阪神大震災と六甲奨学基金の設立

阪神大震災と六甲奨学基金の設立

1995年1月17日の阪神淡路大震災で学生センターも給水設備の破損などの被害をうけたが、幸いなことに建物はそのまま使用が可能な状況であった。センターでは、フロン回収などの環境問題へのとりくみとともに、被災留学生・就学生の支援活動に取り組んだ。センターの避難所としての提供、住居の斡旋、生活一時金の支給(一人3万円)、救援物資の配給などを行なった。全国からは多くの募金が寄せられ、767名の留学生・就学生に計2301万円が支給された。一時金の支給は、当時アルバイトをしていた韓国人留学生・鄭燦圭さんの「震災時の留学生・就学生にとって早期に支給される生活一時金は貴重である」という提案に応えたものだった。また、日本語ボランティアの教室が使えなくなってセンターに来られた松岡静子さんの提案を受けてボランティア日本語教室=日本語サロンが発足した。毎週月・土曜日にセンター内でひかられており、生徒とボランティアは年々増え、これまでに975名の学習者の参加があり、2022年度には学習者39名、ボランティア教師が36名でマンツーマン形式の授業を行なっている。
全国から寄せられた募金の残高約1300万円から「六甲奨学基金」がつくられた。兵庫県下のアジアからの留学生・就学生に月額5万円の奨学金を支給するもので、96年度より現在まで、毎年4~10名計156名に支給している。支給総額は、2022年度までで9255万円になる。2004年~2008年には三木原さんの寄付3000万円で三木原奨学金(のち一粒の麦奨学基金)が作られて40名に支給された。
六甲奨学基金は、震災時の日本DECからの寄付金1000万円に支援金の残金300万円でスタートした。当初引き続き寄付をつのることによって10年間毎年300万円の奨学金支給をする計画であった。しかしその後の寄付が集まらず、資金集めのために1998年に始めたのが「古本市」。3~5月の60日間の開催で、多い年は450万円を売り上げた。新しいセンターに移転後は常設古本市となっている。2022年1月~12月の売り上げは2,332,485円となった。
1998年にスタートした古本市の2022年12月までの総売り上げは、8042万円となっている。60万円(月額5万円)の奨学金、134名分に相当する。古本市の成功がなければ六甲奨学基金は継続できなかったことになる。
日本語サロンの関連では、ボランティア養成講座、やさしい日本語講座、基金運営委員による「実践・日本語学習支援講座」も開催された。