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『むくげ通信』202号/2004年1月25日

<本の紹介>
尹達世著「四百年の長い道−朝鮮出兵の痕跡を訪ねて」
リーブル出版 2003年10月発行 定価1500円
住田真理子

 

四百年前にも拉致・強制連行があった

 尹達世さんの文章に初めて出合ったのは、むくげ通信で「壬辰倭乱余聞」の連載が始まった時(2001年)だったと思う。秀吉の朝鮮出兵の結果、1592年の文禄の役、1597年の慶長の役の二度にわたって、数万人の朝鮮人たちが日本に拉致・強制連行されてきた。彼ら被虜人の日本での足跡を追い、古い文献を調べ、1冊の本にまとめたのが本書である。連載中から私はそのテーマに引き込まれ、とりわけ少女の年ごろで日本に連れてこられ、大名や武士の妻になった朝鮮女性に感情移入してしまった。日本人の拉致被害者に涙する人は、深く引き寄せられるテーマだと思う。

 新聞記者を続けてきた著者は、行動力と調査能力抜群。交通機関のない田舎へも徒歩で出かけ、地元の人や被虜人の子孫から話を聞き出し、寺の蔵に眠っていた朝鮮の仏画を発見したり、隠されていた歴史の事実を掘り出すのに成功している。地元の言い伝えや従来の説明案内文に頼らず、歴史の事実を自分の足で調査し的確に伝える姿勢は、大いに見習いたい。

 今回の本では、強制連行者のその後について、四国・九州・中国地方を中心に43カ所が取り上げられている。よく知られている陶芸の里(唐津・伊万里)だけではなく、瓦を焼き(熊本・沖縄)、石橋を架け(鹿児島)、紙を漉き(熊本)、更紗を染めたり(佐賀)、豆腐や漬物などの味を伝えたりと、各地の産業・文化に広く寄与しているのは驚きである。彼らは差別や逆境に耐えながら、たくましく異境の地で生き抜いてきた。そんな姿は、時として在日一世たちの生涯とも重なり合う。

 

時代によって捏造される歴史

 本書に書かれている歴史的事実をたどっていくだけでも、新鮮な発見の連続で興味をひく。ムズムズと人に伝えたくなってしまうのだ。その内容の一部を、週刊誌の見出し風に紹介すると…。

「加藤清正の虎退治は、まったくのフィクションだった」

 黒田藩の林掃部という武将が鉄砲ではなく槍で虎を仕留めたエピソードが転じて、加藤清正の虎退治の物語が生まれた。明治以降の大陸侵略をあおる講談話にすぎない。

「赤穂浪士の祖父は、朝鮮からの捕虜だった」

 討ち入りの時、吉良上野介の首をとった武林唯七の祖父、孟二寛は、蔚山の戦いで捕虜となった。殺されずに日本に連行され、甲府の領主・浅野家の藩医として仕えた。三代目の唯七になって、孟子の後裔であり、祖先は武林の出ということで「武林」を名乗るようになった。このことは江戸時代には一般的に知られていた。

「乃木希典は朝鮮人を始祖とする家系だった」

 毛利家の「藩中略譜」によれば、乃木家の始祖は朝鮮の役によって但馬に連れてこられた被虜人で、土地の女性と結婚して一児を得た。その子は医学を学んで長府藩に仕え、但馬・乃木谷から姓を取り、乃木と名乗った。日露戦争でロシア軍を破った将軍で明治天皇に殉死した「軍神」の先祖が朝鮮人では都合が悪かったのか、希典の始祖は宇多天皇の第九皇子敦実親王の後胤などと捏造され、戦前にはこちらの系図の方が広まっていた。

 などなど、歴史読本(?)の見出しを飾るのに十分すぎる逸話が満載だ。まさに、時代によって「歴史は作られる」ことを実感してしまう。

 

説明文にみる日本人の脳天気さ

 ページを読み進むうち、日本人として恥ずかしく情けなく感じてしまうのが、紹介されている旧跡についての教育委員会、郷土史家による解説文だ。十歳あまりの少女を拉致してきたのに「日本の武士の勇姿を慕い、国を捨てて従って来た」と話す郷土史家の例。牛窓の唐子踊りは朝鮮通信使が伝えたという資料が残っているのに「残念ながらそれらを裏付ける資料は見当たらない」と逃げる教育委員会。また、朝鮮出兵時の事件を神功皇后の「三韓征伐」の話に勝手に作り替えていた例(牛窓の朝鮮場様)。戦争で朝鮮人の耳を切り取り戦功として持ち帰り埋めた場所が、なぜか「耳地蔵」と呼ばれ「この地蔵にお参りすると耳通りがよくなる」となってしまった例(岡山県津山市)など。

 いずれも、歴史の事実や戦争の悲惨さに目をつぶり、日本人に都合のよい話に変えられてしまっている。本書のような研究本が、各地に残る旧態依然の案内板を書き換える原動力になるようにと、切に願う。

 

朝鮮への差別観が薄かった江戸時代

 日本の武将が、両班の子息や娘を大勢連れて帰ったのは、当時貴族を尊ぶ信仰があったためだという。この貴族信仰も、現代から見れば新鮮なものに思われる。さらに僧や知識人が数多く連行されているのも、学問の高い国として朝鮮が理解されていたことに起因する。「当時は出自が異国であっても、現在に見られるような民族的偏見は見られないし、そもそも当時はそんな概念さえなかったようにさえ思われる。朝鮮に対する蔑視観が造成されるようになったのは、やはり明治以降のことのようである」と、むくげ通信の連載で著者は語っている。

 異国での被虜人たちの苦労は計り知れず、自殺や病死など悲惨な末路をたどる者もいたが、反面たくましく生き抜いた者もいた。興味をひくのは、彼らが神聖視され、尊敬され、墓や記念碑として祀られていたり、生涯が長く語りつがれていたりする点だ。それが今に残っているのは、子孫たちのみではなく、日本人の中にも語りつごうとする気持ちが少なからずあったからではないだろうか。人より何倍もの苦労を重ねた人というのは、人々の間で語りつがれ、尊敬を受ける対象となるのではないか。私には、それがわずかな救いであるように思える。

 20年かけて各地を訪ね歩いて、西日本を中心に1冊の本にまとめた尹達世さん。愛知県在住の私としては、続く「東日本編」の刊行を心待ちにしている。

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