学生センター・朝鮮民主主義人民共和国ツアー 飛田 雄一
初めて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問した。30代から70歳まで総勢10人のツアーで、むくげの会より山根、信長、飛田、そして元会員の北原が参加した。みな北朝鮮は初めてだ。それぞれが通信2頁を担当してそれぞれの感性のままに報告することにする。トップバアッターの私は、団長としての公式的?な報告をしておこうと思う。
6月15日〜22日の7泊8日で、最初と最後が中国瀋陽泊りなので、北朝鮮では5泊6日であった。北朝鮮への旅行は、@招待を受けての友好訪朝団A海外の朝鮮人の祖国訪問B一般旅行があり、それぞれ朝鮮側の窓口が異なる。今回は一般旅行である。学生センターでは今年、東学、済州島につづく韓国歴史ツアー第3弾として「智異山パルチザン」のツアーを考えていたが、マイチケット山田氏とその打ち合わせをしているとき、今年は一般旅行として北朝鮮ツアーが可能であるとのことで智異山は来年まわしとして北朝鮮行きの計画を立てたのである。
<1>6月15日(金)11:10関西空港国際線出発ロビー集合し、13:10中国北方航空CJ612便で瀋陽(旧奉天)へ。中国のガイドと空港でうまくドッキング。北陵公園等を見学して老辺餃子館で夕食。夜は、みなで名物の足裏マッサージにでかけた。3000円。最初からなにをしているのだ‥‥。
<2>6月16日(土)ホテルをでるときのミーティングでKさんが航空券を不要の物として捨てたことが判明。なんとかごみ箱から回収して出発。午前中に瀋陽故宮、「柳条湖事変」の九・一八歴史博物館を見学。3年前に神戸・南京をむすぶ会のツアーで来たときには仮設の博物館だったが立派なものでが出来ていた。北朝鮮のビザは瀋陽の空港で受け取り、15:15(中国時間)瀋陽出発、高麗航空JS156便で平壌へ。17:00(北朝鮮時間、1時間のずれがある)平壌到着。そこでビザもパスポートもガイドに預けることになった。ホテルは46階建の羊角島ホテル、香港資本もので13階?まではその専有となっているとのことだ。でも客は少なく全部で100名もいないのではないかと思う。26階の部屋から平壤の街をながめた。車は少ない。明かりはネオンこそないが思っていたより点っている。
<3>6月17日(日)9:00出発して、まずは万寿台へ。もどって1日30万人が利用するという復興駅から栄光駅まで地下鉄に乗る。。主体思想塔では140Mの展望台に登る。凱旋門、万景台等平壤市内を見学した。夕食は大同江を遊覧する船の中で。
凱旋門で現地ガイド(女性)と同行ガイド
<4>6月18日(月)
8:30古都・開城にバスで出発。途中沙理院から高速道路を離れて朝鮮戦争記念館のある信川へ10:10着。また高速に乗り開城に14:00。高速道路でのあまりの車の少なさに気が滅入ったが、信川への一般道でバスの我々に手をふってくるれる子どもらをみてほっとする。開城では、まず雰囲気のとてもいい高麗博物館へ。のち善竹橋、王建の墓等を見学。宿泊は開城民族旅館。以前ソウルにあった雲堂旅館を綺麗にしたような雰囲気のホテルだ。朝鮮の旅行社は設備のいい平壤のホテルに泊ってほしかったようで、出発1週間前に、「本当に開城民族旅館に2泊もするのですか」と連絡が入ってほどだ。<5>6月19日(火)8:30板門店に出発。8:45到着して人民軍将校?よりオリエンテーションを受けた。将校は予想に反して自分の言葉で語り「何でも質問して下さい」という。すぐ横に座っていた私は直接いろいろと朝鮮語で話をした。ガイドが監視しているということもなく、自由な雰囲気だった。昨年、ソウルから板門店に行ったときの緊張感をあおるような雰囲気とは対象的だった。今は北朝鮮側にある朝鮮戦争中の会議場および休戦協定調印場(板門店のそれは協定調印後につくられたもの)を見学したあと、またバスで移動し会議場はまだだと思っていたら、いきなり会議場にでた。南の展望台からは台湾の観光客?がこちらをのぞいていた。道路ぞいに爆破すれば道を塞ぐようになるコンクリートの建造物があるのは韓国側も同じだ。開城・平壤間の高速道路の一部か2,3ヵ所そのまま飛行場に使えそうに作られているのも同じだ。映画JSAの北側監視小屋も遠くからながめた。
