その他の活動

センター出版部とロビー書店、そしてアジアングッズの「なんやか屋」

セミナーの内容を知りたいとの要望が参加者以外の人たちから寄せられ、セミナー講演録として出版した最初の本が梶村秀樹著「解放後の在日朝鮮人運動」(1980年8月)であった。好評で初版1,000部を短期日に売りつくし、現在まで7刷計7,000部を出している。その後、「在日朝鮮人の民族教育」「現在の在日朝鮮人問題」「今、子どもに何が起っているか」「教科書検定と朝鮮」「医と食と健康」「賀川豊彦の全体像」「朝鮮近現代史における金日成」「体験で語る解放後の在日朝鮮人運動」等を出し、今日まで36点を数えるに到っており、セミナーの内容を広く浸透させる役割も担っている。
ロビー書店は朝鮮史や在日朝鮮人の人権問題の基本図書をそろえる必要から、1985年9月にロビーの片隅に本箱を設置して始めた。セミナーの主題に合わせて食品公害関係のものも集めたが、これらの関係書を集めている書店が少ないことから利用者に喜ばれている。ミニコミ誌も扱っているが、すべて取次店を経由せず、出版社や発行元から直接仕入れる方式を取っている。20周年事業によるロビーの改装により、本棚のスペースも拡がり図書の範囲も拡げることが出来るようになった。
またロビーでは、センターと関係の深いアジア女性プロジェクト、シャプラニール、アジア協会アジア友の会さまさま等のグッズを販売する「なんやか屋」もオープンし多くのみなさまに利用されている。

職員、センターデイ、記念事業、会館管理

初代館長を勤めた小池基信氏が5年9か月の働きののち1979年12月退任した後を受けて、辻建が館長に就任した。11年3か月を勤めたのち1991年4月より飛田雄一が3代目館長となった。
1981年には鹿嶋節子が事務職員となり、1991年4月には山本達志が主事に、1996年には中野由貴が事務職員になり現在にいたっている。登佐尅己氏は19年間の働きを終えて1991年3月退職した。センター内に住みこんで多方面にわたる会館管理の仕事に当たった蔭の働きを見落とすことは出来ない。登佐氏退職ののち中国人留学生夫婦、韓国人留学生夫妻が、管理人として住み働いている。清掃の仕事はパートタイムの方が来て下さっており、日曜日、祝日は学生・留学生アルバイトが事務室を守ってくれている。
1982年4月には会館5周年を迎えて記念講演を行い、1982年には財団法人設立に尽力されたマグルーダー氏を北米より招いて会館10周年記念式典を行い、加藤周一氏、竹熊宜孝氏の記念講演、関西芸術座による特別公演を行った。また、1987年4月には開館15周年記念事業として日本基督教団兵庫教区議長藤田公氏を迎えて式典をもち、中嶋正昭、加藤周一、粱瀬義亮、槌田劭、梶村秀樹の諸氏を招いて記念講演会を行った。また、新しく購入したピアノのために奥村智美氏によるリサイタルを行った。1992年には開館20周年記念事業として、ロビーの大々的な改装工事を行なうともに、劇団「態変」公演、鶴見俊輔、李泳禧、山下惣一各氏の講演会をおこなった。
1983年には、兵庫県教職員組合よりその年度の「社会文化奨励賞」を、2002年1月には、環境問題への取り組みが評価され兵庫県ボランティア賞を受賞した。
開館10年を過ぎた頃より、建物の補修、改装の必要を生じるようになってきた。配水管、空調設備の故障がひんぱんとなり、一時的な修理が無理となって大がかりな改修工事を施した。宿泊室は、開館当初は2段ベッド16名用2室と和室3室であったが、ベッドルームは、1部屋を1989年に改装して2人用の部屋を8室とし、もう1室は和室にした。定員は和室・ベッドルームあわせて46名で変わっていない。1995年には阪神大震災で壊れた風呂を全面的に改装した。
ニューライフマンションの管理については当初、都市問題研究会に委託していたが、1976年度より学生センターが管理を引きうけ、その後1985年度より管理組合の創立にともない、管理会社KBSシラカワに交代した。

諸団体との交流

センターの活動を側面から支え、活動をともにして下さった団体、グループとのつながりを抜きにセンターの20年を語るわけにはいかない。
学生センターが組織的に加盟している団体として、①キリスト教研修施設長会、②関西キリスト教都市産業問題協議会(KUIM)、③SCM(学生キリスト教運動)協力委員会、④神戸NGO協議会、⑤神戸日本語教育協議会(KECJL)、⑥関西NGO協議会、⑦関西国際交流団体協議会、⑧ひょうご市民活動協議会(HYOGON)などがあり、それぞれの団体のなかでセンターは、その活動の一部を担っている。
また、センター内に事務所あるいは連絡先をおいて活動している団体として、①食品公害を追放し安全な食べものを求める会、②教団史研究会、③むくげの会、④六甲カウンセリング研究所、⑤神戸港における戦時下朝鮮人・中国人強制連行を調査する会、⑥神戸・南京をむすぶ会、⑦INFOG(オゾン層保護・地球温暖化防止国際フォーラム)などがある。

むすびとして

センター30年の歩みを振り返ってみるとき、当初予測もしなかった活動のふくらみを持つことができたことに深い感動を覚えざるを得ない。規模から言って決して大きくはないこのセンターが、これだけの活動内容を持つことが出来たのは、センターを包む多くの方々の強力な支えによるものというほかはない。職員たちを支える理事、監事、評議員の方々も企画や実施に際しては職員並の協力を惜しまれなかった。これらがセンターの今日の特色となっている。
当初、米国南長老教会が願った「学生伝道のために」というセンターへの期待はどのように果たされたであろうか。それは直接伝道というかたちでは果たされてはいないが、朝鮮史や食品公害の学習とそこから展開された運動を通して、今日を生きるものの誠実で健全な生の追求というかたちで少なからず果たされてきたと言えないだろうか。また阪神大震災後に生まれた六甲奨学基金はアジアから来た留学生・就学生を支援する奨学金を支給するあるいはボランティア日本語教室=日本語サロンをとおした活動にも現れていると思う。
この30年間のセンター活動の中心は「出会い」であったと思う。この出会いは。センターを通しての人と人の出会いであり、テーマとテーマの出会いであり、人とテーマあるいはテーマと人との出会いであった。
この30年の出会いが、さらに新しい出会い創りだすことを期待しながら31年目を歩み始めたい。

最終更新日: 2012年01月17日

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