神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会

ニュースNo.5 1995年11月01日発行

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 藍那トンネル事故60周年(96年11月)に追悼碑を!
 600万円の募金活動を開始します
 59周年の追悼集会(11月26日<日>)を行ないます

 「戦後50年」の今年、日本の侵略歴史が改めて問い直されています。そして侵略戦争の犠牲となった方々への戦後補償がいまだ為されていないことが、クローズアップされています。
 「追悼する会」は93年7月の発足以来、一九二〇年代、三〇年代に神戸電鉄敷設工事の過程で犠牲となった朝鮮人の調査と追悼の活動を継続してきました。これまでの調査で藍那トンネルの落盤事故等で13名の朝鮮人が死亡したことが確認されています。昨年8月には、調査の過程で明かとなった犠牲者の遺族4名を韓国より招待して追悼会を催すことができました。
 「追悼する会」は去る5月26日の集まりで、今年二月に亡くなられた落合重信代表に代わって新しく徳富幹生代表を選出いたしました。阪神大震災の影響で計画が遅れていますが、6名の犠牲者を出した一九三六年11月25日の藍那トンネル事故から60周年の96年11月には、追悼碑を完成させたいと思います。六〇〇万円を目標に追悼碑建立のための募金活動も開始します。ご協力をよろしくお願いします。
 来る11月26日には、藍那トンネルの現場で左記のとおり追悼集会を行ないます。ご参加下さいますようご案内いたします。


  神戸電鉄藍那トンネル事故59周年・追悼集会
 ● 日時 11月26日(日)午前11時
 ● 会場 神戸電鉄藍那トンネル前
(神戸電鉄藍那駅より西徒歩10分)
 ● 主催 神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会

  追悼碑建立のための600万円募金にご協力を!
  一口 5、000円
  送金方法 郵便振替<01110-9-41243 追悼する会>



  鈴蘭の丘に慟哭を聞く

     神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を
             調査し追悼する会・代表 徳富 幹生

 落合重信先生のあとを受けて、神戸電鉄敷設工事朝鮮人犠牲者を調査し追悼する会の代表を仰せつかりました徳富です。
 先日、映画「エイジアン・ブルー・浮島丸サコン」を観ました。日本敗戦直後の一九四五年八月二四日に謎の爆沈をとげた浮島丸の、その謎を追う映画ではありません。日本人の手によってつくられたこの作品は、諸氏がパンフレットにも書いているように、朝鮮(人)を通して、アジアへの日本による植民地支配と侵略戦争の加害責任を静かに、しかも詩情豊かに語りかけて感動的です。またさりげなく、在日を現在に生きる朝鮮人の苦悩や問題まで描いてくれます。わたくしにとって最も印象が深かったのは、劇の舞台回しの役割と、人間としての良心に従って命がけでしかしひっそりと生き続ける詩人高沢伯雲の設定です。
 戦前のたとえば冬、極寒の下北半島。連行されて奴隷の労働を強制されていた朝鮮人と伯雲が生活を共にさせられたのは、家を離れ、家族と別れ、拷問にも屈せず徴兵拒否を貫いたからです。わたくしなどとてもできるところではありません。戦後は、理不尽な死に方殺され方をした人々、とりわけ浮島丸の犠牲となった多数朝鮮人に対し、鎮魂を祈るだけでは癒されぬ心情につき動かされた巡礼の旅の生涯の果て「終(つい)のすみか」と定めた舞鶴。毎日、灯台に登ると舞鶴の海を望見しつつ伯雲はいつもこころの中でつぶやくのです。

 俺を眠らせない奴がいる
 蔑まれ
 殴られ
 踏まれ
 口を塞がれ
 耳を閉ざされ
 それでも聞こえてくる声がある
 絶え間なく
 俺の肩を揺すり
 俺の魂をひっぱたいて
 俺を眠らせない奴
 お前は一体誰だ
 お前は一体誰だ

