『むくげ通信』169号(98年7月26日)
最高裁判所は要塞だった
指紋押捺不当逮捕「国賠訴訟」参加の記さる7月17日(金)最高裁に行って来た。1985年、指紋押捺拒否を理由に逮捕された尹昌烈さん(京都)国賠訴訟の「口頭弁論」が開かれたからだ。尹昌烈さんは不当逮捕を理由に国と京都府を訴えている。同じく兵庫県尼崎市でも逮捕されかつ警察署内で強制具によって指紋を採取された金成日さんの国賠訴訟も最高裁で争われている。
尹昌烈さんさんは大阪高裁で勝訴し40万円の支払いが国・京都府に命じられた。これまで憲法優先?で国際人権法を無視する判決が多い中でこの判決は、国際人権法を憲法の上におく「世界の常識」に近い日本で初めての判決として注目された。また、当時逮捕令状を出した裁判官個人にも責任があるとした点でも画期的な判決だった。
一般的に最高裁では弁論(法廷)が開かれない。書類審理だけが行われ、結果だけが通知されるのである。私が原告団長となったスリランカ人留学生・ゴドウィンさんの裁判も最高裁までいったが、上告をしてから忘れたころに「上告棄却」通知がきてガックリしたことを覚えている。
最高裁で口頭弁論が開かれるのは、常識的に?高裁判決がひっくり返る時に限られている。同種の事件で尹昌烈さんは高裁勝訴、金成日さんは高裁敗訴だったので、どちらに最高裁から呼び出しがくるかが大問題だった。つまり、尹昌烈さんにくれば負け、金成日さんにくれば勝ちというものだった。それが尹さんにきてしまった。負けである。しかし、言うべきことは言わなければならない。尹さんの200人の弁護団は、その代表8名が弁論にのぞんだ。
公判は午後1時30分から。集合時間の1時15分前に最高裁南口につくともう50名ほどが並んでいる。1時05分、45席しかないので抽選が始まった。その時点で45/60という確立だ。なのに、私は外れた。なんとクジ運が悪いのか! しかし、遠方からの傍聴者だからと特別に支援グループが私に傍聴券を都合してくれた。
最高裁の建物は、ここまでやるかという要塞スタイルだ。見たこともないがヨーロッパのお城のようだ。それも正面からは一般傍聴者を入れさせないとかで、我々は裏門(南門)に並ばされていたのである。中に入るとそれがまたすごい。バイキングになって大きな剣を振り回したいような雰囲気のところである。入場した第2小法廷もまたすごい。何回もすごいと書くのがいやになるくらいだ。
法廷は普通の裁判所と異なり、原告・被告とも傍聴人と同じように裁判官の方を向いている。裁判官が全てを見下すようなスタイルになっているのだ。裁判が始まる前に職員が威厳をもって注意事項をのべる。「騒がしくしないように」「裁判官の入退場の時には起立を‥‥」、よく聞くと「お願いします」と言っていた。
今回上告したのは国と京都府。それぞれに10分づつありきたりの弁論をした。つづいて尹さん側の弁論だ。8名の弁護士がそれぞれのテーマについて弁論を行った。久しぶりの裁判だったが、いずれも本当に格調の高い弁論だった。ここでそれぞれの内容を紹介するスペースはないが、最後に弁論にたった金敬得弁護士自身の司法修習生時の最高裁との闘争のことを振り返っての弁論も感動的だった。
公判後に弁護士会館でまとめの集会があった。尹昌烈さんがこの13年間を淡々と語り最後に言葉がつまったときは、ともに指紋押捺の青春?を過ごしてきた私も思うところがおおいにあった。
判決は「おって指定」とのことで、おそらく尹昌烈さん・金成日さんの判決が同時に、よくないのがでるだろうと思う。しかたがないが、10数年前の指紋押捺拒否の闘いが意義深い闘いであったこと、そしてその結果が永住者への指紋押捺制度を廃止させたことは事実である。「青春に悔いなし」とは、かっこよすぎるだろうか。(1998.7.20 飛田雄一)
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