板門店で昼食をとったのち、開城にもどり、コンクリート障壁を見学にでかけた。途中の山道では泥まみれになって田植えの準備をしている農民の姿も見ることができた。軍の塹壕で使用する高性能の望遠鏡で障壁をみた。南側の基地のスローガンや兵士のバスケットのボールまでみえた。17:00朴淵瀑布にも立ち寄ったが、降水量不足で哀れな滝だった。6月13日に100日ぶりに雨が降ったとのことだ。この道中も子どもたちは愛想よく敬礼する子もいる。
コンクリート障壁を望遠鏡でみる
同じく開城の民俗旅館に泊り、夕食時にはマイチケット山田氏の皿回しが大受けで、ウエイトレス(「処女同務」)も果敢にチャレンジした。ガイド2名、カメラマンも合流し、「皿回しに成功しない物にはパスポートを返さない」という冗談まででて益々盛り上がった。ちなみに飛田はすぐ出来たが、最終日のバスの中でも頑張ったが出来ないメンバーもいた。
<6>6月20日(水)7:40開城を出発して平壤へ。ガイドさんの小話。5歳の子どもが蝿を10匹とった。「5匹は雄で5匹は雌です」「なんで」「5匹は鏡の前、5匹はビールに寄ってきた」。車中で歌合戦もあり、阪神タイガーズ、アリラン、鎧蟹虞(わが祖国)、花をうる乙女、口笛、カチューシャなどがとびだす。アリランは女性の名前である、というのがガイドさんの説。途中ドライブインでコーヒーを飲む。相変わらず車はほとんど通らない。高速道路上で歩く人、自転車、牛車をみてももう驚かなくなっている。
10:00平壤に着く。牡丹江遊園地、平壤城を見学する。平壤城で4〜500人のブラスバントの練習風景をみて完成度の高さに感心するが、9月9日建国記念日のための練習であるとのこと。またそのブラスバンドも同じ規模のグループがあといくつか合流するらしい。11:20大城山に出発。小型のバスに乗り換えて山頂付近まで登る。薬草と採りにきたという素敵な老人に会って話をする。
午後、朝鮮博物館へ行き古代から近世までの展示をみる。古代の楽器でメンバーの音楽の先生も演奏させてもらった。切手専門店で猫の切手などを買ったのち、サーカスへ。主要なメンバーは海外遠征中とのことだが、空中ブランコ、熊の曲芸、複雑な縄跳び芸等、なかなか楽しませてくれた。途中2回の停電というハプニングもあった。この日は北朝鮮最後の日、希望して普通江ホテルのカラオケに行った。入場料が15ドル、ビール等を飲んで10名で4万円だった。ガイドは無料とのこと。
<7>6月21日(木)11:30平壌駅出発して瀋陽まで12時間の鉄道の旅。ガイドさんとは平壤駅でお別れ。車窓から田園地帯を眺める。穀倉地帯で水田に出来るところは全て水田、それ以外のところは線路の脇から、山の斜面、川の土手など、空地という空地にはトウモロコシが植えられている。段々畑にする余裕がないのか、斜面にそのまま植えている。日照りで育ちが良くないが、逆に大雨がくれば、一挙に流されるのではないかと思う。新義州で、1時間と少し税関検査等がある。ここでも皿回しをしたりして官吏と仲良くなる。新義州駅で買い出しからもどってきた人々の写真を撮っていたときに「きたないところばかし写さないで」と女性車掌におこられたが、仲良くなっていた男性車掌がまあまあとなだめてくれた。フィルムをとり上げられるとくことはなかった。山田さん大活躍の夕食代のための中国人民元獲得作戦も成功して、無事夕食をとり、23:10瀋陽に到着した。
<8>6月22日(金)朝早いめの朝食をとり、08:30瀋陽空港より中国北方航空CJ611便で関西空港に全員元気にもどってきた。飛田の写真はwww.hyogo-iic.ne.jp/~rokko/で、マイチケット山田氏のはwww.asahi-net.or.jp/~UD4K-YMD/でみることができる。
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