 そして現実の舞鶴には、はるか釜山を望んで永久にもの言わぬ「殉難の碑」が建っています。赤ん坊を抱え血がにじむばかりに口をかみしめて立つチョゴリ姿の若いオモニ像の足元には、祖国にたどりつけぬまま海中に消え去るであろうおのれの無念を、天に地に山に海に向かって叫ぶ人々の像。
 浮島丸が沈むのを目撃した舞鶴の人々は、誰言うこともなく舟を漕ぎだし救助の手をさしのべます。その同じ舞鶴の人々はいろいろな困難にぶつかりながらなんとか資金を集めて一九七八年「殉難の碑」を建立しました。以後、毎年八月二四日、舞鶴市民を構成員とする実行委員会は追悼集会を開催します。地元在日関係者や韓国からの直接参加者が年々増えているとか。舞鶴といえば、初老以上の日本人には有名な「岸壁の母」の舞台でもあるんですよね。
 ところで、一九二〇年代の後半、昭和の初期に兵庫県には凡そ六千名の朝鮮人が在住し、職を求めておりました。日本の植民地統治によって朝鮮人民衆が祖国を離れざるを得なくなるといった矛盾が、結果として兵庫県にも先駆的に顕在化していたのではないでしょうか。
 現在の神戸市北区。神戸市でいちばん広い区域のほとんどを山地が占める中に丹上山もあり、「丹」即ち辰砂(しんしゃ)発掘のために強制連行された朝鮮人の血と汗と涙が流されたことが最近知られています。そしてこの区域には行政の中枢機関をかかえた鈴蘭台という美しい名前を持つ町があります。
 半世紀以上も前、神戸電鉄の前身、神有電鉄と三木電鉄はそれぞれ賃金等の差別待遇を前提とした朝鮮人の労働力に頼って線路敷設工事を行います。山岳路線の難工事を強行することによって無念、無惨の死を遂げた朝鮮人労働者は現在判明している限りで一三名。うち六名もの死を生みだしたのは当時の武庫郡山田村藍那第一工区藍那隧道東抗口の工事。一九三六年一一月二五日のことです。この事故を報じた神戸新聞の記事は七段ぶち抜きです。見出しの文字が悲しいくらいに大きい。

 「惨憺・眼を蔽う現場
      崩壊した三木電藍那トンネル
  石塊と泥土の中から
      六死體を掘出す
  重軽傷五人は兵庫病院へ収容」

 来年一九九六年はその六〇周年にあたります。当「追悼する会」を中心とする多くの人々の粘り強い働きかけがあって、神戸電鉄は昨年一三名が自社工事の犠牲者であることを認めました。それなりの誠意を評価することにしましょう。それでも昨年、一二名の祭事(チェサ)のために韓国から来神された遺家族の方々の慟哭は、今もわたくしの耳をたたきます。
 わたくしたちには仕事が残っています。舞鶴の人々からも学んで、事実のさらなる調査と「追悼碑」の建立をぜひとも実現しなければなりません。広報と多方面への協力、援助の依頼など大変ですが、みんなで力を合わせていきたいものです。わたくしたちを襲った大震災というあまりにも大きな困難の経験は、一方でわたくしたちに「共に生きる」ことの素晴らしさと希望を教えてくれました。「共に生きる」ことが当たり前の日常になる日まで少しずつでもできることをやっていきましょう。
     一九九五年九月二五日


「追悼する会」・会計報告 

                         1993.7.1〜1995.10.31
収   入 支   出
賛同金

1,425,370

カンパ 

608,000

その他

263,765

(資料集売上、香典等)
事務費(※)        

