も公休日に指定しているのである。
一方、新正は、90年に2日に減り、00年から1日だけの公休日になり没落した。
今後のソルナル連休
毎年、韓国人はソルがいつになるか気にしている。韓国のカレンダーには陰暦が併記されている。韓国のカレンダーのサイトを探したので紹介しておく。
http://www.jacom.co.kr/cgi-pub/calendar/wwwcal.cgi?size=3
>それによると韓国のソルナル連休は、
2005年2月8、9、10日
2006年1月29、30、31日
2007年2月17、18、19日である。
1月と2月が交互になるようである。(終)