347,725

資料集、パネル製作費

186,198

遺族招待関係費

689,170

その他※

431,338

小 計

1,654,431

残 金

642,704

  内訳 郵便振替 615,895
    現金 26,809
合 計

2,297,135

合 計

2,297,135



切手、封筒、コピー代金等
会場費、通行料、追悼式費用、見舞金、他団体へのカンパ、香典、名刺代、郵便振替、手数料等

1995年11月2日 「追悼する会」会計担当 西 咸子  


震災後に、徳富幹生新代表が神戸電鉄本社を訪問


 5月25日の集りで選出された新代表の徳富先生の就任挨拶を兼ね、神戸電鉄本社(谷上)に7月13日飛田さんと李相泰の三名で行ってきました。
 本年8月の神戸電鉄恒例の法要に「追悼する会」が参加する事と、今年11月ごろに予定していた「追悼碑建立」を、来年11月に延ばし、神戸市に対し連名で公園の一部を借りる「要望書」を出す事を話し合いました。
 意外にも法要に参加する事に対して、神戸電鉄側は難色を示し「今年度の犠牲者の遺族に限る」とし、追悼する会としては「神戸電鉄敷設工事で判明した13名の犠牲者が昨年始めて過去帳に記載され、今年は初盆に当たる」と、約40分に渡る話し合いを持ったが、平行線のまま、どちらにしても「法要の日時が決まれば連絡をして貰う」と言う事であったが、後日の連絡では「法要の日時すらも知らせられない」との事であった。
 何をかたくなに、「追悼する会」の参加を拒否するのか理解に苦しむ、何か他に知られては困るような事でもあるのかと勘ぐりたくなる。
 本題である、神戸市に対する「要望書」の件に対しては(どちらかと言うとこの件のほうが、難色を示すのでは無いかと考えていたのだが)先の件で時間を取り疲れていたのか「要望書」の原案が出来れば、その方向で考えて行きましょう、と本来の目的が合意され一安心であった。

(李相泰記)

神戸市の市民公園課を訪問


 9月26日火曜日、私たち事務局の数名は、神戸市に対して追悼碑を建てるために、公園などの土地を貸してもらえれば…という意図の下、神戸市土木局の公園緑地部管理課市民公園係を訪ねました。変にかしこまってというよりは自然な会話を交えながらの話し合いでした。
 まず、飛田さんが事件の内容とこれまでの経過、神鉄側の対応、そして私たちの趣旨といったものを簡単に(特に神鉄の対応についてはいつものように皮肉を混ぜることも忘れずに)提起していきました。「神戸市のどこかの公園に追悼碑を建てさせて下さい!」という言葉に対しての相手側の対応は、「公園に置く記念碑は基本的に教養施設でなくてはならない」とのこと。「この場所でなくてはならないという歴史的必然性があり、かつ景観も優れたものであることが前提条件。また、宗教や思想などが反映されたものはお断わり…などと、制限が様々あることを初めにおっしゃられておりました。
 「追悼する会」側が、神戸電鉄が近くを通っていることや、朝鮮人労働者が工事をしている唯一の新聞写真の例を挙げ、湊川公園の特殊性を挙げると共に、教養施設ともなり得ることなどを意見として述べていきますと、向こうは公園施設と見るかどうか、どんな形態・内容か、他の場所では駄目なのかということを、もっと具体的に論議してからではないと何も言えないとのことでした。金銭面や他の在日団体などのことでも心配ないと言うことを理解して頂き、最終的に「とりあえずは論議してみますから、写真などの情報をまとめて送ってください。ただしそちら側でも(公園以外の)場所などを継続して探して下さいよ。」という市側の意見と、「こちらも時間にゆとりがあるわけではないので、常に経過を教えてもらいたい」という事務局側の意見で一段落しました。
 20分ほどの話でしたが、いまいち先が見えなかった事務局内での論議に具体的方向性が見えたような気がしました。私たちとしては最高の案としている神戸市内の公園に碑を建てるという可能性が少し大きくなったような気がします。どういう結果になるのかはわかりませんが、私たち自身もベストを尽くしていければと思います。 (林昌利記)



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